会社が楽しくなりました

偉そうで不機嫌で嫌な人が職場からいなくなりました。

すげえ嬉しいです。いえーーーい!!

いなくなることが分かったとき、即日でnoteに書こうと思いましたが、これは夢ではないか、本当にこんなことが起こるのだろうかと全く信じられなかったので、いなくなってかなりの月日が経過したいま、ようやく書くに至りました。

渦中にいた頃は、自分が会社を辞めようと真剣に考えていました。

偉そうで不機嫌で嫌な人の顔色を窺う。
偉そうで不機嫌で嫌な人の機嫌を損ねないように相槌を打つ。
偉そうで不機嫌で嫌な人が出してくる無意味な指示に対応する。
偉そうで不機嫌で嫌な人の不快なハラスメントを受け流す。

私がしていることは「お守り」だなと思うようになりました。偉そうで不機嫌で嫌な大人に対応することに「お守り」以外の表現は見つけられません。

どうして仕事の他にこんな大人のお守りまでしているのか。日々擦り切れていきました。出勤するたびに「あと〇日出勤すれば休みだ」と、休日を指折り数えて待つ日々。会社に行きたくなくて行きたくなくて、どんよりとした気持ちで毎晩転職サイトを見ていました。仕事は好きだし、他のメンバーも好きなのに、どうしてたったひとりの偉そうで不機嫌で嫌な人のために転職サイトを見てるのかと憤りを感じていました。

twitterで「同僚 モラハラ」と検索すると、自分と同じように苦しんでいる人のツイートが出てきました。自分と同じような状況で困っている人がいる。我慢しながら過ごしている。自分だけではないんだと安堵しました。
その一方で「あの人が辞めました。いなくなってからはとても快適です」というツイートも発見しました。マジかよ。そんな夢みたいなことがあるのかとうらやましくなりました。嫌な奴ほど残るし、辞める辞めるという奴ほど辞めないって言うじゃないですか。

それがですよ。自分にも同じラッキーが。

きっかけは、偉そうで不機嫌で嫌な人が退職をちらつかせはじめたことでした。社内の人を捕まえては「辞めようと思っている」と言い、引き止めてほしそうにしていました。しかし、誰一人引き止めませんでした。むしろ「次の道へ進んだほうがあなたにとっていいのでは」とネクストステージを勧めていました。
私から見る限り、どの人も仲良さそうに見えていました。私は社内で一番この人を嫌っていると自負していましたが、実のところ周囲は私以上にあの人の退職を望んでいたのです。話を聞いてみると、どの人も強烈な嫌悪感を抱いており、偉そうで不機嫌で嫌な人にいなくなってほしいと強く本気で望んでいました。あの人に対する周囲の嫌悪感は、私どころではなかったのです。
そうなると、本人が退職すると言い出してきたのは千載一遇のチャンスとなります。降って湧いた自己都合退職。これを逃してはなりません。波風を立てずに退職していただく。いい会社だったと思っていただき、ご本人が惜しむように辞めていただく。それが人事の方針だと聞きました。

偉そうで不機嫌で嫌な人は誰にも惜しまれず、誰からも引き止められずに辞めていきました。

会社には、謙虚でご機嫌で人あたりのよい人たちが残りました。

偉そうで不機嫌で嫌な人の顔色を窺わない。
偉そうで不機嫌で嫌な人のご機嫌取りをしない。
偉そうで不機嫌で嫌な人の無意味な指示がない。
偉そうで不機嫌で嫌な人の不快なハラスメントがない。

これらのことがないだけで、生きるのが快適で楽しくなりました。想像を超えていました。こんなに良くなるとは。

偉そうで不機嫌で嫌な人がいたときは、数人が協力して進めているところにこの人が割り込んできて、指示を出したり仕切りたがったりしました。この人の言うとおりにしないと不機嫌をまき散らし、仕事中の人にごみをまとめてほしいなど緊急性の低いことを頼んだりして仕事を滞らせました。

偉そうで不機嫌で嫌な人は、自分が一番頭が良く仕事ができるので他の人を指導しなくてはならないと思い込んでいました(私は面と向かってこれを言われたとき、あまりの自己肯定感の高さと現実の見えてなさに絶句しました)。実際は自己評価ほどの能力を持ち合わせておらず、周囲からの評価はありませんでした。
歪んだ優越感や自己承認欲求は本当に恐ろしいものです。他人の仕事の邪魔をして、他の従業員の時間とエネルギーを「お守り」に消費させている。そんな状況に陥っていることに当の本人は気づかないのです。偉そうで不機嫌で嫌な人に付きまとわれた従業員はストレスを溜め、職場の空気はよどみ、会社自体の未来も明るいものとは思えない状況でした。

今となってはこの状態が異常だったのだとわかります。
こうして書いていても、自分でもおかしかったなと思います。どうしてここまで異常な状況に耐えていたんだろうって。毎日毎日顔色を窺うことで慣れていたというより麻痺させられていました。嫌なものは嫌でいい。不本意なことに適応しなくていいのです。

異常な状況をから抜けだしたいまは、誰も不機嫌をまき散らしていないのでコミュニケーションがしやすいです。話しやすいので、お互いの状況を把握して、次工程を見越して空いてる人が準備を整えます。集中している人の邪魔をしません。納期が迫っている人に緊急性の低いことをわざわざ頼むこともしません。マウンティングやセクハラ発言もありません。
このような互いの協力で、仕事に注力できる環境が生まれ、段取り良く進めています。なんでかわかりませんが受注も増えていて(ありがとうございます!)業務量も増加しているはずなのですが、仕事がしやすくなって効率が高まったからか、人員が減ったのにほぼ定時で帰れています。

ナチュラルボーン機嫌が良くて精神が安定している人と仕事ができることの精神的な気楽さ。

自分で考えたやり方でもりもり仕事を進めていけることの充実感。

いちいち性的な話題が出てこない職場の爽快さ。

私は、精神的な解放感と安心感、そして仕事に集中できる環境、さらには昇給!まで手にしました。

今回のことで痛感したのは「歪んだ他人のお守りをしない」ことの重要性です。

偉そうで不機嫌で嫌な人は、偉そうな態度をとることで優越感を得て、不機嫌をまき散らして周囲に顔色を窺わせることで自己承認欲求を満たしていました。そのような歪んだ他人の対応をすること、すなわち「お守り」をすることは、負担が大きすぎました。
誰とでもうまくやるのが仕事だ、という言葉もありますが、それも限度があります。偉そうで不機嫌で嫌な人に気を使いながら働くことは、本来であれば仕事に使える力を「お守り」に消費させられている状態です。そんなお守りをせずに仕事に注力できたほうが仕事が捗り利益が上がります。なにより不必要な負担を負うことがないので、仕事を辞めずに健康に働けるのです。

私はしなくてもいいお守りをして、よどんだ世界から抜け出すのに数年かかってしまいました。数年間もの時間をしなくていい我慢をして失いました。あほらしい。でもいまは快適です。週末を指折り数えていたのが、いまではやることとやりたいことで一週間があっという間に過ぎていきます。こんなに快適なのは自分だけかなと同僚に尋ねてみると、「会社に来るの楽しくなったよ!」という言葉が返ってきます。よかった。

苦しみの渦中にいるときは、これがずーーーっと続くとしか思えず閉塞感しかありませんでした。そんな状態だったのが意外や意外、想像以上の良い世界が未来には広がっていました。

この状態を維持してもっと良くしていきたい。仕事の効率を上げて気楽に収益を高めてもっともっと昇給したい。あー、早まって辞めないでよかった。生きててよかった。
偉そうで不機嫌で嫌な人も、どこか別の合う場所が見つかるといいと思っています。私は合いませんでしたが、職場の数だけカルチャーがありますので、偉そうで不機嫌で嫌な人がのびのびとしていられる場所もあると思うのです。

もちろん仕事をしていて嫌なことは起こります。だけど、不要な邪魔をされず、自分の資質を発揮してやりたいように進めていけるようになったいまは、仕事って楽しいです。


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