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TSUGI 新山直広さん|立教大学ホテル運営論ゲストスピーカー紹介

立教大学観光学部で開講される「ホテル運営論」では、さまざまなゲストスピーカーをお呼びして、講義を展開しています。今回は福井県鯖江市で工房見学イベント「RENEW」の運営をはじめ、産業観光の推進に取り組む、TSUGI代表の新山直広さんのインタビューをお届けします。


【プロフィール】
新山直広 TSUGI代表/クリエイティブディレクター
1985年大阪府生まれ。京都精華大学デザイン学科建築分野卒業。2009年福井県鯖江市に移住。鯖江市役所を経て2015年にTSUGI LLC.を設立。地域特化型のインタウンデザイナーとして、地場産業や地域のブランディングを行っている。また、体験型産業観光プロジェクト「RENEW」の運営をはじめ、めがね素材を転用したアクセサリーブランド「Sur」、福井の産品を扱う「SAVA!STORE」など、ものづくり・地域・観光といった領域を横断しながら創造的な産地づくりを行なっている。 RENEWディレクター(2015年~) 京都精華大学伝統産業イノベーションセンター特別研究員(2018年~)一般社団法人SOE副理事(2022年~) 編著に「おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる-地域×デザインの実践-」(学芸出版社)がある。

地域に馴染むまで4年間かかった

- 新山さんは就職の際に、大阪から鯖江へ移住されましたが、「移住する」という点について当時はどのように考えていましたか?
僕は2009年に鯖江へ移住しました。この時、半分はノリで、半分は計画的でした。2008年にはリーマンショック等があって、日本のピークを垣間見た気がしました。今後どんどん日本経済が縮小していく中で、「これからは地域づくりが重要になるのかな」という勘が働きました。ちょうどその時「コミュニティデザイン」の考え方に影響を受けて、ノリで鯖江へ移住しました。

当時は「地方創生」みたいな言葉も無かったし、時代的にかなり早い段階での移住は賭けでした。振り返ってみると、建築学科の周りのみんなが建物を建てる中、自分は地域に入ってアクティビティをデザインでつくることに興味があったんだと思います。


‐ 新山さんの民間企業、行政、起業を経験されているキャリアも興味深いです。それぞれで感じたことや違いを教えてください。
1社目の民間企業に勤めていた時は、まちから学んだことが多いです。「まちづくりしたいです!」と言って、地元の人に応援されるかと思いきや、「モノづくりのまちだから商売回らないとまちづくりもくそもないで」と言われました。大学での勉強では都市計画などの成功事例を表面的になぞっていただけでした。働く中でまちのリアルを感じました。当時は本当に職人さんの仕事がなくて、余裕がなかったんです。鯖江のリアルを痛感して、「モノが元気にならないとまちが元気にならない」と気付かされました。

そこで、地域に足りないものについて、「やりたいこと」、「できること」、「地域に必要そうなもの」の3つの視点で考えたときに浮かんだのが”デザイン”でした。
デザインは独学で学んでいたのですが、デザイナーは専門職でいきなり働ける場所がなかなか無く、転職したのが行政でした。


- 行政での仕事は、いかがでしたか?
行政の仕事は面白かったです。行政は最大のサービス業なんですよね。デザインが入り込める部分がたくさんあって天職だと思いました。デザインを出来るのが自分しかいないこともあって、働き始めて1週間で自分が役に立つと感じました。
鯖江の現状を見るとモノづくりの売上が下がっていく中で、行政はモノづくりの支援を行って、持続させる重要な役割を担っていました。

ただ、行政のモノづくり支援には、「公平公正」が求められます。モノづくり支援において公平公正を実現するにはまあまあ無茶な部分があります。行政で産業振興していく難しさを強く感じました。そして、民間として行政と連動するデザイン事務所を作るべきだと感じてTSUGIを作りました。


- キャリアを通してデザインについて考えていく中で、起業にたどり着いたんですね。
起業経験も無く、資本金繰りにも苦労しましたが、一生懸命やっていたら、それなりに上手くいった実感を持っています。移住していきなり「デザイン事務所作ります」と言っても上手くはいかなかったと思うので、2社での経験を積めたのは良かったです。


‐ 様々な形態でのキャリアを積む中で築いてきた人間関係は今でも大切ですか?
とても大切です。
僕は地元に馴染むのに4年かかりました。移住者第一号的な存在で、地域側も受け入れ方が分からない状態でした。自分が失敗したら今後移住者が受け入れられなくなる可能性があるプレッシャーもあり、4年間は自分のやりたいことは一切言いませんでした。とにかく地域に馴染むことに精一杯でした。

4年経ってからは、自分を開放してやりたいことをやりました。その時には、とにかく正直にすることと、良く見せないことを大事にしていました。礼儀があっても中身が空っぽであるよりも、礼儀が無くてもちゃんとものごとを捉えて伝える、嘘をつかないことが信頼につながったと思います。

そして、自分一人でやれるというのは大間違いです。鯖江には、僕のことを育てたっていう人が8人います。正直にいろいろやった結果、何にもない時から応援してくれて、「新山あほやな」って言われながら、諦めずに育ててくれました。自分の能力だけじゃなく寛容な大人の存在もとても大きいです。


- 職人さんとの関係づくりが地元住民の方との関係づくりと異なるポイントはありますか?
リスペクトはするけど、必要以上にリスペクトはしないことです。
円滑なコミュニケーションを意識しているし、フランクに接しています。例えば、職人さんに会うときはスーツは絶対着ません。職人さんはエモいんですよね。堅苦しさより、フィジカルで物事を捉える。上っ面ではなく、真摯に向き合うことが大事なんです。

職人さんは作品ではなく、商品を作っています。僕らはデザイン事務所ですが、販売ルートまで考えます。他にも、ブランドやお店を作ったり、イベントを開催するなど複合的に取り組んで本気さを行動で示していたのが信頼関係につながっていると思います。


内部から産地の意識を変えた

‐ 鯖江市を拠点に工房見学イベント「RENEW」を運営されていますが、計8回の開催を通して、地域にはどのような影響・変化が生まれましたか?
「産地の意識変化」をずっとやってきたつもりです。内側の基盤を少しずつ壊していって、エンパワーメントでみんなが努力できる状況になりました。今までは「誰かが売ってくれる」、「売れないのは時代のせい」という言い訳がありました。発想を変えて、価値が伝わらないから工房に見に来てもらうようにしました。一番価値が伝わって売れるし、リピートもしてくれて、利幅も高いです。これは言葉で仕組みや仮説を伝えてもみんなには伝わりません。まず不格好でもやってみました。やってみると職人さんたちにフィジカルで伝わっていって、がらっと意識が変わっていきました。


地域外へと広がる視点

‐ RENEW事務局を法人化し、越前鯖江の観光地域づくり法人「一般社団法人SOE」を設立されました。新山さんご自身の活動には、今後どのような展望を持っていますか?
「RENEW」は根幹の部分は僕がやっていますが、もう実務の部分は僕がいなくても回るようになっています。口うるさいおじさんぐらいのポジションしか残って無いんです。

今のSOEとしての仕事では、年一度の「RENEW」開催に留まらず、越前鯖江地域で産業観光をメインとした持続可能な地域を作ろうとしています。具体的には、宿を作ったり、通年型の産業観光コンテンツを開発したり、学校を作ろうとしています。中でも学校の事業では、地域で活躍するデザイナーやローカルスモールビジネスを始める人を生み出すことで、地域の将来の担い手を増やそうと考えています。

また、TSUGIも拡大期に入っています。デザイン事務所として地域のデザインができる状況をつくると同時に、日本の中で「地域で活躍できるデザイナー」を増やす教育にも広げていこうと考えています。


- 新山さんの活動は、「いかに鯖江のモノづくり(職人)を元気づけるか」といった対内的な視点から始まったと感じます。それが今では、「いかに鯖江、そして地方の魅力に注目してもらうか」という対外的な視点での活動に遷移しているということでしょうか?
おっしゃる通りです。
職人さんなど、自分達の近くにいる人へ向けた活動は、ある程度僕じゃなくても出来るようになってきました。そして今では、より広範囲の地域外の人へ向けた活動での役割が強くなってきています。

初めは「何人かの職人のため」だった活動が、「鯖江のため」になり、今では活動の対象は福井県全体にまで広がってきています。活動の幅も宿泊業や教育面に広がって、将来的に活動の対象はもっと全国的になっていくだろうと考えています。


‐ 本日はありがとうございました。

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