ゴミ山

”選択する”という選択肢

2015年3月17日。大学2年目が終わる春休みに、私はインドネシアにいました。大学が主催している短期海外プログラムに参加していたからです。結果からお話しますと、この10日間の経験がなければ、その先の私の生き方はもっと”順調”であり、そしてもっと”平凡”だったかもしれません。

その日、私たちはジャカルタのゴミが最終的に集まってくると言われている村を訪れました。3月とはいえ、インドネシアは酷暑。暑さが得意ではない私にはその環境は地獄のようでした。クーラーの効いたバスの中で、鳴り響く音楽に頭を悩ませながら、その音を断ち切るように私は眠りについていました。

村に着き、まずは学校を訪れました。子どもたちの年齢に合わせて、午前と午後に授業内容が分かれており、私たちが行った午前中は5歳未満の子どもたちが多くいました。歌を歌ったり、外でサッカーをしたりしながら交流しました。子どもたちが習いたての歌を披露してくれたので、そのお返しとして私たちもカエルの歌を歌いました。

学校を後にした私たちは、ゴミ山を訪れました。目の前に広がるゴミの山は、まさしく”山”という言葉がぴったりと当てはまり、その大きさは私の想像の遥か遥か上をいっていました。ゴミ山を目の前にした当時の私は、何1つ言葉を発することができなかったことは今でもよく覚えています。

私はそこで働く1人の少年と出会いました。名前はカマルくん、17歳。その少年は、そのゴミ山でゴミの分別をしながら暮らしていました。現地の大学生に通訳をしてもらいながら、その少年といろいろな話をしました。学校とこと、家族のこと、将来のこと…その中で、私の友人がある質問をしたんです。

「こうして、私たちがここを見に来ることをどう思う?」

私はこの質問に対して、カマルくんから「来ないで欲しい」「見世物じゃない」と怒られるだろうと思っていました。だって、自分が暮らしている場所にマスクをした団体が突如現れて、ただ写真をバシャバシャ撮っていくんですもの。きっと怒られるだろうなぁ…なんて考えながら、その返答を待っていると、カマルくんは言いました。

「来てくれてすごく嬉しいよ、ありがとう!」

その瞬間、私の中で何かが壊れていきました。常識?知識?経験?思い込み?何が壊れたのかはわかりません。でも、とにかく何かが音を立ててガラガラと壊れていったんです。その瞬間、私は一気に”自分”というものを問いただされました。カマルくんが言ってくれた「ありがとう」という一言に、私は涙が止まらず、付けていた少し大きめの布マスクに涙を染み込ませながら必死に誤魔化していました。

その時の衝撃は今でも忘れられません。それから3年という月日が経ち、23歳の私は今カナダという地で生きています。自分がこの先どう生きていくか、こうしたい、これやりたいという思いや理想の形は少しずつだけど固まってきています。でも、まだまだこれからです。

ただ、こうして私がこの地に立っているのも、元を辿れば2015年3月17日のあの瞬間があるからだということは紛れもない事実です。

現在、このゴミ山の場所に巨大なゴミ処理施設ができ、すべての処理は機械で行われていると聞きました。それにより、カマルくんやそこで暮らしていた人たちがどうなったのか、どこにいるのかはわかりません。何が正解で、何が不正解なのか、そもそもそんなものは存在しないであろう不明確なこの世界で生きることはとても難しいです。でも、だからこそ私たちは選択することができます。

”選択する”という選択肢を与えてくれたのが、私にとってのインドネシアでの経験なのです。2015年3月17日は私の20歳の誕生日当日でした。日本では大人の仲間入りとされる20歳という節目にこのような経験ができたことそのものにも何か意味があるのかな…なんて考えながら、私自身の頭の整理の為にもカタカタと書かせていただきました。これからも定期的に頭の整理ができたらいいなぁって思います☺ありがとうございました!



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