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レイチェル「神は死んだ」

この記事には以下のストーリーの内容のネタバレを含みます。

・黎明の星に祈りを託して

・神に捧ぐは血と光

・メインストーリー1部、2部


今回から、該当の記事がどの程度テキトーな考察かを示す、「ガバガバ度」なる指標を導入して、記事を読むという行為がいかに時間の浪費につながるかを、予めお知らせするようにします。(なんて親切設計)レベルⅠ~Ⅵまでの六段階で表示し、レベルが高い方がよりガバガバになる寸法です。


では改めまして、今回のガバガバ度は.....







ガバガバ度【レベルMax】!!!!


イェ~イ!!!!いきなり天井突破です!!これより先は荒唐無稽のお話が展開されます。時間のない方は、即時撤退を。時間のある方も、人生の貴重な時間をドブに捨てる覚悟でお進みください。

今回は前回の記事で予告したように、レイチェルというユニットが今後どのような役割を担っていってほしいか、私の希望を含めて語っていきます。

まずは、下準備から....


〇偽りの神 デミウルゴス

スカイレルムのレベルⅥは「デミウルゴス」という名で呼称されています。道化のようなマスクに、ランランルーの構えをした神を名乗る方です。


この方、キリスト教グノーシス主義に出てくるデミウルゴスをモチーフにしていると思われます。なぜ偽りの神と呼称されているか、まずはそこから...

キリスト教キリスト教グノーシス主義という二つの宗派がありますが、この間の決定的な差は創造主の捉え方です。

主流派キリスト教は、世界を創造した神こそが善であると考えます。この考え方、実は大きな問題と呼べるものを孕んでいます。それは「悪の起源」についてです。

この問題を扱った物語として、ドストエフスキーの名著「罪と罰」に出てくる反カトリックのイワンの教説があります。

イワンは「両親に虐待された末に死んだ幼児の話」をします。
何の罪もない幼児を両親はただ邪魔だからという些細な理由から虐待し、幼児は糞塗れで死んでいきます。

なぜこれほどの「悪」がこの世界に存在しているのでしょうか....
善なる神が作ったはずの善なる世界に、なぜ「悪」が存在しているのか?
もし本当に神が世界を造ったのだとしたら、「神はこの幼児に加えられた窮極の悪」を許していることになります。

いや、許しているどころか、神がその意志により世界を造ったのだから「悪を望んで」さえいます。

善なる神がなぜ悪を許すのか、
なぜ人類は悪によって苦しみ続けなければならないのか

この難問に対するキリスト教、ユダヤ教側からの一応の回答として『ヨブ記』があります。

神とサタンとの賭けの対象となってしまったがために、義人ヨブが様々な苦難を受けるという話です。
苦難は理由もなく突然、何の前兆もなしにヨブを襲い、ヨブは家族や財産をすべて失います。
なぜ自分がこれほどの禍いを受けなければならないのか、ヨブは苦悩しますが神を信じ続けます。
サタンや友人たちによる説得や誘惑をはねのけ、神への信仰を捨てなかったヨブは最後は神によって報いられます。

つまるところ偉大なる神の意図を矮小な人間は理解することができず、すべては神の不可知の意思によるところであり、人間が可能なのは神を信じることだけである、ということになります。

う~ん、曖昧、ミー、マインですね....


キリスト教ができてから遙かに時を経た、ドストエフスキーにも突っこまれているんですね.....


一方グノーシス主義者は、世界に悪があるのはこの世界を創造した者が悪であるからだ、と単純に考えました。
善なる神ではない悪の体現者(デミウルゴスや、ヤルダバオトなどと呼ばれる要するに悪魔)が世界を造ったのだから世界に悪があるのは当然とします。

....とはいえ、善なる神と悪魔との間に繋がりがないわけではありません(悪魔も神の要素を微かに有しています)

宗派によっても異なりますがグノーシス神話における善なる神は「何もしない」か「消極的」です。
ただし善なる神を仰ぎ見る天使的な存在がいます。

そのうちの最後列にいる天使(男性的天使と女性的天使の対存在であることが多く、女性的天使はソフィアと呼ばれることが多い)ですが、

....ん?ソフィア???


いや、話を戻しましょう(笑)

彼女(あるいは彼)は好奇心から神を直接知りたいと望みます。

この好奇心による過ちが、重大な事件を引き起こすのです。
あまりに不遜な試みゆえに、ソフィアは神のいる世界から弾き飛ばされそうになります(落下します)

このとき、ソフィアは自らの内にある「情念」を切り離して神のいる世界にとどまりますが、一方切り離された情念は、神の世界からこぼれ落ちます。
どこへ落下するかというと、暗い水面(創世記に対応)、深淵等のはっきりしない時空です。

この「情念」こそが、創造主デミウルゴスとなり、世界を創造する悪魔となります。
神との繋がりを保ちつつ、悪の起源を天使の好奇心(「情念」)と位置づけることで、グノーシス主義者は「世界に悪が存在する理由」について応えようとしました。


ややこしいというかひどく迂遠な思考法ではありますが、すべての一神教は構造的にこの問題を避けて通れません。

善と悪の神を前提とする「二元論宗教(例えばゾロアスター教)」ならば答えはもっと簡単で、人間は善と悪との闘争に巻き込まれており、人は悪と戦わなければならない、となります。




〇結局、悪の起現って何だろう?


この疑問は、日々あらゆる所で繰り広げられる、目を覆いたくなるような事件を思えば、現代人にも通用する問いとも言えます。

この難題に対する明快な答えを人類は未だ持ち得ていないのではないでしょうか。(特に神を信仰しない人は、神を前提とした道徳を語られても、「何ソレ、おいしいの?」ってなりますよね)

この難題に対し、真っ向から勝負を挑んだ方がいます。それがニーチェです。



〇遂にタイトル回収

ここまで長文をお読みいただき、大変お疲れさまでした。「は?レイチェルの話を見に来たんだよッ!!!ふざけるなッ!!

とお怒りの読者の方、申し訳ありません。が、やっと辿り着きました。

ニーチェはその著作『ツァラトゥストラかく語りき』において、神の死とともに超人思想を説いています。
(因みにレイチェルのイベストの題名も似たようなものがあります。偶然かもしれませんが…)


「神は死んだ」という有名な文言によって、ニーチェは神が死んだあとの世界、神無き世界を読者に現前させます。

ここでのミソは、二元論的な宗教の開祖であるツァラトゥストラ(ゾロアスター)に「神の死」を宣言させているところにポイントがあります。

つまり「悪の起源」に対して「二元論宗教」という便利な逃げ場は使えないよ、とあらかじめくぎを刺しているのです。
ニーチェは神という安易な避難所に逃げ込むことなく、なぜ悪は起こるのかということについて、とことん思索を突き詰めようとしたのでしょう。

正直、「悪の起源」等についてのニーチェの考えを私自身しっかりと理解しているわけではありませんし、ここでその話をすると記事が冗長になりそうなので、思い切ってカットします(ここは逃げの一手だッ!!!)

この先話を進めるのは「神なき後の世界」についてです。ラスピリでは現在、ウィンター達によるレベルⅥ狩りの真っ最中です。順当にいけば、デミウルゴスも、さよなら、バイバイするでしょう。



スカイレルムは、その後が大きな問題となるでしょう。


天空人は神の存在しない空疎な世界に捨て置かれます。

これまで当然のものとしてあった絶対的な真理や絶対的な善、生きるための心の支え、あるいは神からの祝福(ギフト)さえも、突然失うことになります。昨日までは考えもしなかった現実にきっと人々は大きな絶望に襲われることでしょう...

しかもそれは一時的な絶望や苦しみではありません。どれだけ理由や意味を考えても答えの出ない苦痛が人々を襲い、
いま感じている苦痛は明日も感じているだろうし、百年後の誰かも同じ苦痛を感じていることでしょう。
苦難と苦痛が延々と人を苦しめ続け、それは救済されることなく、未来永劫終わることがありません。

苦痛あふれる世界が永劫に回帰するのです

(ニーチェは永劫回帰と呼ばれる考えを提唱します。これは輪廻転生のような死んで他の生を生きる考え方と違い、自分が死んでもまた同じ自分に生まれ変わり、同じ人生(同じ苦しみ)を生きるしかないのだ、と言います。えげつねぇぜ、ニーチェさん。)

つまり、ニーチェが言う永劫回帰とは、意味が喪失した無の深淵のなかで、苦痛に満ちた同じ「生」を永遠と繰り返し生きることにほかならないのです。

この途方に暮れるような絶望的な状況下でニーチェはツァラトゥストラを通じて人々に「然り(それでよし)」と言える人間、「超人」になれというのです。

聡明な読者の方々は、既に私の稚拙な考えは理解されているでしょうが、もう少々お付き合いください。

つまり、

ツァラトゥストラ=レイチェル

の役割と考えます。

神の声を聞き、神をもっとも敬う彼女の口から告げられるのです。

レイチェル「神は死んだ」

彼女のすべてであった神を失い、最も絶望するであろう彼女が、自らこの宣言をすることに大きな意味があるのです。そして彼女が願いを託されたように、

彼女の言葉で天空人を導くのです。

「この先理由なき苦痛が皆を襲うことでしょう。意味なく失われる命は数多、絶望の淵から救ってくれる心の支えもなく、魂が救われることもないでしょう。それは、あなたやずっと先の未来を生きる誰かも感じる苦痛でしょう....

でも、嘆いてばかりではその苦しみから解放されることはありません。あなたはあなたの人生を生きることしかできないのですから。ならば嘆くのではなく、あなたはあなたの人生を肯定しなさい。どれだけこの世界の不条理にあって絶望を感じたとしても、あなたはこれこそが人生だ、これで良いのだと、ただあなたの人生を肯定しさえすればよいのだ」と。

きっと彼女がスカイのホープとなってくれることでしょう。


ここまでお付き合い、ありがとうございました。