『ジュラシック・ワールド/炎の王国』感想

昨日に引き続き、ようやく時間ができて見てきた『ジュラシック・ワールド/炎の王国』、手短に感想。重大なネタバレはなし。


例のシリーズの第5作め。新展開だがある意味先祖返りともいえる。

売れる限りはどこまでもネタを引っ張るハリウッドの商魂は今回も健在、猫まっしぐら、という第一印象。何せアメリカ人は恐竜とサメが大好きだから、まだまだ続くんだろう。

とはいえ、少しアプローチがこれまでとはちがっていた。これまではCGIでリアルな恐竜映像スゲエエエ!、新種の恐竜コエエエ!、といった具合で映像の迫力に依存する作り方だったわけだが、さすがにそろそろそれでは限界と気づいたらしい。新たな方向性は恐竜のキャラクター化だ。みんな大好きT-Rexと、前作からメインで活躍中の賢いヴェロキラプトルのブルー。なぜか必ずいいところに現れて主人公とその仲間たちを助けてくれるこの2体が今回も大活躍。今作では特に、ブルーと主人公オーウェンの絆が物語の核となる。

つまり恐竜は、意思疏通ができずただ人間に襲いかかる恐ろしい怪物から、(少なくともブルーなど一部は)固有の名を持ち、人間と違うルールで生きつつ人間を助けてくれる生き物として描かれることとなったわけだ。なんというか、ある意味『ターミネーター』シリーズっぽい展開ではある。

対する人間側はいつもの通り、彼らを道具として利用しようとするグループと、仲間として認め保護しようとするグループに分かれる。前者はおおかた食われ、後者は助かるのは第1作からのお約束としかいいようがないが、今作では、最初のパークが作られ、その後放棄された島が火山の噴火で居住不可能な環境となることから、いったん絶滅しながら人間の手で現代に蘇った存在である恐竜が人間の世界で生きていていいのか、という最初の原作で提示された問いに再び焦点が当てられることとなる。最初の原作では、恐竜たちが鳥のように「渡り」の習性を持つことが示唆されていたが、これまでの映画では、恐竜たちの生きる世界は人間とは切り離されていた。我々は「安全」だったわけだ。その「お約束」が今作では破られることとなる。

この問いがある意味根源的なのは、私たちの世界にはすでに、遺伝子操作によって新たに作り出された生物が数多く存在しているからだ。多くは商品として売られるために作られ、一部では自然と混じり合い始めているものの、自然環境への影響はみられないとされている。しかし一部の人々は、それによって自然環境が変化してしまうのではないかと懸念している。

そうした懸念がどの程度現実的なのかはさておき、本作が提示するのはさらに一歩先の視点だ。仮に、そうした遺伝子工学によって生み出された生物が自然種と交雑したり、そのまま自然界で繁殖していったりしたとして、もしそれが人類になんらかの害をもたらすリスクがあるとしたら、それらは滅ぼされるべきだろうか。それとも彼らにも生きる「権利」を持つのだろうか。恐竜ならよくて、昆虫や草花はだめというロジックはありうるだろうか。逆に人間ならどうか?つまり、主人公たちの直面したジレンマは、私たちの社会が既に直面しているものなのだ。さて私たちはどうするのか?

というわけで、予想外に考えさせられた作品。もちろんめんどくさいことは抜きにしても、恐竜大好きな皆さんにはふつうに楽しめる。今回も子どもが大活躍なのでお子さまにも最適。金の亡者大嫌いな皆さんにも、我らが「ジュラシック・ガールズ」が、いけすかない奴らを蹴散らし踏みつけ噛みちぎりと蹂躙しまくってくれる「爽快感」が満喫できる。国内外で大ヒット、続編も製作予定のようなので、次作ではまたおなじみの皆さんの大活躍が見られることだろう。そのうちしゃべるようになって『ミュータント・ニンジャ・タートルズ』とか『猿の惑星』とかみたいになりゃせんかとそれだけが心配。

というのも、原作ではあえなくラプトルのおやつになったウー博士がどんどん大物然としてきて、今作でもしっかり生き残るので、次はさらなる悪役ぶりを発揮してくれそうだからだ。今作で恐竜を軍事利用する可能性が示されたわけで、今後かなり高い確率で兵器としての恐竜が登場することになろう。テロリストの手に渡ってさあ大変、なんて展開もあるかもしれない。野生化した恐竜から人間を守るために軍や警察がラプトル部隊を編成、みたいなのもありうる。

個々の作品自体は遺伝子工学に対し否定的だった原作者マイケル・クライトンの意思を受け継いでいるようにみえながら、シリーズ全体としてはその逆に全力で向かっていくさまが、作中の恐竜を利用する悪者たちと重なって、なんとも皮肉ではある。商魂万歳。

・・・こんなふうに文句をいいながら毎回見に行くんだろうな。やっぱり恐竜好きだし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?