僕がピロウズをどう受け取ってきたか

※長いです

はじめに

ピロウズ35周年おめでとうございます。ピロウズは昔から好きで何か書いてみようかなとかときどき思ったりしていたのですが、自分より表現力も発信力もある人たちはいっぱいいるし特別何か知ってるわけでもないしな、と特に何もしていませんでした。まあ普及に役立つわけでもないけど、お祝いの気持ちを表したい、同じようなこと考えてる人がいたら読んで楽しいかもしれない、何より自分が今書いておきたい気分だ、というので35周年を機にピロウズをどう受け取ってきたのか書いてみたいと思います。時系列や事実関係に合わないところがあるかもしれないけど大目にみてください。

BLANKEY JET CITY

いきなり違うバンドが出てきて申し訳ないです。どうやってピロウズを知ったかという話から始めるわけですが、これが結構重要で90年代後半、バンドマンでも重度の音楽好きでもない田舎の人たちはピロウズに行き着かないはずなのです。インターネットもやっと普及しはじめたくらいで動画はないし文字情報もスカスカな時代でした。どんな流れだったか音楽好きの同級生が洋楽のCD数枚とブランキ―を貸してくれたのです。ブランキ―の第一印象は正直なところ「うるせえな」だったのを憶えています。ボーカル強すぎないか?音量調節ミスってないか?と。だけど演奏はかっこいいし何度か聞いていると歌詞の独特さに気付いていきました。また攻撃的な印象と違ってその激しさがこっちに向いてこないというか、内に内に純度を高めていく感じというか、そういう感性がわかってきました。その結果最初の違和感はなくなり、大好きなバンドになりました。なんかちょっと違うかも。僕はそんな単純に好きなものを好きと認識するタイプの人間ではなくてもっとひねくれた奴でした。でももっと聴きたいと思ったのは確かで、レンタルCD借りたり音楽雑誌やネットで情報探したりしていました。そして、どうやら活動休止しちゃってるらしいということ、でもまた活動再開に向けて動き出しているらしいということを知ります。そして新曲がラジオのエンディングテーマになるらしいということを。

中村貴子

そのラジオ番組がNHKFMミュージックスクエアです。平日21時から23時前まで、学生の勉強のお供に最適な番組でした。邦楽ロックを中心にテレビのランキングチャート20位には全然のらないような曲からぎりぎり入ってくるような曲まで、いろいろな音楽が流れていました。デビュー前のゆずもデビュー前のバンプオブチキンもここで知りました。パーソナリティー中村貴子さん、貴ちゃんはまあある種のカリスマでしたよね。声も良かったしなんか上辺だけのことは言わないみたいな信頼感がありました。通常パートの淡々とした進行と、ギャップのある楽しそうなゲストのインタビューコーナー。ミュージシャンからの信頼もすごく厚くてみんな率直に話すのでそういう姿に触れられる唯一の場所でした。ブルーハーツが解散発表したというのは間に合ってないんですが、それこそブランキ―がゲストのときはこんな風にしゃべるんだとかベンジーって呼ばれてるんだとか、ピロウズもこういうユーモアを持った人たちなんだとか、人となりを知ることができました。有名無名問わず、といっても自分が知らないだけだけど、中村貴子が良いと思った音楽だけをかけていくわけですが、その中でも控えめながら一番プッシュしていたのがピロウズなのかなと感じていました。もちろんあからさまにひいきしていたはずもなく個人的に勝手にそんな印象を持っただけです。貴ちゃんのおすすめには既に全幅の信頼をおいていた当時の自分ですが、最初はピロウズを何でそこまで推すのだろうと不思議でした。ピロウズの音楽は心地よくて、きれいなメロディと複雑に響くコード進行とで、いいなと思いながらも聴き流してしまいそうな感じでインパクトが薄かったような気がします。あれ何の曲が流れてたんだろうなあ。音源の音質的におとなしく聴こえたのかもしれません。貴ちゃんはライブがいいからぜひライブに行ってみてほしい、と強調してました。僕の中でピロウズは他の良いバンドたちに埋もれそうになっていたのですが、貴ちゃんが特に勧めるならというので注意を向けていった感じでした。

中村貴子(おまけ)

ここは特にピロウズとは関係ない思い出話です。ミュージックスクエアを離れてから貴ちゃんの声を聴く手段はなくなりましたが、ねぼすけ日記という個人ブログを書かれてたので、それをずっと読んでました。この妙なところに発揮される執着心。ずいぶん経ってからだと思うけど、貴ちゃんがイベントに出るという情報を知りました。各分野の第一人者が高校生と一般向けに授業をするというサマースクール。ふーんそんなのあるんだ、名古屋でやるのか、あれ、そのとき大阪から東京に出張だな、途中でいけなくもないな、とぼんやり思っていたのが、よし行こうと急に思い立ったのです。予約不要だったのか予約だけしてたのか全然覚えてないけど、ろくに調べもせずに参加しました。ラジオで聴いていたあの声で目の前でしゃべってる、という感動。ただ何というか現実感のなさ、そのときも今思い出しても幻のようでした。サマースクールのメイン会場はどこかの高校でしたが、貴ちゃんはサテライト会場だったんですよね。けっこう遠くてバスで20分くらい離れた場所だったと思います。会場を間違えた女の人が息を切らしながら講義の中盤くらいに教室に飛び込んできたのを覚えています。中村貴子に会う機会なんてそうそうないわけなので気持ちは分かります。というか実は、僕も会場を間違えていたのです。急遽行くことにしたので名古屋駅から慌ててバスに乗り、確かめもせずに主催している高校に向かいました。校門あたりで配っていたパンフレットみたいなのを受け取り、中村貴子の教室を探しました。たぶん50人くらいの講師の中からようやく見つけると全然違う場所らしい。もともと遅刻気味だったので愕然としました。しかし、勘違いが2つ重なっていたのです。場所だけでなく時間も間違えていました。12時からだと思っていたのが午後2時からだったのです。そういうわけで僕は余裕をもって到着でき何食わぬ顔でふつうに参加してました。講演が終わったとき、貴ちゃんが会場の雰囲気を見て、話せるときに話しとかないと後悔するよ、と言うと、ばあっと貴ちゃんの前に長い列ができました。みんな順番に握手をしたり話をしたりしてました。僕は出遅れてしまったというのもあるけど、みんなほどの熱量はないんじゃないかとか、相手を目の前にして何も話せなくなるだけだろうなとか考えて、そのまま帰りました。後悔しないかと自分に問いかけ、無理だったことを憶えておけと思っていました。だからこの気持ちを憶えているのですが、まあ何の意味もありません。何か話せる人間だったらよかったなと思うだけで、今もそうはなってなさそうなので仕方がない。

ピロウズ(1)

さてピロウズです。どう受け取ってきたかということで、なるべく一曲一曲に深入りせず事実関係もしっかりとは確認せずに、自分の印象だけで書いていきたいと思います。とはいっても時系列に沿って思い出すためにアルバム発売時期は調べました。Please Mr.Lostmanが1997年1月、LITTLE BUSTERSが1998年2月のリリース。この2枚は自分がピロウズを知る前にリリースされていた曲という認識です。自分が知る以前のものとリアルタイムに追っていたものとでは主観的に明確な区別があるのが普通だと思います。ただ今回確認したところでは上記ブランキ―のガソリンの揺れ方が1997年5月リリースのようなのでLITTLE BUSTERSのときは知っていたはずと分かりました。そうなのか。たぶんこのときはピロウズがまだ特別な存在ではなかったのでしょう。前後の脈絡は憶えていないのですがピロウズを急に意識した瞬間の記憶があります。誰かの運転する車の助手席でラジオからふいにアナザーモーニングが流れてきました。あ、ピロウズだと思ったので知ってはいたことになります。「どんなに寂しくても誰も迎えに来ないよ」「扉の向こうには約束なんてない、でも行こう」こういう歌詞が、その意味が、真正面からぶつかってきたような気がして衝撃を受けました。ピロウズには特別な何かがあると気付いた瞬間でした。レンタルCD屋さんを2、3件回るとこの2枚のアルバムを借りることができました。MDだったかテープだったかにダビングして何度も聴きました。テープですね。片面の分数が決まっていたりして、順番を入れ替えたり最後のところが切れてしまったり自分が嫌なつなぎにならないように調整したりして録音しました。なので曲名とか歌詞カードがないので歌詞とかがあやふやな状態です。だいたい当時の歌手のアルバムには、気にならない曲とか明らかに数合わせで入れたんじゃないかという「捨て曲」が入っているものでしたが(ホントかな)、ピロウズにはそれがなかったのも印象的です。まあそれでもBlack Sheepだけは当時気にくわなかったんですけど。ストレンジカメレオンはやはり突出した存在感で、太宰治の人間失格みたいに自意識にガンガン働き掛けてくる作品でした。題名が分からないのでSUICIDE DIVINGはこの題名とは全然思ってなかったし、その他の曲も歌詞がなかなか頭に入ってこない感じで聴いていました。だけどその歌詞の特別さは明らかで、平凡な表現がひとつもなくて、「ねじれた鎧を脱いで旅に出たカタツムリ」「時代が望んだヒーロー目の前で倒してよ」とか意味が深く読み取れるごとに、ピロウズにはまっていきました。一見地味な曲であるNowhereなんかも「リアルな未来が怖くて時間を止めたいと願ってた」とか全編に渡って刺さりまくる歌詞で、ごくごく個人的だと思っていた気持ちにとんでもなく高い解像度で表現を与えているのです。これはたぶん数年後でCDを買い直した後だったと思いますが、それまで聴き流していたlike a lovesongの一部にドキッとしたことがあります。「賢すぎるからバカなふりをして混ざろうとしてもキミには似合わないぜ」あまりにも偉そうなのではないか、こんなことを公言しても許されるのか、そして、自分はそういう気持ちが奥底にあったんじゃないか、そう言ってほしかったんじゃないか。まあここまで歳を重ねたら賢すぎるはずがないことは判明しているのですが、当時も頭では分かっていたはずですが、気分としてそうだったのかもしれないと思っています。そんな感じでピロウズは、もやもやした状況、ペシミスティックというんでしょうか、それを100%以上の表現で表現した上で、そのうえで「明日を待ってる」「でも行こう」と根拠もなく少しだけ背中を押してくれる存在でした。

ピロウズ(2)

ドハマりしている自覚なくドハマりしていったピロウズですが、待望の新アルバムは1999年1月のRUNNERS HIGHでした。その次のHAPPY BIVOUACが1999年12月なので続けざまにすごいアルバムを出してきたという印象です。ミュージックスクエアでシングルのNO SELF CONTROLやら聴いていたと思います。こういうのをオルタナっていうんでしょうか、いまだに分類があやふやですが。予約まではたぶんしてないけど発売直後の週末に楽器屋さんで即購入して聴き倒しました。RUNNERS HIGHは短めで30分くらいで終わるアルバムという記憶だったけどそんなことはなさそうですね。アルバムとして通しで聴いたときのまとまりのよさ、完成度としては一番だと思っています。一番繰り返し繰り返し聴いたアルバムだからそう思うのかもしれませんが。すべての曲がいいので逆に突出して良いものがないというか、シングルっぽい売れそうな曲がないというか、そういうのは当時からの認識でした。歪んだベースから始まるSad Sad Kiddieのかっこよさから、まあ一曲一曲触れていくと大変なので、とにかく終わりまですべていいのです。HAPPY BIVOUACも発売直後に買いました。こちらも全曲良いのは同じなのですが、RUNNERS HIGHと比べると少しばらつきがあるというか、一曲一曲が粒だっているような印象でした。歌詞の良さ、メロディの良さ、バンドサウンドの良さ。この2枚のアルバムは個人的に「ピロウズすごいぞ」と気付いてから初めてニューリリースを待ちに待って手に入れたという背景はあるのですが、やっぱりひとつの頂点だと思っています。不遇な状況というかペシミスティックな感じから抜け出して、やってやるぞという感じ、ぶち破ってくるエネルギー、勢い、無敵感、そういうものが満ちている感じがするのです。まあそれは曲調とか全体的な傾向としてという意味でそういう風に受けとっていましたということです。演奏もひねくれまくってかっこいいんですけど歌詞も相変わらず唯一無二で。こんな歌詞はさわおさんしか書けないよね、とラジオで言われていた「観覧車に独りで暮らしてる、大嫌いな世界を見下ろして」とかまあとんでもない。「キミの孤独を見破れるのはテレビで稼ぐ心理学者じゃない」とかもすごいし、「打ち寄せる明日に僕らつま先濡らして」とか何気ない部分まですごい。「マニュアルライフのアニマル、アベレージこそがハッピー」なんかもそうだそうだ、と胸のすく思いで聴いていました。アベレージこそがハッピー、にも一理あるかもなと思ったのはようやくここ数年くらいのことです。確かめに行こうはNowhereと同じように、もやもやした心情に対して異常なまでの解像度で表現してくれる曲です。ただここではその状況から「偽りのない世界まで確かめに行こう」とまとめます。「行こう」はピロウズのキーワードで、もしかしたら最も重要なキーワードなのかもしれません。当時この2枚のアルバムで同じような位置づけと感じていた曲がMidnight DownとFunny Bunnyでした。どういうことかというと、派手で目立つ曲ではないけど少し明るめでよく聞くとメロディも歌詞もめちゃくちゃいいから知る人ぞ知るアルバムのなかの名曲になるだろうな、という感じです。まさかFunny Bunnyがピロウズの代表曲になろうとは全然予想していませんでした。Midnight Downいいんですよ。苦しい状況をくぐり抜けたという表現が出てきて、そうなればいいなという光が見えるんです。「心に武器を持って待ち伏せばかりだった あんなに苦しかった悪夢が嘘みたいだ 世界を吹き飛ばして自由だけを吸い込んだ 暗闇をくぐり抜けてキミの顔しか見ないんだ」。

ピロウズ(3)

次のアルバムはベスト版のFool on the planetが2001年1月で、オリジナルアルバムとしてはSmileの2001年10月になるので、それまでのリリースペースと比べると少し時間が空いています。その間に初めてピロウズをライブで見に行きました。MAJI ROCK FESTIVALというフジロックをもじったイベントで、ミュージックスクエアでよく聴いていたバンドがたくさん出演していました。デビュー直前のバンプオブチキンを生で見たのは自慢してもよいのではないでしょうか。ガラスのブルースかっこよかった。ライブがいいと散々聴かされていたピロウズでしたが、それも納得でした。音源よりももっと直接心に響く歌声、難しそうな箇所もライブ用アレンジなしでそのまま生の迫力で弾ききるギターやドラム、MCも楽しかったです。このときは知ってるバンドがたくさん出るから思い切って参加したという感じで、ワンマンライブをときどき見に行ったりするは数年後のことになります。さてFool on the planetについては、Midnight Downが入ったので自分の目に狂いはなかったとか思ったくらいで、知ってる曲ばかりなのでそれほど聴かなかった気がします。そしてSmileがリリースされます。何と言うんでしょうか、ちょっと勢いが落ちたというか、硬質な感じというか寂しさ厳しさみたいなものが、アルバムの全体としてにじみ出てくる感じでした。個々の曲は相変わらず良いのですが、表題曲Smileが当時ピンとこなかったせいかもしれません、ミドルテンポな曲が印象に残るせいかもしれません。WAITING AT THE BUSSTOPみたいに元気な曲もあるのですが、一番シングルっぽい日々のうたが「くぐり抜けた僕のうた」なのに「忘れないでくれ時がたって僕が今より落ちぶれても」という調子なので、そこに引っ張られるのかもしれません。このアルバムもかっこいいんですが、無敵感というかスカッとする感じは受けませんでした。アンニュイな感じというか。次のアルバムは2002年10月の同時リリースで、Thank you, my twilightとAnother morning, Another pillowsがリリースされました。Another morning, Another pillowsはシングルのカップリング曲を集めたもので2枚組、ほとんど聴いたことのない曲だったのでかなりのお得感でした。ピロウズの曲はほとんどすべていい曲で、そのうえ聴き流していた曲であってもあるとき歌詞の一部がひっかかって、そこから曲の意味がドバドバと流れ込んできて、大好きになるということが度々あります。Another morning, Another pillowsはそういう曲の宝庫でした。Thank you, my twilightはこれもタイトルの示す通りにちょっと寂しい感じを受けてしまいます。何度も書きますが個々の曲はとても良くて、いい曲を挙げるよりちょっと合わなかった曲を挙げる方が早いとなってしまうのであれなんですが。ROBOTMANがストレンジカメレオン的なテーマだと思ったのですが今そこには戻りたくないというか、そこはくぐり抜けたいという気持ちで合わなかったんですよね。白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター、ちょっと感傷的だなと思ってグッとのめり込む感じにはなれなかった。ああ何か嫌なことばかり書いてるみたいで良くないです。言及したアルバムはすべて聴き倒していますからね。バビロン天使の詩だと「雲が邪魔したって怯まないぜ吹き飛ばしてみせる 熱くて吐き出した愛もいつかきっと飲み干せるさ」とか歌詞はずっと素晴らしいし、サウンドはアルバムごとに色があるけどそれぞれ素晴らしいんです。インタビューなんかでは最新作が最高傑作っていうのを言い続けていた気がしますが、それは記憶が入れ替わっているかも。

ピロウズ(4)

次のアルバムは2003年11月のペナルティーライフです。このアルバムは、開き直ってぶっ飛ばしていくぜーっていう感じがして大好きです。タイトルのペナルティーライフは無期懲役、ロックから一生逃れられないという意味だったかと思います。この開き直りの象徴がFreebee Honeyです。「最上級に手をのばして痛い目を見たって怖くなくなった」「最終回を図にのって録り直してるんだ 今がそうなんだ」自分たちはもう終わってるのかもしれないけど簡単には終わらないぞという感じ。「カーテンコールプリーズ エンドロールフリーズ まだ席を立っちゃもったいない」モールタウンプリズナーの「慌てたってもう手遅れなんだよ 逃げるなんて出来るはずないだろう」はもちろん否定じゃなくて開き直ろうと言っているのだと思います。そしてI know youやムーンマーガレットみたいに明るい曲が多くて、昇らない太陽みたいにもやもやした感情はある種悟ったみたいな極めて抽象的な歌詞に昇華させています。それと隠しトラックもめちゃくちゃ魅力的でした。ペナルティーライフは聴いていてスカッとさせてくれるアルバムだったと思います。ピロウズにスカッとを求めるのは違うような気もしなくもないですが、ピロウズだからこそのスカッとがあるのでしょう。そして2004年6月がセルフカバーアルバムのTURN BACK、2004年9月がトリビュートアルバムのシンクロナイズド・ロッカーズですね。TURN BACKは聴いてて楽しい名曲ぞろいです。トリビュートアルバムは参加メンバーがすごかったので、いよいよピロウズが売れるぞと皆と同じように思っていました。結成15年ということでもっと早くピロウズを知っていたかったと思ったのを記憶しています。今となっては何を言ってんだという感じですが。ピロウズゲストのラジオが聴きたくて、部屋だと電波が入らないので駐車場の車の中で夜中にラジオを聴いていました。何の番組だったんだろう。そして次のアルバムは2004年11月のGOOD DREAMSです。GOOD DREAMSはアルバム全体としてこうだというのがあまりなくてピロウズのいい曲がしっかり収まっているというくらいの感じでした。WALKIN’ ON THE SPIRALの「ぐるぐる迷って同じ場所でもがいてるだけのように感じているけれど」とか、その未来は今の「熱が下がらなくて苦い薬も飲んだ 今全部吐き出したい気分」とかもいいし、表題曲の歌詞が本当に沁みてきたのはまた何年も後でしたが、いい曲ぞろいなのは確かです。ツアーのライブにも行ったかもしれません。未発表の空中レジスターをライブで聴いた記憶があるのですがいつだったでしょうか。ただこの頃からなのかもう少し後からなのか、日常的に音楽を聴くという習慣が少しずつ薄れていきました。もう音楽はピロウズだけ聴いておけば十分だななどと思いつつ、音楽自体を聴くことが減っていったような気がします。ピロウズと自分との関係としても安定した状態になったのだと思います。

ピロウズ(5)

次のアルバムは2006年1月のMY FOOT、2007年5月のWake up! Wake up! Wake up!、2008年6月のPIED PIPERとリリースされます。これらもこのアルバムはこうとかはなく、ピロウズの素晴らしい品質は維持していて個々に大好きな曲はあるという感じでした。やはり聴き込む量が減ってきたことによるのかもしれません。ピロウズの曲は何度か聴かないとすごい、と感じるようにならないところがあって大ファンになって以降も新しい曲はそうだったり自分の場合はします。音楽自体を聴く量が減っており、ピロウズがいいのは分かっているから聴かなくても分かっている、という感じで聴き込むという形でなくなっていきました。そうは言ってもこの3枚、MY FOOTや空中レジスター、サードアイみたいなポップなロックやNo Surrenderみたいな熱い曲、Tokyo BambiやLadybird Girlみたいな楽しい曲、シリアス・プランやPurple Appleみたいなひねくれて面白い曲がたくさんあってまったく悪くありません。と書いてから個人的なマイナスなことを書き始めるわけですが、MY FOOTはちょっと最初の印象が良くなかったんですよね。「やっぱり僕は今もストレンジャー」ってストレンジャーに戻ってしまうのかと。何かそんなことを書いたレビュー記事もあった気がして、その影響も受けてしまったのかもしれません。プライベート・キングダムもROBOTMANに近いスタンスだなあと勝手に思ってしまったし、スケアクロウはちょっと感傷的すぎるなあと思ってしまったのです。聴き込みが足りなかったことと、当時はくぐり抜けた曲が聴きたかったんだと思います。なのでペナルティーライフまでと比べるとどうしても関わりの薄いアルバムになってしまいました。そして2009年6月のベストアルバムは買っておらず、2009年10月のOOPARTSはたぶん買ったけどあんまり聴いておらず、それ以降もそんな感じで2010年代はまるまるピロウズから離れることになりました。2010年代のピロウズが本当にごっそり抜けていてRodeo star mate、Movement、Comic Sonicくらいはネットの何かで見たりしましたが、その他の最新情報は全然知らない状態でした。今でこそいろんなピロウズファンのクリエーターたちが声を上げてピロウズが世間に浸透してきた感がありますが、ピロウズって好きと言いづらいバンドって感じがなかったでしょうか。何というか、周りの人にピロウズが好きって言ったとしたら、イコールお前ら嫌いなんだよって言うことになっちゃわないか。それはちょっと怖くてできないみたいな。それといつまでもピロウズ聴いててはいけない感というのがあって、あまりにも同調してしまうがために、そうだそうだ世の中クソなんだよ!みたいな気持ちでいっぱいになってしまう気がして、それは本意ではないというか。ピロウズはいつか卒業するべきものなのではないか、ピロウズ(的と自分が思っている状況)はくぐり抜けるべきものなのではないか。そんな考えがどことなくあったのかもしれません。現実のピロウズはそんなところに留まってはいないんですけど。そうだ、このころフリクリの最初のやつを見たんでした。フリクリありきのピロウズじゃねえぞ、ピロウズありきのピロウズだ。と反発心がずっとあったのですが、フリクリ普通に面白かったです。音楽も評判通りぴったりでした。新作劇場版は何だかんだで見てません。

ピロウズ(6)

空白の10年間は本当にピロウズから離れていて、ごくたまにネットで違法か合法か分からないようなコンテンツを見るくらいでした。なので30周年もまるごとスルーしていて、映画も知りませんでした(まだ見てない、見たい)。再びピロウズに出会ったのはコロナ禍になってからです。ネットに触れる機会が増えたことにより、ちょくちょく目にしていたピロウズのチャンネルが公式だったんだとか、いろんな人がカバーしてたりするんだなとか、新しい世代のファンがたくさんいて知らない新しい曲を推してたりするんだ、というのに気付いていきました。それで少しずつピロウズを聴くようになっていきましたが、昔の知っている曲が中心でした。そんな中でAbout A Rock’n’Roll BandのPVを見ました。初見でも分かりやすくストレートで魅力的な曲、メジャーでシングルっぽい曲。もう一度、表示される歌詞を追いながら聴きました。ピロウズの現在がここにある、ピロウズは先に進んでいたんだと思いました。まあ本当はその時点で数年前のリリースだったわけですが。「流れ星と流れない星を」ピロウズっぽいなと思いました。「あの日のロックンロールの引力は万能で」そう十年も二十年も前のあの日のロックンロール。「強く生きてゆくイメージを」確かに受け取ったような気がする。だけどそれを活かせずに、やっぱり僕は今もストレンジャーなのでしょう。ピロウズはいつか卒業すべきとか言って何にも変われてやしない。このままずっと変われる気がしない。ピロウズが好きな自分を自分がまず受けとめない限りはどこへも行けなかったんです。このところ年々自信を失っていく気がします。あちこちにまだ隠れてる僕と似たような君、何か手助けができたらと思っていましたが、どうやらそれは自分の能力を超えているようです。それは本家ピロウズに託したい。そしてピロウズをなるべくたくさん見に行きたいと思いました。無理ない程度になるべく。2022年、迷いに迷って諸事情により参加しませんでした。2023年のツアー、たぶん15年ぶりくらいのライブでした。さわおさんも年取ったなとか自分のことは完全に棚に上げて思ったりしてましたが、パフォーマンスは記憶にある以前とまったく同じで感動しました。このツアーは本当に楽しい曲が多かった。空白期間を埋めてないので知らない曲も3分の1くらいありましたが、ライブのピロウズなら何の問題もありません。さわおソロにも行ったし今年もピロウズに会いに行きたいと思っています。もう古参ぶるわけにもいかないし愛を競うこともできないので、素直にささやかな応援を続けたい。ピロウズ35周年おめでとうございます。

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