遺言ブログ#6 飼い殺した夢
皆さん、こんにちは。教育学部4年の板橋康知です。
最近は無事卒業すべく論文執筆に取り組んだり、年明け以降の諸々の予定に向けて費用を工面したりが主となっています。先週の金曜日、今年最後のサッカー部の練習ということで参加しようと準備していたのですが雨天で中止になってしまい残念です。またいつか参加できればと思います。
さて、遺言ブログ6人目ということで今回で1/3経過となります。熱い投稿が連日更新されており、自分も皆さんにとって少しでも何か伝わる文章になるよう書いたつもりです。もし時間があれば読んでいただけたり、感想をいただけたりすると幸いです。
以下章立てです。
1. 過去の振り返り
2. なぜサッカーを続けてきたのか
3. 今後のサッカーとの関わり方
4. 感謝
1.過去の振り返り
時系列として大学以前からとなりますが、過去を整理する機会もなかなか無いことに加え、思えば今の自分のプレーにつながっている部分もあるので、この場を借りて軽く振り返っていこうと思います。
小学校は地元の少年団で週3回ぐらいで活動していたが、ずっと下手だった。単に健康な体づくりのために始めたサッカーだったので必死という感じではなく、自主練もあまりしていなかったが、試合があるようになってから負けた後ぐらいはするようになった。GKを始めたきっかけは今となっては明確には覚えていないが、近い学年にGKをしたい子がいなかったこと、試合であまり走らなくていいこと、たまに遊びでシュートを止めるのが少しだけ得意だったこと、このあたりが理由な気がする。
中学はサッカー部に入り、相変わらず良い成績を残せたわけでは全くないけども、GKに少し慣れて、自分が何本か止めたりアシストして勝てた試合の喜びが感じられて嬉しかったのを覚えている。
高校でも引き続き部活動として続けていて、初めてGKに精通している指導者と出会う。自分が今まで知らなかったクロス対応やミドル対応の理論を習って、最初は上手くいかなかったがいつしか体に染み付いて自分のプレーの幅が確実に広がっているのが実感できて楽しかった。
そして大学。中高では学校の規則で部活に入らなければいけなかったからサッカー部に入っていたが、大学ではそんなこともない。周りには高校でサッカーを終えたり、大学でサッカーサークルに入る人も多くいたが、とりあえずサッカー自体は続ける気ではいた。サークルという選択肢もあったはずだけど、何となくサークルは逃げな気がしてそうすると学友会の一択だった(もちろん日々真剣に活動している素晴らしいサークルが数多くあることは理解しています)。
最初は例のウイルスの影響で活動が制限され、本格的に活動しはじめたのは8月ぐらいだった。シーズン終了まで3ヶ月ほどしかなかったけど、当時の偉大な4年生の先輩から学ぶことは多く、自分も一年生で失うものが何もないから練習から思いっきりチャレンジできて楽しかった。
しかしその後また活動禁止期間となり、モチベーション維持が難しくなりつつも、フィジカル班で筋トレを担当していたのもあって体を動かすことは継続していた。活動再開後はやっぱりみんなでサッカーできることが嬉しかった。一個上の先輩のメニューはキツいし何度も飛んだ後の着地が痛かったが、自分に足りない部分だったから必要と思って取り組んでいた。公式戦には出なかったが、練習試合で自分の長所を発揮できる機会が増えてきて、あのプレー良かったなとか、もっとこうしたら良くなるなとか、こういう練習取り入れたら良いんじゃないかなとか1人で振り返るのが結構好きだった。そのうちAチームで活躍できるんじゃないかと何人かに言ってもらえて有り難かった。
だが一方で、入部した時から徐々に、大学生としての生活を続けていく上で土日などをサッカーのために使うことが難しくなり、最初は何とか一定程度保っていたサッカーへの時間すらだんだんと確保できなくなっていった。この理由が主となって休部という選択を取らざるを得なくなった(指導者という自分を客観的に見てくれる存在がいないことによる成長の限界を危惧してしまったこと、風磨の大怪我を受けて生活に影響するほどの怪我をするのではないかと恐れてしまったことなどもサブ的な理由としてあるが本質ではない)。
今思えば、それでも何とかサッカーを続ける方法はないかもっと必死に探したり、物事の優先順位が本当に合っているのか何度も確認したり、もう少し何かできたのではないかと思うが、当時はかなり精神的にも追い詰められていて余裕のない状態だった。
そこからしばらくサッカーのない状況が続いた。
3年の3月、区切りがついて土日の時間が確保できるようになったのもあって、戻るならここしかないとサッカー部への復帰を決めた。川内でボールを蹴っていた同期に復帰の意思を伝えたが、これが一番緊張したのを覚えている。この後少しシュートを受けた時に全然動けなかった。久しぶりの練習はすぐ息が上がるしボールスピードに全然合わせられないしでダメダメだったけど、グラウンドに戻ってこれた喜びの方がずっと大きかった。
そのまま最後までフルでやり切りたかったが、院試であったり、1年生の頃から継続的に技術や身体能力の向上に取り組めていなかったことなどにより最後までパフォーマンスを上げ切ることはできなかった。だがその中でもIリーグプレーオフは、負けたのは悔しかったが、今まで作り上げてきた自分を出すことのできた試合だった。あの試合で一緒に戦ったメンバーやスタッフ、健闘を讃えてくれた仲間たちには感謝している。
2. なぜサッカーを続けてきたのか
なぜサッカーを続けるのか、というと何か一般的な意味が強く感じられて恐縮なので、あくまで自分の経験の範囲内で書きます。
自分がサッカーを続けてきた理由は大きく2つあると思っている。
1つは周りの誰かのため。自分を支えてくれた家族にサッカーで少しでも恩返しをしたいであったり、自分を指導してくれた監督やコーチの教えが間違っていなかったことを証明したい。純粋にサッカーが好きで見に来てくれた観客に感動を与えたい。点を取ってくれた攻撃陣や体を張ってくれる守備陣のために絶対ゴールを割らせたくない。アップをサポートしてくれたメンバーやスタッフのために良い結果を届けたい。
例えば、練習の合間に麗希から試合運営のことを聞いたり、陽天から審判の大変さを聞いたりして、サッカー部の活動に多くの人が尽力しているというのを遅ればせながら実感し、試合への思いが強くなったのは事実だった。自分以外の人のためを思うことで、責任感が生まれ、苦しい時でも頑張れたりする。大学に入って環境が大きく変わると、今挙げた要素の中で薄れてしまうものもあるかもしれないが、逆に強まってくるものも確実にあるはずと思う。
もう1つは、自己表現の場としてかけがえのないものだから。
これも例として、自分の一番の長所はロングキックであるが、これは昔の出来事がきっかけだと最近気づいた。小学校の時、試合で相手のシュートが枠外だった後、自分のゴールキックが飛ばなさすぎて(ペナルティエリアを少し出るぐらい)、すぐ相手に回収されて決められることが1試合で何度もあった。ゴールキックがむしろピンチになっていて、明らかに自分のせいでの失点だった。そのことが心底悔しくて、それからキックは真剣に取り組んだ。川島とか西川とか林卓人とか色んな選手のゴールキック動画を何回も巻き戻してスローで見返して。自分自身のキック動画を撮って振り返って、助走の歩数とか軸足の位置とかフォロースルーとか何十通り試して。そうやっているうちに、中学以降では4号級よりも遥かに芯を捉えやすい5号級になったこともあって、ロングキックが自分の強みに変わっていった。そして周りより蹴れる優越感やチャンスへとつながる喜びから、更にキックを頑張ろうと思えた。(ハイボール処理も似たような経験で長所になった)
長所にするまでは時間がかかるし、辛いことも多い。だが頑張って身につけた長所を練習や試合で発揮できると、自分の価値が感じられて楽しく、その楽しさをまた味わうために頑張ろうと思える。自分を自由に表現することが楽しくてずっとサッカーを続けてきたのだと感じる。
しかし悔やんでいる点としては、復帰後、繋ぐチーム方針だから長いボールは控えるべきと思い込み、チームの戦術に合わせすぎて自分自身の価値であるその長所を活かそうとしなかったこと。
チーム戦術の中で自分を活かす方法なんでいくらでもあったはずなのに。
チームの戦術を変えてしまうほど強烈な個があれば良いのかもしれない。でもそうで無いなら、戦術に合致するような長所の習得に取り組んだり、既に持っている長所を何とか活かそうと局所的にでも仲間とコミュニケーションを取ったり、方法は様々ある。活躍するためにどうするべきか、自分の特徴だけでなく、組織の特徴だけでもなく、両方の特徴と関係を理解した上で行動に移すことが重要だと教えてもらった気がする。
この辺りのテーマの話は、過去の先輩方のブログにも有益なことが既に書いてあると思うので、興味のある方は是非再度見てみるといいと思います。
3. 今後のサッカーとの関わり方
生涯スポーツなのでこれからも何かしらの形で続けていくつもりです。どのように関われば自分を自由に表現できるか且つ周りのためになるか、という視点でもう少し考えようと思います。
4. 感謝
先輩方へ
自分もこうなりたいと尊敬できる方々ばかりでした。自分のプレーを誉めてくれる方がいたり、毎週練習後にシュート練習を付けてくれる方がいたり、良い思い出ばかり残っています。自分は近くにいたら比較的先輩にも話しかけていたと思いますが、同期や後輩との関係とも、学部の先輩との関係とも違う何か心地よい関係が好きでした。
同期のみんなへ
何よりまずC0サッカー部の一員としてみんなと一緒に引退を迎えられて感謝しています。復帰せず変な感じで終わっていたら絶対後悔していたのは間違いないです。何回か水曜日の練習に勝手に行っていたのは、自分のパフォーマンスを上げるためでもあるけど、みんなと一緒にプレーする時間を少しでも増やしたかったからでもあります。できればもっと公式戦で一緒にプレーしたかった。でも最後の4年生としての学年対抗戦はとても楽しかったです。今後もぜひよろしくお願いします。
GKチームのみんなへ
GKチームの雰囲気が大好きで、自分にとって安息の地でもありました。毎日の練習が本当に楽しかったです。GK全体で8人程もいるのは初めてで、その分試合に出るのは簡単ではないけど、各々で意見交換できたり、練習の幅が増えたり、時にはフィールドへの不満を共有したり、一つ一つの思い出が印象深く残っています。それぞれが違った武器を持っていて、間違いなく今後も成長していくと期待しているので楽しみです。この環境への感謝を忘れず、一個一個の課題に向き合って且つ中長期的な目標も忘れずに活動してほしいなと思います。
親へ
サッカーを始めた時は大学まで続けるとはお互い全く思っていなかったと思います。今ではサッカーが、自分が自分であるための必須要素の1つとなりました。サッカーを始めるきっかけを与えてくれたこと。GKという最初は反対していたポジションでの活動を支えてくれた事。時には朝早くから時には夜遅くまで送迎してくれた事。壊れた練習着を何回も直してくれた事。書ききれませんし、ありがとうの一言では伝えきれませんが心から感謝しています。
ここで挙げた以外にも、サッカーを通して数えきれないほど多くの方々に出会い支えられてきました。この文章を書くにあたって、今までを丁寧に振り返ることで改めて実感しています。最後になりましたが、今まで関わった全ての方に感謝申し上げます。
長く書いてしまいましたのでこの辺りで筆を置こうかと思います(もちろん筆は持っていません)。読んでいただいた方は大変だったかと思いますが、自分はブログが計2回で、本来あと2〜3回書くはずだった分も合わせた量ということでどうかご容赦ください。
それでは。
教育学部 4年 板橋康知
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