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冠と花言葉



「優しさとは何だろう」とよく考える。

悲しいことがあった時、私がしてあげられる最適解は何だろうと考える。

感情というのは厄介なもので、他人と同じような状況、同じような体験をしても全く同じ感情には出会えない。

だからこそ、全世界に共通する「優しさ」とは何だろうと考えてしまう。

「優しさ」という言葉を調べた時、辞書にはこのように書かれている。

2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。「―・く慰める」「―・い言葉をかける」

優しさ=思いやりだと言い換えられるのだとしたら、優しさとは他人を慮ることなのかもしれない。

では、他人に対しての”思いやり”とは、誰の基準で決められるんだろうか?

きっとその基準は、自分の経験内でしか判断することが難しくて、自分がされて嬉しいことやかけて欲しかった言葉を相手が同じような状況の時にかけてあげられること。それが、”優しさ”とかそういうものになるのかもしれないと思う。

だから、自分の行動の中では”気遣い”や”思いやり”などの「優しさ」の類に値するものだったとしても、他人にとってはそうだと感じられないものだってきっとあるのだと思う。

自分が悲しみの淵にいた時、その淵から少しだけ顔を出して周囲を見渡せるようになった時があった。

その時にずっと仲の良かった友達を見て、

「この人は私に対する態度が何ひとつとして変わることがなかったな」と不意に思ったことがある。

最初はその行動が冷たいのか優しいのかどっちなのかわからない行動だと思っていた。

けれど、その人の姿や振る舞いから
「優しさ」とは、どんな時でも立ち位置を
変えないことなのかもしれないと感じた。

人との距離感というのはその人との関係によって随時、変化してしまうものだと思っている。
例えば、環境の変化によるもの。
就職や卒業や失恋などの喪失体験。そういうことを想像するとわかりやすいかもしれない。
そういう外部環境で起こった自身への変化、 それに抗えずに内部で起こった自身の辛さ。
自分ではどうしようもできないことで身動きが取れなくなることがある。
人としての在り方がわからなくなってしまう時がある。

不安定で、色々な物事に当たり散らしていた過去の自分を思い返すことがある。

何もかもがどうでもよかった。今すぐ死んだ方がきっと楽になるんじゃないかと、世界で一番、自分が可哀想な人だと傲慢かもしれないけれど、本気で思っていたことがある。

そんな状況でも、側にいてくれた人たちがいたことを思い出す。

悲しさに押し潰されそうで眠ることができなかった時、真夜中に何時間でもずっと電波を繋げ続けてくれたこと。傷に触れずにそっとして見守ってくれたこと。いつもと同じように笑わせてくれたこと。

その人たちは、私の自己が崩れる前でも崩れた後でも、近づく訳でも、離れる訳でもなく、ずっと立ち位置を変えることのないまま、私の傍に立ち続けてくれていたなと感じた。

自分の足では立つには不安定で、倒れそうになったから寄りかかっていた時もあった。

それでも離れず、寄りかかった重さも含めて私の代わりにずっと地面に力を入れて立ち続けてくれていたから、私は倒れることがなく、また自分の足で地の上に立つことが出来たのだと思う。

自分が悲しみの底にいたときは、気付けなかったことが沢山ある。

悲しみの底から少しずつ這い出せてやっと周囲を見渡した時にそこにずっといてくれた存在があることを知る。

優しさとは空気のようなものだと思う。

そこに留まっていた時には気付かないけれど、私が留まっていた場所の空気はいつでもおいしかった。その空気がおいしかったことを初めて知るとき、私は知らず知らずのうちに側から離れなかった友人がその空気を与えてくれていたのだということを知る。

やさしさなんてわからないけれど、

きっと、それは受けてもわからないくらい小さなものなのかもしれない。

その小さなやさしさの積み重ねが、悲しみから這い上がれた時に、自分の目に見えるくらい大きなものになるのかもしれない。
そのくらいの長い時間の中で、初めて気づけるようになるのかもしれない。

本当にありがとう。心からそう思う。

ある友人が私に言った。

「優しさって寄り添うことだと思う。
同じ暗闇に一緒に留まって、隣で座り続けること。それってさ、本当に覚悟がいることだと思うんだ。だけどね、それが他人の自分にできる唯一のことなんじゃないかなって思うんだ。」



記事の写真にある花は蓮華草です。

蓮華草は白詰草のようによく花冠にされていたそうです。そして、花冠は”幸福の象徴”という意味があるらしいです。

この記事を読んでくださった皆さんに
少しでも多くの幸が訪れますように。



私はこの記事を特に友人たちへ贈りたいです。
精一杯の感謝を込めて。
今日もみんなに幸がありますように。

友人の悲しい夜に少しでも寄り添える私で在りたいと願う意味も込めて、この記事を残します。


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