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灯りの数だけドラマがある

毎年夏になる度に、

「花火大会が開催されるところから近くに住んでいる人、家から花火見れるから良いよね〜羨ましい〜」

と、蒸し暑い夜に花火大会目当てに目的地に向かう大勢の人波に揉まれながら、ふと思う。

地域のイベントごと、
たった1年に1度の出来事だけれど、
その特権を持つ人たちを
毎年、羨ましいと思ってしまう。

自分の通っていた学校の土手近くで、
毎年、花火大会がある。

大学生になってからは、引っ越してしまったからなかなか行く機会がなかったけれど、
久しぶりに東京に住む父親と花火大会に行ったことがある。

花火大会が始まると、
みんなが一斉に花火を見始める。
屋台に並んでいた大勢の人が、
土手の通路に押し寄せて、
私たちが席を取っておいた場所からは
丁度見えなくなってしまった。
仕方ないから、立ちながら花火を見ていた。

ふと後ろを振り返ると、土手に沿って立つ遠くのマンションのベランダに人影が見えた。

「あ、このマンションの人たちは、特権を持つ人たちだ」と、羨ましく思いながらも、

反対側の花火の音よりも、
そちらのマンションの人影に興味が逸れた。

たった1年に1度のイベントで、
このマンションに住む人たちの
1つの日常を垣間見れた気がした。

最上階のベランダから覗く3人の人影が見える。あの人たちは、どんな顔をして、どんな声で話して、どんな関係の人たちなんだろう?
そんな想像を巡らせた。

花火大会やお祭り、何かのイベント行事の度にごった返す人の波をみると、驚いてしまう。

忙しない日常の中にいると、こんなに大勢の人たちが存在していることを忘れそうになる。

名前も知らない大勢の人たち。その1人1人に命があって、1人1人が他人には言えない何かしらを抱えながらも生きているのだろうという事実に考えを巡らせる。

私たちの前を横切る学生たちは、部活帰りだろうな。ユニフォームに見覚えがあったから、きっと私の母校の子たちだろうな。

この夏休み中、太陽が照りつける日中から、ずっとグラウンドで練習に励んでいたのだろうか。真っ黒に日焼けした肌を見ながら思う。
そのユニフォームを着る部活は私の知る限りではこんな時間に終えられる部活動ではない。
きっと、今日は花火大会だから早く帰らせてもらえたのだろうか。
部活動の友人たちと空を見上げるその学生たちを見ながら「青春だな〜」と思った。

土手の少し奥の方に、
大きなビニールシートを引いて、座りながら花火を観ている大人たちがいた。
町内会の人たちだろうか。何人かの大人がお酒を酌み交わしながら、空を見上げている。
きっとこの人たちも日常では普通に仕事をしているんだろうな。

屋台の方では小学生くらいの男の子の手を引いて歩くお母さんがいる。
子供に浴衣を着せている。この人もきっと忙しない日常なのだろうな。


日常生活できっとやりたくないことも、
辛いこともあるんだろう。
それでも今日はみんな、空を見上げている。

同じ瞬間に空を見上げながら、
同じものをみて、綺麗だと言う。

色んな人の、色んな感情や、色んな日常が
この時だけはリンクする。
空を見上げている人たちが、いまこの瞬間に、同じような感情を抱いているのかと思うと何故か不思議な気持ちになって、言い表せられないような温かさが込み上げてくる。

きっと周りから見れば私だってそんなものなのだろう。誰かから見れば、私だって忙しない日常の中では気にも留められないような存在なんだなと思う。

きっと、私の隣にいる父だって、
他人から見れば気にも留められないような存在なんだろう。

隣で「すごいなぁ」と呟きながら空を見上げる父を横目にみた。
「綺麗だね。次はどの花火大会行く?」と聞いたら、「こういうのは、彼氏行った方がいいんじゃないの?」と隣で父が言う。
「彼氏がいてもいなくても、私はパパとも行きたいんだよ」と返した。
「また来年も行こうね。あと30年は生きてね」というと、「そんなに生きられねぇわ」と困ったように父が笑った。ビールで乾杯して、また空を見る。

私は父とあとどれくらい空を見上げられるのだろう。

いま、この場で一緒に花火を見ている人たちはあとどれくらい一緒に空を見上げられるのだろう。

少なくとも私は、いま隣にいる父親が
健やかであってほしいと願う。

そんな風に願っている人たちがこの場所の何処かにもいるんだろうな。

誰かの大切な人たちに想いを馳せる。

みんな、幸せであってほしい。

名も知らない誰かが、
今日も何処かで幸せでありますように。

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