『未来のミライ』感想

未来のミライ』、ようやく時間ができて見てきたので手短に感想。重大なネタバレはなし。

細田守監督の新作ということで前評判が高かったが、公開後何やら少し元気がないっぽい。レビューもあまり芳しくないのが多くて、おおざっぱにまとめると「主人公のくんちゃんに共感できない」「主人公一家が裕福すぎて現実味がない」「たいした事件が起きず面白くない」「シナリオにまとまりがなく意味がわからない」ぐらいに集約できそうに思う。

そういう感想もわからなくもないが、「うーん」という感じはする。立場や考え方によって評価が分かれるのかもしれない。

最初の「くんちゃんに共感できない」は、基本的に「小さい男の子あるある」を楽しめるかどうかで大きく分かれそうな気がする。くんちゃんの理不尽な行動や言動は実にリアルで、子育てを終わっていれば懐かしく思えるかもしれないが、真っ最中の当事者には笑えないこともあろう。

家族像も同様。あの風変わりな家が象徴するようにおそらく恵まれた階層の家庭で、それ自体が反感を買ったり現実感がないと批判されたりする要因となっている部分はあるだろう。とはいえ両親は卑近な日常にそれなりに悩んだり苦しんだりする「ふつう」の人たちなわけだが、家事の分担ややり方でケンカしたり仲良く話したりするさまも、共感と同時に居心地の悪さを感じる人がいるかもしれない。細田作品の多くにみられるある種の「健全さ」というか「能天気さ」というか、そんな感じのものは本作でも出ていて、そういうのを嫌悪する人たちもけっこういると思う。(あと、ミライちゃんのスカートがどうとか書いてるフェミっぽい人のレビューをどこかで見た気がするがスジ違いも甚だしい。エロ目線的にはありえないぐらいエロくない作品で、そういうものを期待して見ると完膚なきまでに叩きのめされる。)

見ながら最初に思ったのは「ミライちゃんの役割がよくわからない」だった。出てこないシーンも多いし、そもそも主人公はくんちゃんであってミライちゃんではない。ただ、まとまりなく進行するエピソードが4歳の男の子くんちゃんの見た世界であるとわかった時点でああなるほどと気づいた。これはいわば細田版『トトロ』なのだ。『未来のミライ』の主人公がミライちゃんでないのは、『となりのトトロ』の主人公がトトロではないのと同じだ。妹なのにくんちゃんより大きな中学生のミライちゃんはちょうどトトロの役回りと考えるとわかりやすい。なぜ中学生なのかとか考えてもしかたがない。トトロがなぜああいう姿なのか考えても意味がないのと同じだ。

子どもがみる世界が支離滅裂でまとまりがなく、現実から遊離していて一貫した流れなどないのはむしろ当然といえば当然。とはいえせっかく支離滅裂なんだから、もう少しぶっ飛んでてもよかったかもしれないとは思う。くんちゃんとミライちゃんが空から落ちていくシーンや、なぞの新幹線が出てくるあたりビジュアル的にキーになる部分だから、あのあたりをもっとふくらませて冒険ぽくすればもっと一般受けしやすかっただろう。

『となりのトトロ』が近所の大きな木を通して子どもたちが家族や周囲の人々、何より新たに暮らし始めた土地との縁を認識していった話であるとすれば、『未来のミライ』は自宅の庭を通して家族や住んでいる土地の過去や未来とつながりや、その中での自らの立ち位置を自覚していく話、ということになろう。4歳の子にそんなことは無理、というレビューも見たが、そのあたりをミライちゃんのことばで説明してるあたりがおそらく、違和感の源なのではないか。くんちゃん自身がそうしたややこしい話を理解しているとは思えない。むしろあの説明はくんちゃん自身に対するものというより、くんちゃんを通して見ている観客に対してなされた説明ということかと思う。

今でこそ名作として名高い『となりのトトロ』だが、劇場公開時はあまり注目されなかった。あのストーリーも考えてみるとかなり不思議かつ不気味で、よく都市伝説めいた「謎解き」がネットに流布するが、その原因の1つは、あの作品ではそうした小難しい説明がほとんどないことだ。何せトトロは人語を話さないし。そしてその不思議さこそが、今ではあの作品の大きな魅力ととらえられている。このあたりが『未来のミライ』との大きなちがいだ。あのくどくどしい説明が有意義だったとは、残念ながら思わない。むしろない方が、この物語が潜在的にもつ広がりをよりよく伝えることができただろう。細田監督とスタッフの作り出す絵にはそれだけの力があるのだし。

とはいえ個人的には『バケモノの子』に続く男の子ものとして面白く見た。とりあえずくんちゃんが圧倒的にかわいい。『トトロ』のように、将来的に本作の評価が変わるかどうかは知る由もないが、他人の評価に惑わされて見ずに終わるのもどうかと思うのでお勧め。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?