あなたの恋が、たとえばうまくいかなくても


つい先日、友人と長くラインをした。

というか最近の私はラインづいている。とにかく人からラインが来る。移動中や、就寝前に返す。ラインは続く。いつの間にか、スマホを握ったまま寝ている。なぜか。それは、もうすぐ春だから、私はそう思っている。

ちなみにラインの内容は大体が恋愛の話である。もちろんそれ以外の話題もあるが、最近はとにかくこれが多い。これも春だからだろう。恋愛というのは頭のバグみたいなものなので、そろそろ暖かくなってきて、いたるところに虫が沸いているのだ。頭の中にも。決してバカにしているわけではない。でも、恋愛っていうのはそういうものだと思っている。その沸いてきた虫を飼いならせるかどうかが恋愛のキモである。もちろん、あえて飼いならさない、という楽しみ方もある。

若手の多い小演劇界で、私のような、「子持ちの人妻」というポジションの人間はなかなか居ない。そういう、「恋愛から足を洗っている」とされる人間にはきっと相談がしやすいのだろう。もし恋愛相談をした相手と、好きな相手がかぶってました、なんてことになったら笑えない。その点私にはそういうことがない。さらに私は、人の話にさして興味がなく、大体のことは聞き流してしまうし、一日寝たら大体のことを忘れてしまう。友達もいないので、吹聴することもない。恋愛相談をするには、とても便利な存在であると思う。

「興味がなく」「聞き流してしまう」とは言ったものの、相談されればそれなりに、私は親身になってアドバイスめいたことをする。「こうしたほうがいいんじゃないか」「それはおかしいのではないか」「こうなのではないだろうか」しかし、そのどれもが、彼女、彼たちには届かない。

なぜか。

彼や彼女たちは、アドバイスなんぞ求めていないからなのだ。とにかく話を聞いてほしいだけなのだ。私はこれを知るまでに、実に三十年近くの時を費やした。知ったのはつい最近のことであった。アホなのか。しかし今でもたまにしてしまう、相手にとってはどうでもいいクソみたいなアドバイス。基本的に私の返信はこの2つで成り立つ。

「ダメじゃね?」

「やめといたほうがよくね?」

大体が人に相談する時点でそれはけっこうだめな恋愛に発展しているパターンが多い。その証拠に、見事恋愛が成就したり、逆に縁が切れたりと、そういうなにがしかの進展を見せた時、相手からのラインはパタっと止む。そして私には少しの寂しさだけが残る。告白もしていないのにフラれた気分だ。お前の心を癒やすのは、私の役目ではなかったのか。いつの間にかその人物とのラインが日常に組み込まれてしまっていたりして、パタっと止まればそれはそれで寂しい。こうしていつも「ああ、また都合よく使われてしまったな」というような気持ちになる。


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最近仲良くしている女の子は、とても明るく快活で、メンタルが強い。なんなら私の方が話を聞いてもらっていることの方が多いくらいだ。私のメンタルの強さは弱さに由来しているのであって、この子のような快活さとはかけ離れている。私はこの子がとても好きだ。もちろん彼女もそれなりに何か悩みや、私の知らない闇を抱えているのかもしれないが、それは私の知るところではない。無理にこじ開けることではない。私にとっては、「私に見せている彼女」が「彼女」なのだから。私は彼女を明るく、快活で、メンタルの強い女だと思っている。

その子とのラインのやり取りで、私はハッとした。

「恋がうまくいかなくても、自分のこともっと好きになれる屋さん」

なんという素敵な響きだろうか。

私はこれになりたい、と思った。

私はこれになりたいし、関わる人を、私の言葉や、私の脚本、私の演出、そういった創作のすべてで、これにしてあげたい、と思ったりしたのだ。とても大げさだけど。


去年、恋愛ものを二本書いた。そのふたつどれもが、どうしようもなくて、だめで、だらしなくて、はたから見ればアホがわあわあ騒いでいるだけの、なんとも高尚でない、くだらないものであった。

私はずっと「恋愛」に憧れがあった。もっと言えば、「愛」みたいなものと、「恋」に。

「愛される」とはどういうことか、「大事にされる」とはどういうことか。そのどれもが、三十を過ぎた今もわからないでいる。きっとこの先も、死ぬまで分からずに死んでいくだろうなという予感もある。

私はプラトニック信者なので、「何度も身体を重ねた彼、彼女」よりも、「電車で見かけるだけの彼、彼女」の方が尊いと感じてしまう。セックスフレンドとのドロドロのセックスよりも、密かに心寄せている友人と、ふざけて繋いだ指先に、その一瞬に、「そういうもの」はある、と、思ってしまう。

「恋愛がうまくいかない」

というのは全人類共通の悩みであると思う。私はこう考える。星の数ほどいる人類の中で、「カップル」「夫婦」というものの成立、それこそが奇跡であって、とうてい自分にその「奇跡」が回ってくるわけは、ないのだ、と。滅多にないから「奇跡」は「奇跡」なのである。だから、だめで当然なのだ。恋愛、なんてものは。恋愛が成就しまくっている人は、なんか、前世で、めちゃくちゃな徳を詰んでいるのだろう。(と、思うようにしている)

だから、恋愛なんてものは、

「うまくいかなくて当たり前」なのだ。


しかしながら、皆、悩んでいる。その「奇跡」に自分もたどり着けるものだと信じて、そうではない状態にある自分について、悩んでいる。悩むのはいい。悩むのはいいが、自暴自棄になってほしくはない。「若さ」で乗り越えられる程度のことならいい。しかし、私は、自分が相談を受けた人たちには、例え恋がうまくいかなくとも、少しだけ、ほんの少しでいい、幸せになってほしいと願っている。幸せの定義はいろいろあるが、「今より少しだけ、マシ」な状態、だと思ってほしい。

「恋がうまくいかなくても、自分のこともっと好きになれる屋さん」

私はこれになりたい。

だからアドバイスの方向性を、少しだけ変えようと思う。恋愛はうまくいかないのだ。ぅくいくためのアドバイスなんてものはないのだ。基本的には奇跡でもおきないかぎり、君の恋愛は成就しない。でも、それでも。

これからは、

「きっとその恋はだめだけど、それでも、君はとってもかわいいし、かっこいいよ」

そう言って行こうと思っている。












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