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ゆりかもめ 11月24日

学校の課題やらなんやら、次何をすればいいとか、今後のこととか、いろいろ整理が追いつかなくなることがこの頃多い。余計な自意識が膨らみすぎて小さなことでいちいち精神が消耗したりする。グチャッとした服でパツパツになった引き出しみたいな感じで、一つ一つが小さな課題だから畳んで整理すればスッキリするするかもしれないけど、グチャグチャの頭で何をする気にもなれないというジレンマに陥っている。

伊勢物語の「東下り」という話にゆりかもめが出てくる。ゆりかもめは毎年11月下旬に関東に来るという、ちょうど古典の授業で伊勢物語をやっている自分にはうってつけのタイミングだった。学校の外には神田川というくっせえドブ川があって、窓を眺めると、たまにゆりかもめが魚をついばんでいるらしい。古典の先生が言っていた。都心も都心の学校周辺のビル街で、いびつながらもこうして自然の営みは行われている。

あんまりに心にゆとりがないせいか、呑気な性格に定評があった自分さえ、そういう視点が一切なかった。通学路と5階の教室の往復で、本来あった歩くとか移動することで風景が変化するのを楽しむという感覚が働かない、心が死んでいく過程を歩んでいるような気がする。審美眼とか鑑賞的な気分が抜けていってるのは、心に余裕がないのが原因ではなくて、引き出しのスペースを無理矢理確保するために、捨てちゃ行けないものを捨てているからなんじゃないかと思った。
昔小学生の時、卒業文集で書いた「僕は一流の暇人になりたい。一流の暇人というのは、ただ呆けてブラついている奴のことではなくて、どんなに忙しくても、心のゆとりを持って、自分の価値観を忘れない人だと思う。」という文を思い出した。

ゆりかもめはもうじき、このコンクリートジャングルを飛び立って大海原を渡るのだろう。窓から見ている分には羨ましい限りだが、あいつらだって、何もかもイヤになって憂さ晴らしでパサパサ飛んでいるわけじゃないのだから、僕ももう少し頑張ってみることにした。

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