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【MBTI・心理機能考察】ENFJは何故Ti劣勢に見えないのかをESFJとの比較から考察する

まえがき

ENFJ。『主人公』とも評されるこのタイプは、どことなく知的なオーラを醸し出している。
自身の理想を雄弁に語るその姿を想起させてみてほしい。到底Tiが劣勢機能に置かれているとは思えないだろう。

そこでいきなりだが今回は、ESFJとの比較を通して、『ENFJがTi劣勢に見えない理由』について考察していこうと思う。


補助機能に現れる両者の違い

両方Fe主機能でTi劣勢。
調和を重んじるあまり持論を展開できず、一貫性や整合性が失われやすい点は共通している。
ESFJとENFJはぱっと見だとかなり似通っており、両者『いい奴』としてグループに属しているであろう。

しかし、その中身はかなり異なっている。

ESFJは補助Siを用いるため、経験則・常識に頼る節がある。その点、内省的に何かを振り返る機会はそこまで多くない。

一方でENFJは補助Ni、自身の中の信念・イデオロギーに頼る節があるため、ESFJに比べるとかなり内省的で、繊細な一面を持ち合わせている。


第三機能に現れる両者の違い

第三機能から考えても興味深い違いがある。

ESFJは代替Ne。
経験・常識じゃ超えられない何かにぶち当たった際に、ある程度可能性を考慮して動く節があるが、Neの特質上それは発散する傾向にあり、それは脳内で完結するため、うだうだと何かを考えたり、変な失敗をする事は少なそうだ。

第三機能はその性質上ネガティブに働くことが多いが、Neがマイナスに働いたところでそれは悪い妄想に留まる。神経衰弱に陥ることもあるだろうが、“かえって行動しなくなる”わけで、大きな失敗を犯してしまう事は少ない。

一方でENFJは代替Se。理想が実現できないものとなると、極端に現実主義となり、パワープレイに走ることがある。もちろんSeも発散的な機能なのだが、それはこの瞬間に起こす行動に対して焦点が当てられており、Neのように脳内だけで完結するものではない。

理想のために生きるか、理想を諦め現実主義で行動するか、といった辛い葛藤に苛まれることとなる。それにSeはマイナスに働くので、変に刺激を求める快楽主義に陥ったり、余計なことをして損をするようになってしまうかもしれない。明らかにリスキーであり、一挙手一投足に熟考の必要性が生まれる。

もちろん社会に、特にこの日本においてはSiは強烈な威力を発揮するため、ESFJは主機能と補助機能だけで十分に生きていける。第三機能はあれば良い娯楽のようなものだ。

一方でNiは未来から逆算されて作られた信念の集合体であり、それに任せて社会を生き抜くのはあまりにも頼りない。

結果的に、ENFJは第三機能に目を向けることになり、理想と現実のギャップの中で内省的にならざるを得ないのだ。


本題


こう考えると、ENFJは日々自己のNi的観念が現実的(Se)で周囲から賛同される(Fe)ものかどうかチェックすることになる。その過程の中で理想像は研ぎ澄まされたものとなり、客観的に見て最もらしいものへと変化していく。

それに内省の機会が多いがゆえに、段々と思考力もついてくることが多い。

思考力と心理機能は切り離して考えられる。普段生きていく上では調和第一だが、何か意見を求められた際にはNi-SeとFeを組み合わせ作り上げた、「正しいように思われる」信念を提示できるし、持論を求められた際にも、培った思考力を活かしてなんとか答えを出せることが多い。

これがENFJがTi劣勢だと思えないような、筋の通った持論を持っているように感じられる理由である。


Ti劣勢はEXFJにおいてどう現れるのか

ここまで、ESFJとの比較を通し、「ENFJはなぜTi劣勢に“みえない”のか」を分析してきた。では、Ti劣勢とはどういったものなのか、MBTI理論における定義上の解釈を踏まえた上で解説する。

先ほど述べたように、MBTI理論においては思考力と心理機能は切り離して考えられる。
ENFJは浅い知識だとTi劣勢には到底見えないように感じられてしまうが、それはTiへの解像度が低いからである。

Tiは巷でよく『論理的思考』と表されるが、その説明は能力面に偏っており、本質的には『持論』『狡猾さ』に近い。独自の理屈で物事を解釈し、そしてそれを“意思決定の基準として用いる”機能であるからだ。
N/Sが知覚機能であるのに対し、T/Fは判断機能であると説明される。思考を回転させるだけでなく、それを独自の論としてまとめ用いる機能。それがTiである。

この機能が劣勢であるわけなのだから、話の辻褄が合わなかったり、話がまとまっていなかったりするのにも関わらず、善意を持とうとするあまり(わかっていても)騙されてしまったり、整合性よりも調和を優先するため、一見筋が通っていないように見えて八方美人に思われる可能性がある。

一応他者の感情に配慮した視点を設ければ、EXFJ(主にENFJ)の判断はある程度筋が通っているのだが、因果関係だけに着目すると違和感が生じてしまう。残念ながらそのような姿勢は多くの場合誤解される。

結局、良くも悪くも周りに流されやすいのだ。
論理的思考力そのものが欠けているという訳ではなく、他人から独立した独自の論理的判断を行うことが苦手で、利己的に動くことができない。

場合に合わせて柔軟な思考を展開でき、時に独善的に動くことのできるTiが働かないので、合わない人と無理に付き合い続けて消耗したり、周りのみんなが言っている事を吟味せずにそのまま信じてしまったりすることがある。

しかし、彼らはそれで心地が良いのだ。
主機能は最も大切にしている機能であり、劣勢はその逆である。重要性を理解してはいながらも、自分にとっての優先度はそこまで高くないが故に、意識の外に置いている訳である。

確かにEXFJは他者の意見や感情に流されやすく、自己の論理を犠牲にすることがある。しかし、これは彼らの強みでもあり、周囲の人々との関係を円滑に保つことができるし、それは(彼らにとって)心地よい環境そのものなのである。

つまり、EXFJのTi劣勢は、論理的思考力そのものの欠如ではなく、独自の論理的判断を行うことの難しさにある訳だ。

今まで述べてきたように、ENFJは内省的な側面を外向にしては強く持つため、ESFJに比べれば思考する頻度が多く、それなりに独自の論理的な考えを確立している場合が多い。

しかしながら、それは柔軟にその時その場で作り上げられたものではなく、かつ実際に行使することができない。無用の長物のようなものなのである。


余談

ここまでの文章で、ENFJはTi劣勢であるものの、内省の頻度が多いことから、持論や思想を作り上げる傾向にあることを解説してきた。

一応釘を刺しておくが、そうした点を過度に評価し、ENFJ>ESFJ のように判断するのは明らかに軽率である。

何回も繰り返すようだが、ESFJはその経験則と常識的判断で虎の尾を踏むことがほぼなく、人間関係においても問題を抱えづらい。

あなたも記憶を掘り返してみてほしい。何か重大な揉め事が発生した時、ESFJは大抵その場にいない。独特のセンス(Ne?)で危険を察知し回避しているのだ。『我関せず』の極みである。社内調整役として、どの組織でも重宝されるであろう。


一方でENFJは自身の理想像のために周囲を巻き込んでしまうため、変な失敗をしてしまうことが多い。

それにしょっちゅう同じ轍を踏む。周囲に合わせすぎて気を病んでいるし、常識と自身の理想の乖離に悩まされている。人間関係における揉め事にも何らかの形で(意図せずとも)関係していることが多い。


しかしながら、ENFJは仲裁役にいる事が多く、優れた人格者として場を平定するために、問題事に自ら入り込んでくる事がある。勿論自身も割りを食うのだが、Fe的価値観とNi的理想像が指し示すままに、問題事を解決してくれる事があるのだ。

その能力を十分に活かし切る仕事が政治家である。ENFJはFe+Ni+Seをフル活用して真っ直ぐな政策を掲げ、政界に参入しがちだ。実際に、ナレンドラ・モディ印首相やバラク・オバマ前米首相は巷でENFJとタイピングされている。

おわりに


ここまで考えると、ESFJはFeを『人間関係の維持』に、ENFJは『人間関係の解決』に利用する傾向にあると言えよう。

両者の間に優劣はつけることはできない。ESFJの揉め事を起こさないセンスは群を抜いているし、ENFJの人間関係における解決案の捻出能力は頭抜けている。

両者ともFe-Ti軸で一見似通っているように感じるが、その全容は大幅に異なっている。たった一文字、されど一文字。SとNの違いが、ここまで性格において大きな差異を生み出すのである。

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