散歩しながら散歩の話を書く

昨晩は朝方から眠り、半日ほど眠って目覚めると、もう次の夜になっていた。新年度とか、そういう制度や仕組みをぼくはよくわかっていない。が、4月にも差し掛かり、みんな色々と忙しくしているみたいだ。とにもかくにも自分は休日であるため、世間なんか知ったことかとふらふらしている。なんだかずっとずっと休みで体が鈍っているのだ。日がな1日好きなこともせずにベッドに沈んで暮らしている。そのうち、鉛の体がベッドを突きぬけて地球の裏側まで行ってしまうんじゃないかと考えることがある。当然、そんな楽しいことは起こらなかった。ずっとずっと寝ているけど、たまには体を起こした方がいい。桜は満開って聞くし、家を出る。散歩が始まるというわけだ。ま 夜中だし、ここにはなーんにも街灯がないからあったとて見えないんですけどね。

玄関先に行くまでにベッドから起き上がるとくらりとする。もう行くの辞めたくなったかも、そんな気持ちを殴りつけてごめんなさい、と言わせる。ふん、舐めるなよガキ、死ね。コートを羽織り靴紐を縛る。カギを忘れて、取りに戻る。もう帰りたい……。そしてまた外へ繰り出す。寒ぃ、こんなんでも桜が咲くって本当なのかよ?でも昼は暖かいらしいって、眠っているので知ることはない情報の「想像」が脳を走る。多分本当にそうなんだろう、今考えたから知らないけれど。

とりあえず家を出たは良いが、別に目的なんかないのである。とりあえず家の裏手の川沿いへ向かう。桜が咲いてるって言うから見てやろうっていう魂胆だ。3日前、ここいらをぶらついた時は0.1分咲き……と言った具合で、ごくごく僅かな花をピンク色の枝の先に何とか探して見つけられるぐらいだった。おそらく、もう数日だらだらしているだけで葉桜にうつり変わってしまうのだろう。もう少し待っててくれたっていいのに、めんどくさいたらありはしない。別にぼくに見せるために咲いているわけでもない桜のことを考えた。考えて予習復習も済んだ頃、用水路の小さな橋(と呼ぶかも知らない)を渡ると、暗闇に桜の木が見える。

かつてはここに提灯が下げられ、ライトアップもされていたと思う。賑やかな感じだった。このご時世になってから、2年は下げられていないだろう。どうせ暗くて何も見えないので、テキトーに散策する。寒くて風が気持ちいい。散歩をすると素晴らしく気持ちが晴れる、特にぐったりしてる時なんかは最高だ。ぐったりしてきたら、コートを着て家を出る。疲れた……行きたくない……という所までがセットだ。別に桜なんか全然見えはしないが、とても気が良いのである。それがなぜかお話しよう。

立っているとくたくたに疲れる。立っているのが嫌で嫌で仕方がない。というか、寝ていても疲れている。なーんにも知らないが、疲れが疲れて疲れているのだ。じゃあ、歩くってのはどうなのか?散歩をしている時、人は歩いているんだろうか。家を出た瞬間から足がぱたぱたと歩き出している。多分、今自分は歩いていないんだろう。勝手に足が歩いているから、ぼくは疲れていないのだ。感謝すべきかもしれない、ありがとう。証拠に、迷子になるくらいどこまでも歩いたりできるのである。外は楽しいことがたくさんだ。

序文としてここまでをベッドの上で書いた。さて、疲れて全然行きたくないが、上記のルートを歩き回って来ようと思う。おそらく書いたまま程度の、予測されうるのとおんなじ発見があるはずだ。だって珍しいこと起きるほど何かある場所を歩くわけじゃないからね。

外を出て見ると、やっぱりめちゃくちゃ清々しい気持ちになった。それと同時に、予想外に外が真っ暗で多少心細い気持ちになった。普段、住んでいるところもよく夜中に歩き回るが、あちらは明るい。今散策しているところは、街灯がないから、なんだか文字を打ちながら歩いていると、転ぶか死ぬかわからないが死ぬかもしれない気がしてくる。見えない満開の桜なんてすっぱいぶどうみたいなものなので、多少は明るいルートに変更しようかなと思う。明るいけど、何もない。

四六時中明かりの灯っているクリニックの看板を見る。子供の頃はここにかかっていた気がする。夜くらい電源を落とせばいいと思うのだが、別に自分が支払いをさせられているわけでもないので本当にどうでもいい。どうでもいいことは驚くほど責任が付きまとわないので、永遠に考えていていい所がおもしろい。看板の先を抜けると、やはり超少ない街灯がちらちらついているだけなので、何もない上に暗い場所に出る。しばらく考える。うーん、暗かろうと桜の木がある方がおもしろいかも、引き返すか。

一人きりで歩いているので、100回ルート変更を行おうと誰ひとりとして文句は言わないだろう。しめしめ、ざまあみろ。来た道を引き返す。というか、普段の散歩であれば外を眺めながらいろいろと考えるだけであるので暗かろうが何だっていいのだが、今はスマホにかじりつくように文字を打ち込みながら歩いている。ここで、画面から目を離して外を眺めてみた。全然楽しい。スマホは面白くなかったのかもしれない。次のゴミの日には絶対に出そうと思った。

暗闇の中の一角、ひときわの光度を誇るコインランドリーがある。照らされた姿の桜の木は、全然満開だ。ここでまた、ちょっと楽しい気持ちになった。立ち止まって桜の木をまじまじと見ていると、花がボール状に実っていることがわかる。暗いから、花のシルエットに目がいかない。木に、ふわふわとした生き物がたくさんくっついているようだ。明かりが灯ってさえいれば、見物人の1人2人は居そうだと思うのだが、ここには人気がさっぱりない。独り占めしているような錯覚を覚える。いい気持ちポイント2点目だ。まあ花のシルエットも見えないような有様なんですけどね。

寄りかかれるようなガードレールにもたれ、次のコースを考える。別に目的があるわけじゃないので、ずっとここにいてもいいかと考えたが、散歩の趣旨に外れるだろう。それに、じっとしていると寒いのである。いくら桜が満開だろうって、夜は寒いのだ。手がひえひえだ。手がかじかむ前に何かおもしろいものを見つけてオチをつけねばなるまい、そう思って歩き出した。

オチ……オチのことを考える。散歩しながら文章を書いているのだから、この文章が終わる時が散歩の終わりに当たるだろう。何か書こうと思って、今は桜の木の下に潜り込んで上を見上げている。めちゃくちゃ楽しい、しばらくこうして遊ぶので、スマホをポケットにしまった。

しばらくそうしていたあと、そうだ、写真に写してセットにしておけば、この楽しさが伝わるのではないかと思い、木の下でカメラを構えた。そういえばここは暗がりでしたので、驚くほど何も映りませんでした。ですので、この光景を文章で書きますと……その……ふわっと……ふわっとってお菓子をご存知でしょうか、おいしいんですけどね あれを、欲張って手に取った時の塊のようなものが、360度広がっております。まあ、楽しいんだなと伝わればそれでいい気が致します。

この文字を書いている時も足は動いている。(自動的に歩いているからね)顔を下げていると暗闇も気にならないが、目線をあげると何か怖いものでも出てきそうな気がする。そうして、暗いと怖いと思い、ふと目線を空にあげますと、星が見える。ぼくは散歩の天才なのかもしれない。楽しいポイント3点目だ。もう1つでもとれば、天才プレイヤーとして名が知られることだろう。

ここまでを書いて、そろそろ手がかじかんで誤字ばかりを直すようになった。引き返すか、目的もないし……先ほど明るかったように感じた家が暗くなっている。冷たい手を交互にポケットに入れながら、初夏あたり歩き回るのもきっとおもしろいだろう、と考えた。

今回あまり書かなかったが、散歩して楽しいことといえば音もあるだろう。初夏あたりであれば、虫の声がする。いつ頃がシーズンかしらないが、カエルが鳴いているのもいいかもしれない。帰りかけたが、ガードレールまで戻り、耳をすましてみる。通りがけ、ものを焼くようなドラム缶に目が行く。バームクーヘンのような形だ。

4月頃と言うと、何か生き物の声でもしそうなものだが、案外静まり返っている。車がどこか遠くで走る、そんな音しかしない。それに混じり、かんかんかん、と遮断機の下がる音がする。時刻からして、最終電車かもしれないな、と考えている。次に聞こえるのは救急車のサイレンくらいで、そういえば救急車なんて呼んだこともないのに、よく見るから不思議だと思う。ずっと何かを考えるばかりである。

開けた田んぼのど真ん中で上を見上げると、空がプラネタリウムのドームのようにまんまるく見えて気持ちがよかった。

しばらく夢中になり、そうして遊んでいたあと、自分の近くを車が2、3通りどきどきしてくる。もう帰ろっかなという気がする。散歩ってこんな具合だ。急に出て急に帰る、そんな感じだ。みなさんも、ぐうたらしたい時はベットに寝るより歩き回るのもいいかも知れません。歩き回ると、寝ているよりずっと疲れが取れます。徘徊しましょう。オチになるほどのおもしろいことが起こらなかったので、帰宅してからベッドの上でまとめの一文を書く。もういいだろう、ではさようなら。

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