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インプレゾンビ、うたすと2

 弁護士の今野は、若い男から依頼を受けていた。男からインプレゾンビに捕まった自分の妹、沙耶を連れ帰って欲しいという依頼だった。インプレゾンビからメッセージを受け取るための帽子というものを被せられた。内面には、コードや金属端子などが見えた。

 彼女は、三年前、SNSの裏アカウントで知り合った相手とやり取りをしていて、彼ピ・ピ・ピ、ゾンビ・ビ・ビと口ずさみながら、突然家を出てしまったらしい。彼女は開示請求案件の私の顧客だった。
 ネットで調べてみると『インプレゾンビ』に取り憑かれた人間は、デジタルの“向こう側”に囚われるのだという。向こう側ってなんだ?

 インプレゾンビに関する話題の中で、どうしても気になる単語が今野にはあった。「バーチャルドール」と呼ばれる謎の存在だ。インプレゾンビとバーチャルドールは、力を合わせて悪事を働いているようだ。

 指定された場所を訪れ、特定の人物に合言葉を伝え、組織に潜入するために今野は椅子から立ち上がった。

 指定通り、午前二時、今野は指定されたインターネットカフェの店員に、合言葉を言った。

「彼女は、インプレゾンビの妻だ」

 一瞬、店員の目が微かに動いた。沈黙の後、店員はゆっくりと頷き、指先で店内の奥を指し示した。

「こちらへどうぞ」

 心臓の鼓動が高鳴るのを感じながら、彼はゆっくりと指定された扉に手をかけた。ドアノブをひねると、古い蝶番が軋むような音を立て、薄暗い部屋の中が目の前に広がった。

その部屋の中央には、一台のパソコンがぽつんと置かれていた。

 彼は椅子に腰掛け、そっと手を伸ばしてマウスを握った。画面には、「ようこそ、今野先生」とだけ表示されていた。自分の名がどうしてここに表示されているのか、その理由を考える余裕もなく、彼は指先でマウスを動かし、画面上の「ENTER」のボタンをクリックした。

 その瞬間、画面が切り替わり、見知らぬ部屋の中を映し出すライブ映像が表示された。今野は目を凝らした。白い壁、整然と並んだ家具、その中央に立っているのは――沙耶だった。彼女はカメラの方をじっと見つめ、口元にはうっすらと笑みを浮かべていた。彼は息を呑んだ。まさか、本当に彼女が――。

「沙耶さん!」

 彼は思わず叫んだ。沙耶がふっと口を開いた。

「今野先生」

「沙耶さん、君は――」

 言いかけた言葉が喉に詰まった。沙耶は、まるでそれを予測していたかのように首を横に振った。

「違いますよ、先生。私は沙耶じゃありません」

 彼女の瞳が、ゆっくりと今野を見据えた。今野は冷や汗が背中を伝うのを感じた。

「私は、インプレゾンビの妻です」

 彼の心臓が一瞬止まったように静まり返った。

「沙耶はもういないんです。ずっと前にデータ化されて、実体はありません。私は、その記憶と感情を持つバーチャルドール。彼女を再現した、デジタルの存在なんです。ねえ、先生、弁護士の知識が必要なんです。私と一緒にこちらに来ませんか?二人で、永遠にここで一緒に」

 その瞬間、今野の視界がぼやけ、部屋全体がゆっくりと揺れた。パソコンの画面が急激に暗転し、再び現れたのは、沙耶の兄だと名乗った依頼者の男だった。

「私がインプレゾンビです」

 今野は身を乗り出して画面を見つめた。手が震え、パソコンを操作することができない。

「この依頼、あなたが受けたときから、すべては決まっていたんです。なぜなら、先生――」

 彼はそこで一瞬言葉を切り、ゆっくりと微笑んだ。

「あなた自身は、すでに“データ化”され、実体は処分したので」

 今野は心臓が止まるかと思った。心臓自体存在しないかも知れなかったが、信じられない。だが、インプレゾンビの言葉はなおも彼の耳に突き刺さる。

「そう、あなたは“リアル”にいるつもりかもしれませんが、ここにいるのは、あなたのデジタル化された意識だけなんです。ずっと前に、あなた自身が“こちら側”に来たことに、なぜ気づかないんですか?」

「バカな……そんなこと、あるはずがない!」

 だが、彼が叫んだ瞬間、彼の周囲の景色が歪み始めた。壁が溶けるように消え、部屋全体がぼんやりとしたデータの断片に変わっていく。彼の手元にあったはずのパソコンが消え、ただ無数の光の粒子だけが宙を漂っていた。

 その瞬間、今野はすべてを理解した。自分はもう、とっくに「向こう側」に囚われていたのだ。あの帽子を被った時、彼の意識はすでにこの世界に引きずり込まれていた。

 彼は絶望の中で目を閉じた。もはや、どちらが「リアル」かを判断することさえできない。

 そして、彼が最後に目を開けたとき、目の前には再び「彼女」の微笑みがあった。

「ようこそ、先生。これがあなたの“新しい現実”です」

 その声は、彼を優しく包み込み、もう逃れられないことを告げていた。
 (1991字)



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