初任給がネクタイ1本に化けた話

会社に就職して最初の給料を受け取ったのは、当時泊まり込んでいた会社の研修所だった。当時はまだ週休2日制でなかったから、土曜日の午前中に、手渡しで。研修中だからまだ働いているという実感はさほどなかったし、紙幣の入った封筒は薄っぺらいものだったが、それでも、初めての給料というのは、テンションが上がるものだ。当然、そのときの私もそうだった。

それを胸ポケットの財布に入れて、かなり上機嫌で、研修所から実家に向かった。研修は午前中でおしまいだったから、週末は実家に帰って、両親に報告などして、何か食事でも招待してあげよう、とか考えていたわけだ。途中、銀座で途中下車して、松屋でネクタイを1本買った。うさぎとかめが追いかけっこしている図柄。ネタとして面白いかな、ぐらいの気持ちだった。街全体がどことなく弾んでみえたのは、季節のせいというより、自分の機嫌がよかったということなんだろう。

実家の最寄り駅に着いて、その足で駅前の床屋に入った。ごくふつうの、昭和な感じの床屋。中学生ぐらいのころからずっと行っていた店だ。椅子に座って待って、髪の毛を切ってもらって、終わってさあ支払いというところで、財布がないのに気づいた。床屋の待合の椅子の脇にあったハンガーにかけてあった上着から、財布が抜き取られていたのだった。

電車を降りるまでは財布の存在を確認していたから、床屋の店内で盗られたとしか考えられない。確かに、待合の椅子に座っていた男性が1人、順番を待たずに店を出て行ったような気がする。駅かどこかで私が財布を出すのを見て、つけてきたのかもしれない。やられた、と思ったがもう遅い。

床屋の責任ではないし、盗難保険も手持ちの現金は支払対象ではない。要するに、自分の不注意ということだ。事情を話すと、その場の代金支払はなしにしてくれた。礼を言って、店を出た。駅前の交番には被害届を出したが、まあ返ってこないだろうことはわかっていた。実家に帰って両親に顛末を話したら、大笑いされた。初任給で両親に何か食べさせてやろうという目論見は潰え、逆に食べさせてもらうはめになったのだった。

かくして初任給は、ネクタイ1本を残して消えた。買っておいてよかった、と心底思った。このネクタイはその後おとっときの愛用品となり、あちこちがすりきれるまでずいぶん長く使った。仕事も変わって、今はネクタイをしなくなり、ほとんどのネクタイは処分してしまったが、あのうさぎとかめのネクタイだけは大切にとってある。たまに目に入ると、あのときの、情けないような、まあ何とかなるやといった開き直りのような、なんとも名状しがたい気持ちを思い出す。初任給のほとんどをなくしても、ネクタイ1本でも残れば、人は望みをつなげるものなのだ。

以上が全文だが、有料ノートというのをためしにやってみることにする。もし気が向く方がいらっしゃれば、投げ銭など。

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