長靴をはいた子

きっとあれは5歳とかそれくらいの頃。
世間では幼稚園の年少さんとでも言うのだろうか。
いや、日中家にいたから、幼稚園入園前かもしれない。
まぁ、そんなことは置いておこう。

いつものように、家でご機嫌に遊んでいた。
積み木か何かをしてたんだと思う。

ふと、何かに違和感を覚える。
今でも覚えてるのが不思議なのだが、ハッと我に返るような感覚だった。

そして、気づいた。
ひとり。ひとりぽっち。

そう、お母さんが見当たらないのだ。
あたりを見渡しても、静寂が広がり、昼間のなんとも言えないまどろみがあるだけ。

私は泣きそうになりながら、家中を探した。
まずは一階。どこにもいない。
急いで二階に駆け上がる。
寝室。いない。
私の部屋。いない。
どこを探してもいない。

とうとう、目から涙が零れ落ちる。
私の頭には2文字が浮かんでいた。

「家出」

お母さんは何か事情があって、
家出をしてしまったのだと。
私を置いてどこかに行ってしまったのだと。

悲しくて悲しくて。
頭の中はどうしようでいっぱいで。

もしかしたら外にいるかもしれない!
一抹の期待を持って、私は玄関に走った。

人間は「クツ」というものを履くということら人間になりたて、もとい、人間よりチンパンジーに近い私にも分かっていた。
きっと幼児用の靴だから、マジックテープを引っ剥がして足を入れ、トントンと床に打ち付けて、マジックテープを押し当てるとかそういう類のものだろう。
だが、当時の私には非常に良い面倒くさかった

そこで私が目をつけたのは何と長靴だった。
プリキュアなんかはステッキのボタンか何かを押せば一度で変身できる。
それと同じで長靴は足をスポーンとつっこむだけで外に出られる便利なシロモノだ。

その日はまさに晴天という空模様だった。
雲ひとつない晴天の昼下がり、のどかな住宅街のある家の玄関に長靴をはいて号泣する子がひとり。
今思えば、とてつもない光景だったに違いない。

でも当時の私はいっぱいいっぱいだった。
長靴をはき、玄関に出て左右を見渡すが、お母さんはいない。涙は零れ落ちるどころか濁流である。

ひとしきりウワンウワン泣いた。
そうしていると、ひとりの女性が幼い私に話しかけてくれた。ご近所さんである。
私は泣きじゃくりながら
「お母さんがいなぃぃいいい」と言った。

すると彼女は何と私の家のインターホンを鳴らしたではないか。
そして何か喋っている。
数秒後、家のドアが開き、出てきたのは何とお母さんだった。
何と、トイレに行っていただけであったのだ。

これは後々話していて分かったことだが、母がトイレに行っている間に「お母さんがいない!」と私が大騒ぎしていたらしい。

本当にお母さんに会えて良かったと心から嬉しかった。

あれから、約15年。
身長は母を追い越すほどになった。
そんな今でも母は「お母さんトイレ行ってくるからね」と言う。
この一件以来、言うのが習慣になったらしい。

私も「家出」のワードが出るたび、「長靴をはいて出るよ」とネタにしてきたわけだが、この4月から家出(ひとりぐらし)することになった。

お母さん、長靴をはいて探さないでね。
年に数回、インターホン鳴らしに帰るから。

冷凍庫をハーゲンダッツでいっぱいにします!