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Harvest Journey Kameoka 並河杏奈さん|立教大学ホテル運営論ゲストスピーカー紹介

立教大学観光学部で開講される「ホテル運営論」では、さまざまなゲストスピーカーをお呼びして、講義を展開しています。
今回はHarvest Journey Kameokaの事務局を務める、一般社団法人Foginの並河杏奈さんのインタビューをお届けします。


【プロフィール】
一般社団法人Fogin代表理事/Harvest Journey Kameoka運営事務局
関西大学政策創造学部卒。京都府亀岡市出身。株式会社ツナグム(京都移住計画)に所属。大学卒業後、旧丹波亀山城下町にあるH商店街の活性化事業やコミュニティ映画「かめじん」制作、地方への移住・ライフスタイルに興味がある学生や若者向けのイベント企画、WEBメディアを中心に取材・執筆などを行う。2018年4月より京都府の移住促進事業に従事。現在は、コミュニティ・ツーリズム「Harvest Journey Kameoka」や「かめおか霧の芸術祭」等において現地コーディネーターとして携わっている。
Fogin:https://fogin.jp/
Harvest Journey Kameoka:https://www.harvestjourney.com/
tunagum:https://tunagum.com/
京都移住計画:https://kyoto-iju.com/

「伝える」ことの原点を見つけた学生時代 

- 学生時代はどのように過ごしましたか?
小学校からバスケットボールを続けていて、大学でもサークルでがっつりバスケットボールをして過ごしていました。
旅や海外には小学生ぐらいから興味があって、大学生の頃には、長期休みにアルバイトで貯めたお金をゼロにする勢いで様々な場所へ旅に出るような過ごし方をしていました。
自分がどの国に興味があるか分からないときは、本屋へ行って並んだ旅行本の中から目についた国の本をとるみたいなこともしていました。

日本で生まれ育った以外の人たちが何を考えているのか知りたいという思いがあり、そのために現地に身を置こうと考え、4年生の春から休学をして半年弱、イギリスのオックスフォードへ語学留学しました。


- 留学前は将来についてどのように考えていましたか?
大学では、アジアやアフリカの貧困エリアの経済開発等を学んでいたこともあり、2年生頃の関心の軸は国際NGOなど国外に向いていました。
3年生の頃に福島を訪れた経験から「伝える」ことへの関心が強くなりました。
写真や文章を書くのは好きだったので、留学前に就活を始めていた時には、新聞記者やカメラ記者に興味を持っていました。


‐ 留学の経験は今の職業につながっていますか?
留学先で出会ったタイ人の友人が、嵐山からトロッコ列車に乗って、亀岡市に来たことがあると教えてくれました。
その話を聞いたときに、「亀岡に来てくれるのはうれしいけれど、自分でまちの魅力を紹介出来ない」ということと、「亀岡が彼女にとっての目的地ではなかった」ということに気付かされました。

「目的地になるってどういうことだろう?」という視点から、留学から帰ったら観光に関わりたいという想いが生まれました。


「町を大切に思う気持ち」を形にする

- 地元の発信を職にしようと考えたきっかけは何ですか?
留学から帰ってきて就活を再開し、自分の興味をもとに選考を受けていました。
しかし、最終面接の機会を得ても、「10年後、この会社で何をしていたいですか?」という質問に上手く答えられませんでした。

そこで、一度就職活動の仕方を変えて、既存の就活サイト以外の方法で探し始めました。その時に、まちづくりに関わるユニークな大人たちに出会ったり、山崎亮さんの「コミュニティデザイン」という本を読んだりしたことで、クリエイティブな視点で町と関わる方法があることを知ったのがきっかけです。


- 最初から「亀岡」を発信しようと考えていましたか?
最初はあまり限定していませんでした。
どこで何をやるかを考えたときに、お隣の京都市内はいろいろおもしろい取り組みや新しい企画が生まれているけれど、亀岡では何も起きていない。
住んでいる人たちは意外と地元のことが好きなのに、形になっていないことがもったいないと感じていました。

その後、周りの縁もあり、建築やデザイン等を学んでいる学生を集めて、京都府主催の観光プランコンテストに参加しました。
このコンテストを通して、自分の中で亀岡で出来そうなことのイメージが湧いたように感じます。


- 生まれ育った地元の魅力はどのように見つけていきましたか?
小学生のころから地元の風景が好きで、あまり地元を嫌いになる瞬間がありませんでした。
むしろ、「自然が身近」「近所の人が『お帰り』と声をかけてくれる」など、地元の住み心地の良さを気に入っていました。
自分と同じように、地元を大切に思っている人って案外多いと気づいた時に、まだみんなが言葉に出来ていない地元の魅力があると気づきました。

ですが、私自身は「亀岡愛が強い!」という訳ではないので、自分の興味関心とやりたいことが一致した場所がたまたま亀岡だったんだと思います。


地元を発信するということ

- 観光や移住、WEBメディア、映画等多岐の業態を活用していることの狙いは何でしょうか?
より多くの視点や興味からまちへの関わりをつくりたいと思った結果、自然と広がってきたように思います。

また、様々な分野・領域を超えてコラボレーションすることで、もしかしたらより良い解決策や付随する別の課題の解決につながるかもしれないとも考えています。


‐ 発信の際に気を付けていることや工夫していることはありますか?
一番は「住んでいる人が違和感を持たない言葉選び」を大事にしています。対外的なPRは大事だけど、町の魅力を作るのは住んでいる人たちなので、住んでいる人たちの想いとかけ離れた言葉を使っても、知らんぷりになってしまう印象があります。
町の内側の人たちが違和感を感じない言葉で、日々の暮らしを楽しんでいる状態を魅力として伝えていけたらいいなと感じています。


- 地元でも新しい事を始めるときに地域の方と上手くいかないといった経験はあるのでしょうか? 
地元でもそういった経験はあります。そんな時は、実際に会いに行って話すようにしています。
実際に話を聞くことで、相手が大切にしているポイントを見つけられるし、根底の信頼につながると感じています。
映画を作った時にも、一度形にして見てもらうようにしました。
一度見てもらって、フィードバックをもらったり、いいなと思ってもらうような、対面のコミュニケーションを一番大切にしています。


‐ 亀岡だけでなく、地方観光全体の現状についてはどのような印象を持っていますか?
今までのマス観光から、観光のスタイルはどんどん変化してきていると感じています。
「地域ならではの暮らしや文化を掘り下げたい」という志向の人が増えている印象があります。
加えて、これまでは観光体験が一つの旅館やホテルで完結していたところから、宿泊・食事・体験等が分散型となり、町全体に滞在できるエリア(まちごとホテル)が増えてきました。
暮らすような旅のスタイルに関心をもつ方々の存在や、それらが移住促進等にも繋がっている点で、日本各地がどんどん面白くなってきていると感じています。


100年生きて楽しい場所を作る

- これからについて思い描いている具体的な目標はありますか?
具体的な目標はあまりないです。
ただ、安藤忠雄さんの「100年生きて楽しかったと思える場所を作る」という言葉が自分の中でしっくり来ています。

実際に100年後に振り返るのは難しいので、明確なゴールは無いのですが、自分も含めて住んでいる人が、100年先も楽しいと思える地域づくりを目指したいです。


‐ 具体的にこれから取り組んでみたいことなどはありますか?
まず、VUCA時代と言われるように、先のことが分からなかったり、予測できない天災が起こったりする中でも、楽しく暮らせるまちづくりに興味を持っています。
また、亀岡市は2018年より「プラスチックごみゼロ宣言」を掲げていますが、環境に対する取り組みにも面白さを感じています。
しかし、環境への取り組みを真面目に続けるには根気がいるため、アートなどのクリエイティビティを活かしながら、楽しくて新しい体験を作れたらと考えています。
そうした取り組みが、ゆくゆくは地域の魅力として観光にもつながっていくのかなと思っています。


- 最後に学生に向けてメッセージをお願いします。
「最近は『好きなことを仕事に』と言われるけれど、やりたいことがわからない」という人にたくさん出会います。でも、やりたいことは、さまざまな人や環境に出会い・話していく中で見つかっていくものではないでしょうか。
また、観光を学ぶ以上日本文化はやはり素晴らしいものなので、観光業に限らず、日本文化を広げられるような仕事・取り組みに関わってもらえたら嬉しいです。


‐ 本日はありがとうございました。

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