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見守る力と問題解決について

今日は「見守る力」と「問題解決」についてー

今私は、絶賛、幼稚園の子の子育て中なのですが、先日、我が家に、幼稚園の友達が遊びに来た時のお話から。

自分の家なので、気分次第で、「あれをしよ」「これをしよ」と相手を振り回しているうちに、「かほちゃんがこれしよって言ったのに・・・」と不穏な雰囲気が流れ出し、とうとう二人は膠着状態に・・・

こういう時、「謝りなさい」と言うのは簡単だが、そこはぐっとこらえて、少しひいて、見守っていると、「もうかほちゃんのおうちに遊びに来ない!」と言われる。親としても、なかなかグサッとする言葉を言われ、少し気持ちが揺らぐ・・・。

お互いの気持ちを、お互いが伝え、受け取れるようにだけ手伝おうとするけれど、そう簡単には、解決しない。「だって、私はこれがしたいんだもん」と、泣きべそをかかれ、言葉もつたないため、なかなか議論にまでいかない。

でも、泣きながら我を主張している最中でも、不穏な雰囲気の中、「何か悪いことをしてしまった…」という気持ちは感じている。悪いな・・・という気持ちとは裏腹に、「ごめんね」とはなかなか言えない。そうだよね、大人だって「ごめんね」っていうのは難しい。

そんなこんなで膠着状態を見守っているうちに、友達のママのお迎えが来てしまう。

帰り際、「最後にありがとうだけ言って帰ろう」と、ママ友は我が子を諭すが、振り回され、納得のいっていない友達は、なかなか口を開かない。車に乗ってようやく鳥の鳴くような声で、「ありがとう」という友達。「最後、玄関までは見送りに行こう」と、なんとか玄関までは連れてきたものの、この状況、どうすればよいのかわからないのか、目も合わせず、玄関そばの植物の実を取り始める我が子。

最後も、やっぱり言葉では伝えられなかったけれど、取った実をそっと友達に渡して、お開きに―

手を出さず、「見守る」という行為は、なかなか深いものがある。

タオのマスターのKan.さんの著書『問題は解決するな』には、人間にはそもそも、問題を解決する能力はなく、「ただ見る」ことが重要であり、解決しようと手を出し、なんとかしようとするから、おかしなことになると書いてある。

何もせず、見守っていると、自然と解決するというが、まだまだその境地には至れない。

「これで良かったのか…」とモヤモヤした気持ちで友達を見送った後、我が子に、「手紙で伝えるという方法があるよ」と伝えると、「ごめんね、また来てね」「らいすき(だいすき)」と、黙々と3枚も手紙をしたためる。

言葉には一切出てこなかったけれど、やっぱりちゃんと内側では、色々感じていたんだなと知る。

日常の中で色々学びあり。タオの世界もやっぱり深遠。

この本おすすめです。


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