映画を早送りで観る人たち を読んだ

GWに2時間くらい電車に乗る用事があったので、移動のお供でパラパラ読んだ。筆者の独特な?評論口調があまり得意ではなかったが、早送り消費が行われるようになった背景をコンテンツ供給側と消費側(とくに傾向が顕著なz世代)から読み解いていてそれなりに面白かった。映画や動画のアクセシビリティが上がって日常に溶け込んできたことと、コミュニケーションの共通項がなくなってきたこと あたりが要因なのかな。

映画もドラマも ”特別なもの” ではなくなった

  • わざわざ映画館に行ったり、放送時間にあわせてテレビ前で待機する必要もなく、いつでもどこでも手軽にほぼ無料で観れるようになった

  • より日常に溶け込んできた(ハレ ではなく ケ になった)

  • 日常生活においては想定外のドキドキをしたくないので、心の平穏を保つために早送り消費が行われる

    • 好きな音楽のサビ部分を聴いてテンションを上げるのと同じような感覚で映画やドラマの好きな部分だけを早送りして観る

    • 感情の起伏を節約したいってどういうことなのかな〜と不思議に思っていたけれど、たしかに日常生活という括りで捉えると想定外を減らしたい気持ちはすごくわかる

    • 疲れたときに結末を知っている映画(= 安心して観れる映画)を垂れ流すことがあるのだけれど、それと同じような感覚なのだろうな〜

  • do ではなく be に

    • 映画を観る という行為が、映画を観て自分がどういう感情になるか という行為に変わってきたことを、”do ではなく be になった” と表現していてこれは良いフレーズだなと思った

    • そういえば自分も「君の名は」を5回くらい映画館に見に行ったけど、あれは完全に be の感覚だったな〜ということを思い出した

      • 当たり前だがストーリーは分かりきっているので、めちゃめちゃ豪華な Music Video を観るような感覚でみていた

コミュニケーションの ”共通項” が消滅した z世代

  • 誰かと繋がって安心したい(同じ集団に所属していたい) というのは普遍的な欲求だが、そのための共通項が減っている

  • 昔に比べて、友達が今何をやっているか、何に興味関心を持っているか が分かりにくくなっていて、それが故に友達との会話に置いていかれないように常にアンテナを張っておく必要がある

    • みんなテレビを観ていた時代はとりあえず話題の番組抑えておけばOKだったが、今やみんなスマホで別のものを観ている

    • 「あれ観た?」や「これ面白かったよ!」という話題に付いていくために、それぞれがオススメするコンテンツを消費しないといけない

      • コミュニティの数だけコンテンツが増えるので圧倒的に時間が足りないのと、あくまでコミュニケーションのためなので早送りで十分事足りるという構造

余談的に、「コレを抑えておけば安心」という共通項が消えたことによって、心の拠り所を作るため & コミュニケーションの共通項を作るために ”推し活” という行動がよりメジャーになっているのかもなーと思った

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