見出し画像

いつかの君の盾となれ


久しぶりにnoteを書く。

私事だけど、最近「stand.fm」という音声配信アプリを始めた。
fmという名の通り、ラジオ形式のアプリ。
そのアプリに出会ってから色んな方とお話したり、色んな方の考えを目にすることが増えた。
その中で出会った方、ひで(@hide_dialog)さんが「愛とは?」についてそれぞれ自由に書いてくださいとテーマを提示なさっていたので、今回はそちらをお借りして記事を書かせて頂きたいと思う。

皆さんにとって、愛とは何だろう?

#愛の定義  とは、人によっての解釈が様々で難しいなとは思うけれど、私にとっての"愛"を定義したい。その前に、一般的な定義を見てみよう。
辞書には以下のように説明されている。

【愛(あい)】
そのものの価値を認め、強く惹きつけられる気持。
・かわいがり、慈しむ心
・大事なものとして慕う心
・その価値を認め、大事に思う心


この引用の中でも私は"その価値を認め、大事に思う心"が私にとっての愛すると強く共鳴すると感じた。

私にとって、"愛"とは"盾"だと思う。

流石に表現が抽象的すぎるので、具現化していく。

愛とは、盾である→盾になるということは、その人を守るものになるということ→その人を守るということは、その人自身を受け入れるということ→その人自身を受け入れているということは、その人を知るために見つめるということ→そして、その人を見つめ、受け入れていることを相手に示せる最も効果的な手段は言葉を紡ぐということ。

ほぼ等しい言葉たちを繋ぐなら、

とは ≒ とは言葉を捧げること

"愛"とは"盾"であり、"盾"を形成するのは"温かい言葉を捧げること"に繋がると思う。

その人自身が存在していることを見つめる。
その人の命を見つめる。
その人の命から育つ幹を見つめる。
その幹から育った実や葉を見つめる。

その人の幹というのは、その人が生きてきた中で大切に育ててきた軸や信念で、その根幹から結んだ実や葉というのは、人柄や表情、仕草や振る舞いとして表される。

私はその人が育ててきた幹や実や葉を見つめて、素敵だなと感じたことを言語化するように心がけている。

本当に些細なことで構わない。
"笑顔が可愛いね"
"考え方がとても素敵だね"
"えっ!その洋服、似合っているね!"
"髪形変えたんだ!いいね!素敵!"
"そうやって考えられる貴方自身が素敵なんだよ"
"その発想、とっても素敵だ〜〜!"

何だって構わない。大袈裟だと思うけれど、私はその些細なことを言葉に表すようにしている。

人によっては、ひとつひとつを言葉にして伝えることは野暮だと考える方もいらっしゃると思う。もしかしたら そうなのかもしれない。
伝えることを行なっていると それは時に押し付けのようなものなのではないか?と ふと考えてしまう自分もいる。

その上でも、私は "言葉を紡ぐこと"を敢えて 行なう。

何故なら、私は言葉にするということが、いつかのその人の"盾"になってくれると信じているから。

生きていく上で 悲しみに直面することは 沢山ある。誰かに 傷つけられること、自分に傷つけられること。自分にも他人にもどうすることも出来ないものに傷つけられること。そんな時、貴方を守ってあげられる盾になってくれたらいいと願う。

極端な話だけれど、もしも 貴方が 愛する人の"死"に直面した時、声の音色やその人の温もり、表情。その全てがこの目に映せなくなって、骨だけになってしまった時、あなたは何をもってその人を自分の心の中で形成しますか?

それはやっぱり その人が私に放ってくれた言葉たちによって その人を形作るのではないかと思う。

悲しくてどうしようもなく辛い時、立ち上がれなくて その場にうずくまってしまう時、

言葉を紡いでくれた回数が多ければ多いほど、それが私の盾となって、私を守ってくれる。

心なく傷付けられたり、泣きたくなって 立ち上がれない時、涙が止まらなくなって その場に立ちすくんでしまう時、私を守ってくれるものは、"笑顔が素敵だね"  "あなたの考え方って素敵ね" "そのままの貴方が愛しいよ"と私に残してくれた他人の言葉たちなのだと思う。

ある人が私に言ったことがある。
「あなたって どんな時でもちゃんとご飯を食べれるよね。それ とっても素敵なことだよ。どんな時も ご飯だけはちゃんと食べてほしいな。私、あなたの食べてる姿が大好き」

どうしようもなく辛い日々に落ちてしまった時、私はこの言葉を思い出した。
食べる気力も泣く気力もなくて、生きる希望すらなかった時、色濃く残っていた この言葉を思い出して 私は無理矢理でも押し込むようにご飯を食べた。どんな時でも ご飯だけは食べたい。だって、私の食べる姿を好きだよと、愛する人が言ってくれたから。生きていかなきゃいけない、どんなに悲しくても。だから、食べなきゃいけない。きっといつか、大丈夫になれるから。

悲しみで押し潰されそうになる時や、生きる希望がなくなるほど辛い時、涙が止まらない夜や、1人では立ち上がることのできない時。はたまた 他人からかけられた心ない言葉や行動に傷つきそうになった時、そういう時に盾となり、私を守ってくれるのは、私を見つめてくれた人たちがかけてくれた言葉たちなのではないかと思う。

だから、私は貴方にも言葉を捧げたい。

昔も今もこれからも 少しでも私と交わってくれた人達の 盾の一部になってほしい。

別れが来るのは必然だ。
それは永遠に逢えないことかもしれない。
はたまた 生きていても 別の道を歩んでいくことなのかもしれない。

"愛"とは"盾"である。

今後 一生、私の人生と貴方の人生が交わらないとしても、どんな形でも 貴方の人生で出会う悲しみの中で、その悲しみから守る盾であれ。
誰にも言えない悲しさや、乗り越えられない夜。そして心ない言葉に落ち込みそうになる時の、いつかの君の盾となれ。

貴方が 心地よいと感じるものに包まれて生きられますように。

貴方にとって この世界が穏やかなものであれ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?