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#72-4 札幌オリンピック(その2)フィギア規定

フィギアスケートって今はショートプログラムとフリーですが、当時はショートは無く、コンパルソリーフィギュア(Compulsory figures)ってのがありました。

Compulsory:強制的な、義務的な、必修の。「規定」と呼ばれました。

女子で優勝したベアトリクス・シューバ(墺)はフリーで7位だったのに規定が得意で総合1位になってしまいました。フリーで1位と2二位のジャネット・リン(米)、カレン・ダイアン・マグヌセン(加)は規定が不得意で銅、銀に終わり論争が起きたのです。

1968年(グルノーブル)まで6割⇒1969年5割⇒1973年ショートプログラムが導入、4割⇒1976年以降は3割⇒1989年2割⇒1990年3月の世界選手権を最後に廃止

ちなみにショートプログラムは、時代によってコネクテッドプログラム、1989年からオリジナルプログラム(Original Program)、1993年から1994年シーズンはテクニカルプログラム(Technical Program)と呼ばれていました。

その後

伊藤みどり(日)も規定が苦手で練習のほとんどを費やしました。廃止後のアルベールビルオリンピック(1992年)の優勝候補の筆頭となる。

トーニャ・ハーディング(米)はコンパルソリーが苦手でしたが、廃止されたため頭角を現すようになり、アルベールビルオリンピック(1992年)に出場できました。

92年アルベールビル:1位ヤマグチ、2位伊藤、3位ケリガン、4位ハーディング

92年アルベールビルと94年リレハンメルは間が2年しかありません。

これまでオリンピックは夏冬同じ4の倍数年に開催していたのですが、冬季大会の開催を2年前倒したのです。FIFAワールドカップの開催年と同じ年になったのです。

そして1994年1月6日、リレハンメルオリンピックの選考会でナンシー・ケリガンが何者かに襲われる事件が起きました。

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