「Shame on me」から考える五条悟の愛し方

※こちらは呪術廻戦0,8,9巻を踏まえた筆者の勝手な解釈記事になります。ネタバレもあるのでそれらも含め、興味のない方は読まないでください。
ここからは自己責任です…!ではどうぞ!!

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Oh my my! あぁ、最悪だ
(That’s what I get for loving you) きみを愛して得たものは
Lie, lie, lie! 嘘ばかり


大切な人へ示す”愛”を言語によって表現することができるのであれば、
私は夏油を”自己犠牲の上に成り立つ愛”、五条を”他己犠牲の上に成り立つ愛”だと考える。
愛情表現に種類があって、それを自分の心のポケットにしまい、必要な際に出し引きが出来るものに例えるのであれば、私は夏油を”愛し方の種類が多い故に苦悩した人間”であると捉えるし、五条を”1つの愛し方しかわからなかった故に苦悩した人間”だと捉えてしまう。

ここで表現する”愛し方”には恋愛としてではなく、
もっと広義の意味を持つ”人間に対しての愛し方”である。

個人的に五条悟は不器用な人間だと思う。何故、そう感じたのかといえば、
彼にとって”生命を紡ぐこと”の意味を考えたからだ。

彼にとって”生命を紡ぐこと”とは”強さを示すこと”なのではないだろうか。
ここで表す”生命を紡ぐこと”を”価値”に置き換えた時、彼にとっての”価値”は人間の”感情”という曖昧さではなく、目に見える”力”だったのではないかと推測する。
もし五条が”感情”を価値として考えたのならば、彼は立ってられなかったのかもしれない。何故なら、彼は生まれた瞬間から世界の均衡を変えてしまうほどの力を持っていたからだ。その運命を歩まなければならない上に、幼少期から億越えの賞金を懸けられている子供が”感情”に価値を見出し、果たして生きていけるだろうか?”強さ”を押し出して、周囲を黙らせない他に彼が生きていける”平穏”はどこで手に入れられるのだろうか?
だからこそ、周囲がどんなに自身を罵ってきても”どうせ弱者の意見だろ”と突っぱねて、運命を受け入れ、1人で歩いてきた。そうして突っぱねることは彼にとっての”虚勢”であったのだろうし、そうしないと立っていられなかったのかもしれない。それでも呪術師として生きていくことは自身の運命であると、五条は誰よりも理解した上でその人生を受け入れてきたのかもしれない。
そのような背景があるから、彼にとって周囲の人間は自身の強さよりも微弱なものであると感じていたように思う。だから、高専で出会った”夏油傑”という存在は初めて五条が隣で肩を並べられる”価値”を持つ人間だと認識できたのではないだろうか。それは彼にとって喜ばしいことでもあり、反対に今まで1人で歩んできた道に肩を並べて歩める存在がいることを知ったのは彼にとって、”悦び”であったのではないかと感じる。

それを踏まえると彼にとって、生命を紡いでいった先で初めて”人間”として評価された瞬間も、他人を評価できた瞬間も、やはり高専時代だったのではないかと思う。

五条が”力”に価値を置いた生命の紡ぎ方だったのだとすれば、
夏油は”感情”に価値を置いた生命の紡ぎ方だったのかもしれないと思う。


夏油は”湧き出た感情”に”意味”を見出す表現を頻繫に使用する。

”呪いの発生を抑制するのは人々の心の平穏だ”
”呪術は非呪術師を守るためにある” 
”(意味を見出すのは)大事なことだ。特に術死にはな”

そうやって”感情に意味を見出す考え方”なのは、彼が五条とは反対に一般家庭で育ち、その中で”人をも殺し得る大きな力”を手にしてしまったからなのだと思う。彼にとっての”意味”は”呪術師”には必要ないのかもしれない。でも、人間としてはとても重要で、大きな必要性がある。


冒頭で夏油は愛し方の種類が多い人間であると示した。
それ故に苦悩した人間であると。
感情に意味を見出すこと、そしてその意味に力を使うこと。
それが彼の”呪術師”として生きていくことの”意味”だった。
けれど、ある出来事を境にその”意味”がわからなくなってくる。

術師というマラソンゲーム
その果てにあるのが、仲間の屍の山だとしたら?

夏油は人間性が強すぎる故の不器用さがあると感じる。
愛する対象、そして自身が力を使う”意味”を非呪術師ではなく呪術師に向けた夏油は人間として正しい。けれど、多くの理不尽が蔓延する呪術師としての選択として”正しい”とはどうしても言えなかった。
彼はとても人間らしいと思う。誰よりも人間らしいと思う。
そして、その憎しみを1人の呪術師として、1人の人間として、
誰よりも咀嚼してしまった存在だとも思う。

夏油は全て自覚的に道を逸れていった人間だ。
自身の汚さも含め、それを受け入れ、道を歩んだ人間だと思う。
初めから呪術師として生きる運命に立たされた五条の苦悩を夏油は一生理解することはできないけれど、反対に五条も”大きな力”を手にしてしまった一般人が呪術師として歩む夏油の苦悩を一生理解することはできないと思う。

五条は1つの愛し方しか知らなかった人間であると示した。
それ故に苦悩した人間であると。

憶測だけれど、五条自身は苦悩の狭間にいた夏油の変化に
あの時、片鱗でも気づいていたのかもしれない。
でも、五条にとっての愛し方は”強さを示すこと”でしかなかった。
だから、その他の愛し方がわからなかったのかもしれない。
愛し方に多くの引き出しを持つ夏油を見て、五条は色んな愛を享受できた。
だけど、その夏油が苦悩している時に自身が夏油に出してあげられる手札は五条の引き出しにはなかった。
というか、誰よりも呪術師としての生命を紡いできた五条が、
誰よりも人間らしく物事を咀嚼してしまう夏油に、どれを出してあげたらいいのかが「わからなかった」がこの文脈での最適解かもしれない。
だからこそ、苦悩していた夏油と対面したあの場で、五条が引き出しから持ってこれた精一杯の手札が「傑、ちょっと瘦せた?大丈夫か?」「ソーメン食い過ぎた?」なのではないかと思う。

”まぁ、大丈夫でしょ。俺達 最強だし” ”大丈夫。オマエもいる”

五条にとっての愛し方とは自分と肩を並べられる強さを目の前にした時、
その強さを持ってお互いを助け合うことだったのではないか。
他人に肩を預けること、それが彼にとっての愛し方だったのではないだろうか。だから、五条がよく夏油に言っていた「俺たちは最強だから」という言葉は大切な人へ示す、彼なりの精一杯の愛し方だったのかもしれないなと思う。五条は五条なりに、夏油を精一杯愛していたのかもしれない。
それは、結局、夏油には届いていなかったのかもしれないけれど。



Oh my my! あぁ、最悪だ
(That’s what I get for loving you) きみを愛して得たものは
Lie, lie, lie! 嘘ばかり




愛し方がわからなかった五条が、それでも必死に手を伸ばして、
道を逸れた親友のことを想い、今も呪術師として生きている。
かつての笑いあった親友を、自分を、二度と苦しめないように。
これから共に笑いあう仲間たちが、ちゃんと青春を謳歌できるように。
あの頃に渡してあげられなかった愛し方を強く聡い生徒たちに渡している。

五条にとっての高専時代は泣きたくなるくらい綺麗で
本当に眩しい時間だったのだろう。だから、五条は言うのだと思う。

「若人から青春を取り上げることなんて許されていないんだよ。
 何人たりともね」と。

That's what I get for loving you
それがきみを愛して学んだことさ

No I can't live without you
でも、きみなしでは生きられないよ

That's what I get for loving you
それがきみを愛して学んだことさ

Oh I can't live without you
やっぱり、きみなしでは生きられないよ


自分の生命の紡ぎ方である”強さ”で彼らを守ろうとしてる。
力に意味や責任は必要か?と夏油に問いた彼が、
”強さ”しか紡げなかった五条が、”強さ”に”感情”を紡いで生きている。

愛して得たものは本当に嘘ばかりだったのだろうか?

私は五条の愛し方は笑ってしまうくらいに不器用で、泣きそうになるくらい愛しいとも思う。これを愛と呼ばないのなら、何と呼べばいいんだろう。

“愛ほど、歪んだ呪いはない”

と乙骨に向けて、五条は言ったけれど

これほどにも悲しくて、美しい呪いがこの世にあるのだろうか。

その呪いを取り込んで生き続けている五条の姿は、あの頃と同じように眩しくて、泣きたくなるくらいに綺麗だ。

高校生の五条と1つだけ、違うことがあるのであれば、彼にとってのたった1つしかなかった生命の紡ぎ方が、愛し方の引き出しが、高専時代に夏油と出逢って増えたことだろうと思う。夏油から受け取った複数の愛し方を自分の引き出しにしまって、大切に閉まっているところだと思う。彼の引き出しに隠したいくつもの愛し方がいつかの大切な誰かを守れるように。守ってくれるものであってほしいと願う。

それが、五条が青春時代に掴んだ光だと思うから。

(Cause I’ll get my kicks without you)
きみを忘れて、歩き出さなくちゃ行けないから
That’s what I get for loving you
それがきみを愛して学んだことさ


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