人前でキレるのが好きですか?

以下は2007年6月にブログに書いたもの。この方は今でも元気にあちこちでやらかしていらっしゃるやに仄聞する。六根清浄六根清浄。

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NB Onlineに「遥洋子の『男の勘違い、女のすれ違い』」という連載コラムがあるんだが、そこに2007年6月15日付で「人と触れ合うのが好きですか?」という文章が出ている。

これにはびっくりした。ぜひ原文をお読みいただきたいのだが、もしこれがすべて事実だとすると、いくらなんでもそれはないだろう、と。

以下は書かれたものがすべて事実だとして、それを通常の日本語として解釈したうえでのもの。文章は、この人が、雨の日にタクシー会社への電話がつながらないとかで怒っている場面から始まる。やっとつかまえたタクシーの運転手に、この人はいきなり八つ当たりを始める。

それまでの憤まんをたまたま乗ったタクシーの運転手にぶつけた。
「いったいどういう事情があって、タクシー会社が30分間も話し中なわけ?」

もうここですでにドン引きする人がけっこういると思う。それなりに名を知られた人ではあるんだろうが、何を根拠にこの人は他人に対してこんな偉そうな態度に出られるんだろうか。客がつかまりやすいから雨の日には電話をとらないようにするという、あけすけだが商売上よくある答えにさらに激高したこの人、タクシーを降りた後、ファーストフード店でコーヒーを買おうとして、今度は小銭を床にばら撒いてしまう。 もちろん自分自身のミスだ。にもかかわらず。

朝から苛立っていた私は、自分の失態にもかかわらず、そこにいた全員に当たるように叫んだ。 
「もう!全部お金落としちゃった!」

マジかよこんな人に関わりたくないね、というのがたいていの人の正直な感想だと思うが、その場にいた方々はすこぶるやさしかったようだ。この人の八つ当たりの声に、周りの人が動き出す。

私の後ろに並ぶビジネスマンたちが何人も、私の叫び声を聞くなり、まるで自分のお金のようにオロオロと腰をかがめて拾い始めた。 
それなりに拾ったお金をカウンターに置いてくれたものの、足りなかった。
「足りないわ。ぜんぜん足りない」とまだわめく私を見て、ビジネスマンたちは「え?ウソ」とか「ほんま?」とかつぶやきながら、条件反射のようにまたオロオロと腰をかがめだした。
その間ずっと、カウンターの若い店員は「180円です」と言ったっきり表情を変えず、目の前で起きているハプニングにもまったく反応しなかった。そこにいる客全員がオロオロしてもなお、無表情で「180円です」と繰り返した。

この間、この人自身が何をしていたのかは書かれていないのでわからないが、まさかビジネスマン諸氏の奮闘を漫然と見下ろしていたのではあるまいね。しかし仮にいっしょに拾っていたとしても、善意の協力者に対して「ぜんぜん足りない」って言い放つ神経、どう理解したらいいんだろう。こういうこといえる人、世の中でそんなに多くないと思うのだがどうだろうか。

で、拾ってくれた礼をしようとしたら、別の列が空いたので、ビジネスマン諸氏はさっさとそちらに並んでしまったとか。諸氏のお気持ちは容易に想像できるが、この人にはこれがまたご不満だったらしい。自分の礼をありがたく受けるべきだということだろうか。今度は自分を助けてくれなかった若い店員を批判し始める。

カリカリ怒る女性がいたら、「まあまあ」と冷やかしながらも教え諭す人がおり、叫ぶ女性がいたら、「どうした」と共に動揺してくれる人がいる。しかし、隣のカウンターが開けば、さっさとそこに行く。なんと人間らしい人間臭さだろう。
同時に、ある種の恐怖めいたものも感じた。
目前に何が起きようが、いっさいの反応をしない若者だ。他人の痛みへの感覚欠如ともいえる無反応は、今回のカウンターの若い店員についてだけ体験したことでもない。 
我々は次世代への期待を込めて若い世代をもてはやし気味だが、こういう光景を見ると若さを過信するのは慎重になったほうがいいと思う。

…絶句。

この人は「東大で上野千鶴子にケンカを学」んだそうだが、この文章で自ら描いたような非常識極まりない態度は誰から学んだのだろうか。私はここで「だから女性は」とかみたいな地雷を踏むほど不注意ではない。だから、おそらくこの著者とより年齢層が近かったであろうビジネスマン諸氏と若い店員の対応がちがっていたことの別の理由もほぼ確信をもって想像がつくが、それも書かない。代わりに、性別や年齢にかかわらず、自分のへまを棚に上げてキレまくり、周囲にどなり散らすような行為は社会人として論外だ、とだけ書いておく。「他人の痛みへの感覚欠如」とは、まさにこの人自身のことではないか。「無反応な若者」よりも「理不尽にキレる中年女性」のほうがよほど恐怖だ。

この人にそんな自覚はみられない。さんざんキレまくったあげく、最後にこんなことを書いてる。

少なくとも周りに当たり散らした私は・・・みっともないほど、人間臭い。

たいへん申し訳ないが「ほど」以下は余計ではなかろうか。やむなくキレる客の応対を強いられた運転手や、好意で協力したのに「ぜんぜん足りない」なんて言い放つ中年女性に辟易して隣のカウンターへ移っていったビジネスマン諸氏の「人間臭さ」と、身勝手にふるまうこの人が自分を指していう「人間臭さ」は、「臭さ」の質も量も全く異なる。こういう自己正当化回路はいったいどうやって備わったのだろうか。

この人の文章のタイトルである「人と触れ合うのが好きですか?」についていえば、当然ながら「人による」というのが大半の人の答えだろう。私も一般論でいえば、人と触れ合うのはきらいではない。しかし少なくとも、こういう態度の人と「触れ合う」なんてまっぴらだ。若い店員がそうしたように、むしろ喜んで無反応でいることを選択したい。むろん、この若い店員が、客が小銭を拾っているのを座視したことについて、店員の対応として批判されてしかるべきだという議論はあろう。しかしそれを根拠に「若さを過信するのは慎重になったほうがいい」なんていう主張をしようみたいな発想は、常識ある人ならまずしない。

あ、一応念のためだが、万が一これをきっかけに炎上とかが起きてしまうと、またこの人に「キレる種」を与えてしまうと思うので、ぜひそうした行動はお控えいただければ。近づかないのが一番かと思う。

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