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見知らぬ街で未来の自分へ手紙を出した

今日は午前中に洗濯と掃除をした。
本当は家の隅々まで綺麗にしたかったのだけれど、無理そうだなと思った。早々に諦めて、お昼頃に喫茶店に行った。

久しぶりに外に出て、何でもいいから 最近 私が感じていることをノートに書き出そうと思った。

筆の進まないnoteがいくつもあったし、stand.fmで投稿したい収録の記事をいくつか消化しようともした。

だけど、気持ちが進まない。何時間か携帯とにらめっこしたけど、一文字も浮かばなかった。
多分、今の私の気持ちでは その記事で書きたいと思っている気持ちに関して掬い上げられるものがないんだろうなと思った。


去年の12月頃から 会社を休職した。
6月頃から参画した 新しく携わっている案件内容が辛くて、何となく眠れない日々が多くなった。生理が最後に来たのも恐らく半年ほど前だった。いま思えば 結構ストレスフルな生活だったと思う。

12月頃に退職か休職をしようと思っていた。
これ以上は無理だからと思う気持ちが半数以上を占めていたけれど、何となく フルリモートの中、フォローするのが当たり前な環境に身を置かせられていない 未経験の新人をこの劣悪環境内の激務案件に残すのだけが気がかりだった。周囲が自身の業務に必死で何も気にかけられず 私以外はその子を気に掛ける余裕がなかった。だから、ほとんど孤独に作業を進めさせていた。私が抜けたら この子はどうなるんだろうと思った。

そんなことを思っていたのも束の間、他人の心配をしている余裕もないほど 私の体調が一気に崩れた。懸念していた1番最悪な状態で会社を休み、そのまま後輩を残し、案件を抜けることになった。

休職が決定した12月初旬。暫くは今まで拘束されていた10〜12時間がぽっかり空いたことに戸惑っていた。12月中旬、少しずつ眠れるようになって 外にも出れたり、全然元気だった。あ、良かった。と思った。このまま来月からは転職活動をしようとかそんなことを考えていた。

いざ年が明けて、1月になると 12月中旬頃からの体調が嘘だったのかと思うように、笑ってしまうくらい悪くなった。ほとんどベッドから起き上がれない。3日間くらいお風呂に入らないのなんてザラ。あ、元気になったなと思って 久しぶりに外に出れたと思ったら次の日は寝込む。自分の体調のくせに自分でも予測できない。意味がわからない。

早く元気にならなきゃいけないのに。焦る気持ちと裏腹に体調がついてこない。すごく悔しくて 情けなくて 何とも言えない気持ちだった。

人と話せるし、全然元気なのにな。
昨日まで楽しくワイワイ話してたのに、今日はずっと起き上がれない。何でだろう。意味がわからない。

誰かに話せるほど、楽観的になれるかと言うとそうでもない。だから 何となくだけど 「いまの私 こんな辛いけど あんたはどうなの?」という 怒りというか ぶつけようのない気持ちを書き殴って 未来の自分に送りつけてやろうと思った。その為にどこかで手紙を書いて 郵便局に寄ろうと思った。

いつも行く隣町の喫茶店。お昼頃から来店したのに気付いたら時計の針は2時を指していた。あと30分もすれば、夕方の開店に向けて1時間の休憩タイムに入る。あと30分だと、手紙を考えて書く時間も満足に取れないまま問答無用で退店しなければならないので、仕方なくお会計を済ませた。

どうしようかなとフラフラして そのまま何となく電車に乗った。知らない街の行ったことのない喫茶店で手紙を書こう。それで、その帰り道に知らない街の郵便局に寄って その街にこの何とも言えないもどかしい気持ちごと置いていこうと思った。

20分ほど電車に揺られて、聞いたことのない駅で降りる。本当は自分の足で赴くままにふらっと立ち寄った喫茶店に行きたかった。何となく そういう直感みたいなものに縋ってみたかった。だけど、周りは住宅街で目星をつけようにも軽く1時間はかかりそうだ。そんな所に余力を使ってタイムオーバーになるより、手紙を考える時間に余力を残しておこうと思った。 渋々 Google Mapで"喫茶店"と検索し、ナビ通りに向かった。

小さな喫茶店に辿り着いた。
お母さんと娘さんが経営している 小さな喫茶店だった。あわよくば喫煙もできたらいいなと思っていたら 喫煙可能店だった。意外とツイてるな。Google Mapでお気に入り登録しておいた。

いざ、喫茶店に来店して 便箋を取り出した。
「この気持ちを書き殴って めちゃくちゃぶつけてやろう。」そう思いながら 筆を進める。

だけど、書き進めれば書き進めるほど 前向きなことを書き殴っている自分に気付く。

「Switch買ったんだよね。まだ届いてないんだけど楽しみだなぁ」とか「今のあなたは仕事してるの?今よりは体調元気だといいな」とか。

終いには「なんか 書きたい気持ちがあったはずなのに未来の自分を考えてみたら きっと大丈夫になれる気がしてきた。そうなる為に、いまはゆっくり休むね」で〆られていた。

驚いた。いつも「今日も何もできなかったな」とか「明日は体調悪くなりそうだな…」とか 後ろ向きなくせに、半年後の私に向けて話す気持ちは何故か 前向きだった。未来の私は元気になっていることが前提で文章を書いていた。

それが良いことなのか楽観的すぎるのかはわからない。だけど、何となく それが私にとっては 希望のようなものだと思った。

明日のことを考えると、悲観的で話す。
だけど、明日とか1週間後とかじゃなく、半年後という先の長そうな期間になると楽観的で話す。

あ、最近はいつも悲観的でいたけど そうやって楽観的で話せるって 未来の自分への信頼のようなものがあるのだなと思った。何故か それが自分のことのくせに 客観的に とても嬉しいと思った。何となく ずっとモヤがかって見えていなかった 大丈夫が 少しだけ頭を出してくれたような気がした。

少しだけ明るい気持ちになりながら、そのまま郵便局に向かう。郵便局に手紙を出した時、この手紙を読んだ半年後の自分が 何となくケラッケラ笑って読んでいるような気がした。手紙を出し終わった後、何となく 足取りが軽かった。

郵便局から駅まで向かう帰り道、別にそんなに焦らなくていいんじゃないかと思えた。いまの自分が未来の自分に約束したように 今はゆっくり休もうと思った。そう 心の中で決めて 電車に乗ったら さっきまでは2時間ほど noteと格闘しても何も思いつかなかったのに この記事を作成して、サラサラと文章を打っていた。私が単純なだけかもしれないけれど、人間って面白いなと思った。

明日の自分の体調がどうなるのかはわからない。
だけど、別にそれでいいのかもしれない。
部屋が汚くても お風呂に入れなくても 別に今はそれでいいのかもしれない。

1日の中で人に怒られたことと期間限定のアイスが美味しかったこと、2つが同時に起こったとしたら いまの私はきっと 人に怒られたことを思い出しながら眠ると思う。

だけど、少しずつでいいから 期間限定のアイス 美味しかったなを思い出しながら 眠れるようになれたらいいな。

半年後の自分が この記事を読んだら 恥ずかしくて消すのかなぁと思う。今の私は消したくないけど、その時に消したいなぁと思えていたらいいなと思う。

何となく 大丈夫かもしれないなと思った。
希望的観測なのかもしれないけれど、大丈夫だと思えた。大丈夫、きっと大丈夫だと思う。

また辛くて 何とも言えない気持ちになったら未来の自分に手紙を書いてみようと思う。
そうしたら 少しだけ また大丈夫になれそうな気がするから。













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