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遺言ブログ#16 どう捉えるか

みなさんお久しぶりです、経済学部経営学科4年の山下知之進です。
2023年ももう終わってしまいますね。あと3か月もしたら社会人になろうとしていることが未だに信じられません。信じたくありません。でも時は止まってはくれないので、とりあえず残りの大学生期間を120%で楽しんでいきたいと思います。


あ、そういえば今日12/29は梅本の誕生日ですね。
おめでとう、うめ。将来彼が結婚式を挙げる際には、東北大サッカー部の同期を全員呼ぶらしいです。相変わらずアツいやつですね。みんな参加しようね?


最後のブログということで、何を書くか悩んだ末、みんなと同じように4年間を振り返りながら、思ったことを書いていこうと思います。サッカー人生を全て振り返ろうかとも思いましたが、誰も興味無いだろうと思ったので、やめておきます。もし聞きたい人がいたら、飲みにでも誘って聞いてください。行けたら行きます。

宮本のブログを読んだ後は非常に書きにくいですが、もうほとんど書いてしまっていたので、気にせず始めていきます。拙い文章になりますが、ご容赦ください。



1年目


大学でもサッカーを続けるとしか思ってなかったので、3月に見学に行って、当たり前のようにこの部活に入った。しかしコロナのおかげでなかなか始まらなかった。結局全体練習できるようになったのが、8月?とかだった気がする。
河川敷でボール蹴ってたとはいえ、まだまだ感覚は戻ってないなって感じてた。少し焦ってたけど、日ごとによくなってる実感はあった。そのうち、けが人とかの関係もあって、Aに上がれた。

Aに上がってからは自分のアピールしか考えてなかった。運良くスタメンで練習試合に出たときも、自分のプレースタイルでも、スタメンで使えることを首脳陣に思わせたかった。
それが上手くいったのか、コロナで後期だけになった学生リーグ開幕戦をスタメンで迎えた。ここでも、正直、試合の結果はどうでもよかった。ここから継続して試合に出るために、いかに自分のプレーを、100%を、発揮できるか。そこだけにフォーカスしていた。それもあってか、全然緊張していなかった。
結果的に、それなりのプレーをして、試合にもギリギリ勝てた。とにかく楽しかった。ピリピリした雰囲気がたまらなかった。

そんな調子で、1年目から学生リーグ全7試合にフルで出ることができた。
実は、高校まで先輩と試合に出るのが苦手だった。どんなプレーしたらいいのかわかんなくなって、遠慮して合わせすぎたりしていた。(これは僕の内向的な性格が原因であって、先輩方が嫌いとかそういうわけじゃないですよ、青山さん)

そんな経験もあって、大学ではサッカー中に、先輩たちをそんなに上に見ないようにした。良い意味で、です。
先輩たちの考えが、別に全部正しいわけではないし、自分が曲げてはいけない部分は、自信をもって貫けばいい。良いものがあったら真似すればいい。それでだめならしょうがない。自分にはこのくらいの心構えが合ってると気づけた。

1年目開幕戦勝利


2年目


この年もコロナが暴れ散らかしていたので、開幕が遅れたり、8日間で4試合とかわけのわからない日程もあったが、なんとか総当たり2周できた。

このシーズンの個人の目標は、チームに良い影響を与えられるようになることだった。特に、試合中にピッチ全体を見て、チームに必要なことをより多くできるようになりたかった。
そのために、試合を何回も見直したり、練習から意識していたが、まあ難しかった。頭に入れる情報も、処理するのも多いしで、キャパオーバーな感じがした。
自分のプレーはあんまりよくなってる気がしなかった。あとは、失点に絡むことが多かった。というか印象に残ってるのが多い。PK与えたり、パスミスから失点したり。自分の中の迷いみたいなのが出てしまっていたのかもしれない。

この年の学生リーグは、最終節の残り5分で交代した以外は全部出た。チームの結果は1年目と大して変わらなかった。
いくらチームスポーツといっても、個人の集まりだから、1人1人がレベルアップしないと勝負にならないと率直に感じた。

みんなそう感じたのかわからないが、筋トレしてる人が増えた。
でも自分はほとんどやらなかった。
正直に書くと、筋トレが嫌いとかじゃなくて、体の変化に追いつかなくなるのが怖かった。中学生の時、身長が一気に伸びて、感覚が変わって思うようなプレーができなかったのを思い出してしまった。またそうなるんじゃないかと思うと取り組めなかった。


3年目


代替わりで副主将になった。なってもおかしくは無いとは思っていた。
チームが勝てるように、みんながサッカー上手くなるように、多くのことを考えなければいけない立場であることは、分かっていた。

でも、まずは一選手としての自分を大切にしようと思ってしまった。自分は試合で活躍することが、最も貢献できると思って、そこはブレないようにした。

これが最善の選択だったかはわからない。
結果を見れば5位だったし、後期上位リーグ全敗だし、最善ではなかったのかもしれない。
もっと自分を犠牲にしてでも、チームのための行動に時間をかけていたら、結果は良かったかもしれないし、逆にもっと悪かったかもしれない。
でもその優先順位を変える勇気は無かった。
理由としては、2年目に周りのことを考えすぎて、プレーがよくなってると感じられなかったこととか、あとは、首脳陣とか関係なく、同期の様子を見ていて、別に自分がそこまで考えすぎなくても、いい方向に向かいそうだと思ったのもある。

サッカーの内容としては、1,2年目よりもチームとして、ボールを大切にすることを目指した。
これは勝つことももちろんだが、正直、自分の中のやりたい、やりやすいサッカーをしたいと思った。でも、自分の思っているサッカーにはならなかった。
難しかった。自分はどうやって教わったのかを思い出したりしてみたけど、大きくは変わらなかった。
個人のプレーでは、試合を見返した時にポジショニングとか、左足とか良くなってはいるなと感じた。


首脳陣おつかれ
ぶつかったらりきさんの鎖骨折れた、ごめん


4年目


入部後、初めて冬にちゃんとサッカーができた。遠征もできてよかった。天皇杯でSASUKEに負けたのは痛かった。もっと強いところとやりたかった。

学生リーグは前期、後期でやっと普通のシーズンが送れた。
一言でまとめるなら、悔しい、の一言だろう。特に後期。1勝しかできなかった。
1年目から試合に出てて、4年の影響力、勝たせるところを、泥臭くも格上に食い下がるところを、1番近くで見てきた。
今年は自分がその立場だと思ってた。勝たせたかった。思いあがってるなって思う人もいるかもしれないけど、本気で思ってた。
もちろん、サッカーだからチームとして頑張るんだけど、ましてやもう首脳陣でもないけど、でも、自分が見てきた4年はそのくらいチームにとってデカい存在だった。

だから、自分が4年になって最後に、残留争いをしているのは、自分の力不足を叩きつけられているようだった。悔しかった。

この4年間、自分のプレーばかり考えてきたツケが回ってきたのか。何をすればこうならなかったのか。わからなかった。というか、考える気もなかった。
これから、サッカーに対して、今まで以上に向き合うことも、悔しい思いをすることも、たぶんない。原因を解明しても、活かす先がない。
そう思うと、考える気にならなかった。

最終節、学院戦。内容も結果も、理想とはほど遠かった。
終わった後、みんな泣いてた。涙の理由は人それぞれだろう。でも泣けなかった。置かれてる状況は悔しかったけど、割り切って残留のためにプレーした。勝たせたいというよりも、せめて残留はさせたいという思いの方が強かった。
それを達成できた。よかったなって思うと、涙は全く出てこなかった。
この4年間の結果に悔しさはあれど、自分の取り組みに後悔はない。そう思った。


挨拶の時も膝に手をつくのはよくない

振り返って


4年間をざっと振り返ってみて、そしてこれまでの他の人のブログを読んでみて、僕は大学サッカーを楽しめた側の人間であると思った。

試合に出られる喜び、良いプレーをしたとき、意図を共有できたときなどは当たり前に楽しい。これはほとんどの人に当てはまることだと思う。
しかしサッカーでは、そんな場面が全てでは無い。弱くて、下手だったら尚更少ない。
そうだとしたら、結果が出ないとき、納得できるプレーができないときは楽しくなかったのか。と考えると、自分はそうではなかった。
何で上手くいかないのか、どうしたら良くなるのかを考えることも、自分にとっては楽しいことだった。
だからこそ、4年間を振り返ったとき、楽しめたと書くことができるのだと思う。

今思えば、この一見すると非常につまらない状況を、楽しめるという捉え方をするようになったのは、中学生の時だと思う。
良いプレーも悪いプレーも「なんで?」とたくさん質問された。頭で考えることを徹底された。続けていると、なぜそのプレーが良いのか、悪いのか、自分で考えられるようになった。そしてどうすれば良くなるのかを考えるようになった。このプロセスを経て、改善していくことが楽しかった。
サッカーを考えるってこんなに楽しいのか、と感じた。

しかし、大学生になって、自分はこれをチーム全体の改善に対して応用することができなかった。チャレンジすることにビビっていたのもあるし、単純に自分のプレーの改善を優先してしまったのもある。

ここまで読んでわかると思うが、少々、というかだいぶ、自分のことばかり考え過ぎである。自己中心的な人間だ。
自分のプレーを良くする、できることを増やす。それらのことに力を注ぎ過ぎている。もっとチームを強くするために、他にやるべきことがあるだろう。と思わなかったことが、無い訳では無い。
ここで踏み出せないこと、自分にしか矢印が向けられないこと。これらは明確な自分の弱点である。この4年間でよくわかった。現にチームの結果は向上していない。

ただ、少しでも自分を肯定するならば、長所と短所は表裏一体である、ということだ。長所に言い換えるならば、サッカー選手としての自分に向き合い続けることができる。だろうか。
この4年間、自分なりに、食事や睡眠などの生活の基礎から大切にした。これが毎日の練習に、万全の状態で望むために必要だと思っていた。そして、万全の状態で望むから良いプレーをすることができ、試合のメンバーに選ばれる。試合に出て活躍する。
全部繋がっているからこそ、オフザピッチにもこだわった。
毎日の準備の積み重ねが自信になった。
そのおかげか、どんな試合でも緊張はしなかった。大きな怪我もしなかった。

こうして自分と向き合ったことが、4年間ほぼ全部のトップの試合にフルで出れたことに繋がったのだと思う。
たくさんの試合に出ることができて幸せだった。(学生リーグ48試合、大臣杯6試合、天皇杯5試合)

自分なりのサッカーを楽しむための準備をし続けた4年間だった。

勉強、遊び、バイト、やることありすぎて無理だわって人もいると思う。それは仕方ないのかもしれない。
でもそれらをやりながら、サッカーもやって、格上に勝つというのは、僕は到底無理だろうって思ってしまう。そんな都合のいい魔法はない。
もちろん、東北大だけの特徴もある。指導者がいないとか、自分たちで分析、広報、スポンサー獲得してるとか。そこを推していくことはいいことだけど、やっぱりサッカー部である以上、結果は重要だと思う。
サッカー強いのに、学生たちでいろんなことやってる、という方がより多くの人に興味関心を持たれ、応援される組織になるのでは、と思う。
だから、一サッカー選手であるなら、サッカーを楽しむための準備を妥協しないでやって欲しい。
もちろん自分も完璧にできていた訳ではないけど、このチームの他の人と比べたら、やっていた自負はある。
だから本当はみんなもっと楽しめるはず。

なんか、全体の前で話をする時とか、毎回同じような話をしているような気がするが、そのくらい僕の中では大切にしているということだ。
あの本田圭佑も何かのインタビューで言ってた。
準備が1番大切だと。


宇高①


宇高②


だらだらと書いてしまったので、この辺で終わりにします。
あとは例にならって感謝を述べていきましょう。


感謝の言葉

先輩
非常にやりにくい後輩だったとは思いますが、一緒にサッカーをやっていて、学ぶ場面も多々ありました。ありがとうございました。


後輩
勝たせられなかったのは申し訳なかった。これではだめだというのを、この1年でわかってくれたやつも多いと思うから、変えるところは変えて、貫くところは貫いて頑張って欲しい。
よく分からん人間で、接しにくかったとは思うけど、ありがとう。


同期
サッカーに対して本気で向き合っても恥ずかしくない環境はそこら中にあるわけではない。まして大学生になって。でもこの学年はそうじゃなかった。それは自分にとってすごくありがたかった。
本当にありがとう。これからもよろしく。みんなの将来が楽しみだ。


家族
サッカーに本気になれる環境を与えてくれてありがとう。とても感謝しています。恩返しと言えるかはわからないけど、15年間のサッカー人生でそれなりに楽しませることができたと思ってます。これからはそれぞれの趣味に没頭していただければと思います。いくつになっても家族に変わりはないので、今後ともご支援、ご協力のほどよろしくお願い致します。


たいが、宮本、りきさん
いろいろ迷惑かけたと思うけど、この3人が一緒だったから楽しめたと思います。たいがはやっぱキャプテンだなって何回も感じたし、宮本は名監督だし、りきさんは授業忙しいし、めっちゃ良いバランスでした。ありがとう。


サッカーを通して、お世話になった方や仲良くしてもらった方は他にもたくさんいますが、書ききれないので許してください。ありがとうございました。

これで遺言ブログを終わりにしたいと思います。最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました。


最後に


さて、ここまで続いてきた僕らの代の遺言ブログも明日で終わりです。我らがキャプテン、たいががトリを務めます。きっと、感動して、ためになる、素晴らしいブログを書いてくれること間違いなしです。期待して明日を待ちましょう。

それでは、4年間お世話になりました。
さようなら。
Enjoy Football !!


東北大学学友会蹴球部4年 山下知之進


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