「家族愛」とは何ぞ

先日もまた母に傷付けられる出来事があった。近親者から向けられる刃ほど深く刺さるものはない。


小さい頃は母のことが大好きだった。ハキハキしていて明るくさっぱりとした性格で、何より私のことを心の底から愛してくれていることがよくわかった。母のようになりたいとずっと思っていた。

でも、長じてからはむしろ近くにいることが鬱陶しくなってしまった。恐らく私が反抗期を迎えたのではなく、母が変わってしまったのである。
竹を割ったような、細かいことは気にしないような性格だったのに、言葉尻を捉えて都合の悪い様に解釈したり、ちょっとしたミスを責め立てられたり、とにかくヒステリックになってしまった。

本当に母が変わってしまったのかはわからない。年齢を積んで少しは多角的にものを見ることができるようになったから、それまで見えていなかった部分が見えるようになっただけなのかもしれない。それはともかくとして、私が憧れていた「母」という像は儚く崩れ去ってしまった。

最近の母は人を責めてばかりである。先日もまた私が悪者になった。祖父を連れての旅行を計画・手配した私に、母がいくらかのお金を包んで来たのだ。
諸事情により今回連れ立つのは祖父と叔母だけで、母は同行しない。同行しない人からお金を受け取る義理はないので当然お断りしたが、これにご立腹だったらしい。
曰く、「私がしてあげられなかったことをしてくれるので、感謝を表現しようと思った」とのこと。断った時に言われたセリフは「祖父に対する孝行を独り占めしようと思っていたのに気付かず、邪魔してごめんなさい」である。

単に受け取る理由が無かったので断っただけなのだが、こんな言葉を吐かれてしまったので「自分だけ祖父に孝行して、母の申し出は蹴る自分勝手な奴」に仕立て上げられた。いやいや、娘が祖父孝行をしようとしているのに自分もそこに乗っかろうとする方がおかしいでしょう。
今回、旅行の行き先や宿の手配の検討、新幹線や特急の予約、タイムスケジュールの作成は全て私一人で行った。当然費用も大半が私持ちである。自分から企画したとはいえ、大変だったし色々悩んだし、時間もお金も使った。
そこに何も関わりのない母がひょっこり出て来て、お金だけ出して「私も親孝行してるの!」なんて主張は理不尽すぎるだろう。
また、もし「何もできていない」という自覚があるのであれば、娘のしたことに乗っかるのではなくて自分で父(私から見た祖父)が喜ぶことは何かを考えて行動しないといけないはずである。


要するに、母の今回の行動は「娘の行為に乗じて自分も孝行した気になりたい」故のもの。
新幹線のチケットを取った時、あまりにも高くてつい母に愚痴ってしまった私も悪いかもしれない。でも、本当に私の懐事情を心配してくれていたなら、断った時に「本当に大丈夫なの?」などという言葉が出てくるはずだと思う。少なくとも機嫌悪くなりはしない。
思い通りに行かなかったから駄々をこねているだけ、つまり私のことを思ってしてくれたことではなく母の自己満足なのである。

あまりにも情けないのと何も悪くないのに悪者にされてしまったことが悲しくて泣いてしまったのだが、泣いている私に母が掛けた言葉は「嫌な気持ちにさせてすみませんでした。もう泣かないでください」。そして物に当たる。情けなくてさらに泣いてしまう私に何度も「私が悪かったです。許してください」。
泣いている私に理由を聞くことも、慰めてくれることも一切せず、自分が悪者にならないために私に責任を負わせてきた。


今の母が最も愛しているのは自分なのだろう。近頃よく「いないともう無理だったかもしれない」とか(誕生日に)「生まれて来てくれてありがとう」とか言ってくるが、自分の写し身だからに他ならないと感じる。機嫌を取ってくれる便利機能付きの、愚痴を吐き捨てるゴミ箱はそれは都合いいだろう。本当に私のことを大事に思っているならば、少なくとも泣いている私を気遣うこともせずに「もうやめてください」と自己保身に走ることはない。

最近のヒステリック度合いは普通ではないので、何かしら精神を病んでしまっているように思われる。他にも食事を摂らなかったり、自分の話しかしなかったり。母に対するメンタルケアが足りないのかもしれない(父は何もしないので)。


でも、病気なら、娘を傷付けて泣かせてもいいの?話したいことがあって母に話しかけたのに、話を奪われて自分のことにされてもちゃんと聞いたり、私が作れば食べてくれるかなと思って食事を作っても「おいしい」も何も言ってくれなかったり。これらは我慢はできるけど、やっぱり苦しいし悲しい。私のことは愛してくれているけど、病気が邪魔しているのだろうか。病気ならヒステリックになっても仕方がないし、嫌な思いをしても我慢しないといけないのかな。我慢できない私は悪い娘なのだろうか。我慢できないのはむしろ、私が母を愛していないからなのか。

精神科に連れて行こうと考えたこともあったが、自分で「鬱病の薬出された」という話をしてきたことがあったのでもう掛かってるっぽい。どうしたらいいのだろう。一緒に病院に行った方がいいのかな。一緒に行って何か変わるのかな?
そして病名が分かっているのなら、症状等の詳細を話してくれないとどう振る舞っていいかわからない。なんで母は何も報告してくれないの?頼りないと思われているから?ということは、母は私からの愛を受け取れていないってこと?

人間として生まれた以上は自分が一番大切なのは当たり前である。自分という存在が終わってしまえば、人を愛することもできやしないし。
それなら、どこまで相手を優先すれば愛と呼べるのだろうか。ていうかそもそも「愛」って何だろう。「この人に幸せになってほしい」って思うこと?
人間が他者に向ける「愛」を定量的に計測することは不可能だから、「愛」というものは人によって違うのかもしれない。

ここまでお金も手間も掛けてもらっているのに、母を疎ましく思ってしまう自分が心底嫌だ。だからと言って母のヒステリーを全て受け入れるだけの度量は持ち合わせていないし。本当に愛しているのなら全て受け止められるのかな?

結局私も自分を一番愛しているってことなのだろうか。情けないなぁ、他の人を何よりも優先させられるような清い人間になれたらいいのに。



(追伸)
「なんで泣いている時に距離を取らなかったの?」と思う方もいるかもしれない。答えは「実家にいる時に起きた出来事で、実家には個人の部屋がないから。帰ろうとするとさらに機嫌が悪くなるから。」である。
実家から私の家は近いのでちょくちょく行っているのだが、実家には部屋がないから一人になる空間が作れない。
前に同じようなことがあった時に自分の家に帰ろうとしたら、「娘にそんな嫌な思いさせる母親なんていらない!」と言われて飛び降りようとされたので結局帰れなかった。(本当に死のうとしたのかはわからないが)
娘が帰って来たのが嬉しかったらしく、「帰る」と言われてすごく悲しかったらしい。それならそもそも、泣いてしまうようなことしないで欲しいけど...

あんまり実家行きたくないけど、高齢の祖父が心配なので叔母(ちなみに2人いる)が仕事で不在の日はテレワークするようにしている。それで母とも顔を合わさざるを得ないって感じです。

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