職場の人間関係 ー苦手な人と距離をおくー

勤務先に苦手な人がいて、その人と距離を置くようになったらなぞの罪悪感が出てきたのだけど、なんとか距離を置いたままにしている記録です。

苦手な人

ぱっと見普通の人。上司でも何でもないただの同僚。一緒に仕事をして雑談するようになったらなにかと上に立ちたがり指示を出すようになってきた。偉そうで傲慢。こちらがその人の思いどおりに動かないと「クソ」「畜生」と独り言を言い不機嫌をまき散らして威嚇する。自分でやればいいような些細なことを他人に頼んでやらせたがる。他人の時間を奪っていることに無頓着。

距離を置いてみる ー敗退ー

雑談をするようになってからだろうか。あの人が馴れ馴れしく傲慢な態度になってきたのは。職場での雑談は心理的安全性を高めるのに有用という記事を読んだことがあるが、せっかく培った心理的安全性が他人へ不機嫌をぶつけたり他人を見下す方向へ暴走することもある。

あの人に対応するのにストレスがたまるので距離を置くことにした。

具体的な方法としては、接触を極力減らした。挨拶をして、それ以上は目を見て話さない。離れる。視界に入れない。仕事の話は最低限にする。雑談をすると馴れ馴れしく近づいて来るのでとにかく接触を減らす。そう。とにかく接触を減らす。

これをやってみたら、偉そうで傲慢な態度がびっくりするほど消え失せた。
「あげだまさん、あの段ボール捨てるからまとめておくの覚えといて」と、なーにが覚えといてだよ自分でやれよと言いたくなるような、偉そうで嫌な言い方をしてきてたのが、こちらに言ってこないで自分でやるようになった。立派だ。こちらの状況を考えずに仕事に割り込んで話しかけてきていたのが(しかも五月雨)、床に膝をつきめちゃくちゃ低姿勢になって「いまお時間よろしいですか」とか言ってくる。豹変しすぎだと思う。

この態度の変化を見て、私は思った。こちらが不快に感じていることが伝わったんだろう、これなら大丈夫だろうと。
私は気が緩んで、だんだんと以前のように話しかけるようになった。視界に入れるようになった。

その結果、あの人は元に戻ってしまった。
馴れ馴れしくなり、偉そうに傲慢な態度で他人を見下す。思いどおりにならないと不機嫌をまき散らす。小さくなっていたのは一時的で、中身は全く変わってなかった。

別の同僚は言った。
「一時期低姿勢になるのって、DVで言うハネムーン期みたいだよね。」

振り返ると実にその通りだった。あの人は不機嫌をまき散らし、周囲がその態度に辟易して遠巻きにすると、急に小さくなってへりくだる。周囲がその様子を見て話しかけ始めるとまた馴れ馴れしくなり、他人に敬意を払わずぞんざいに扱うようになる。これを何度も何度も繰り返している。私はハネムーン期に騙されて敗退し続けている。悪循環から抜け出せない。

距離を置いてみる ーこんどこそ負けないぞー

連続敗退の私であったが新型コロナが転機となった。緊急事態宣言により職場の勤務体制が変わり、在宅組と出勤組に分かれた。私とあの人は別の組だったので急に顔を合わせなくなった。ラッキー。

あの人がいない職場には底抜けの快適さがあった。苦手な人がいないときの仕事のしやすさたるや。自分がどれだけあの人に時間を割かれていたかがはっきりと分かった。あの人が不在になって、こんなに仕事ってやりやすいものだったのかと我に返った感じがすごかった。
あの人がいたことでしなくてもいい我慢や気遣いをして、精神的な負担が激増していたこと。不機嫌な他人を気遣うことは仕事ではないのに、あの人のケアというか面倒を見るような、言うなればこどものお守りのようになっていたこと。自分がしなくてもいいことにエネルギーを費やされていたことに気づき、今度こそ、あの人のいないこの快適さをなんとか維持したいと考えるようになった。

そのうち新型コロナが落ち着いた様相を見せてきて、全員出勤するようになった。

あの人が戻ってきて、私はもう一度、あの人から距離を置いた。
もう悪循環に戻らない決意をもって。

方法はいつもと同じである。挨拶だけして、接触しない。目を見て話さない。視界に入れない。仕事の話は最低限。雑談をすると馴れ馴れしく近づいて来るので話しかけない。とにかく接触を減らす。これまでとの違いは、徹底すること、ただひとつである。

これまでどおりハネムーン期に突入した。あの人はまた、やたらへりくだった態度で話しかけてくる。でももう私は騙されない。悪循環には戻らない。話しかけられても顔を向けず、最低限の受け答えでやり過ごす。

するとなんだか自分が悪いことをしているような気持になってきた。

謎の罪悪感

そもそもあの人は、自分の態度について誰かから注意を受けたことがあるのだろうか。親身になって助言をしてくれる人がいないのだろうか。自分も含めてあの人の周囲の誰かが注意していれば、ここまでおかしな人にならずに済んだのではないか。もっとなんとかできたのではないか。

「自分に良くないところがあるなら言ってほしい。自分ではわからないから」と、あの人が言っていたことがある。だけど、私は何も言わなかった。関わりたくない人に何かを言う。そんなことに自分のエネルギーを使う人がいるだろうか。いい年した大人、しかも問題のある人にわざわざ関わることは危険で、離れるのが一番なのだ。そもそも他人の性格や態度について何かを言うのはハードルが高い。仕事の手順を教えるのとはわけが違う。こんな風に、こどものときには注意されていたことが、大人になるにつれて誰からも注意されなくなっていく。知らないうちに周囲の人から遠巻きにされ、気づかないうちに相手にされなくなっていく。その結果があの人の姿なのかと思うと、あまりにも寂しくてひとりぼっちで悲しくなった。自分だってこんな風に書いているけど、あの人みたいな部分があるだろう。私も周りから何も言われず自分で気づくことができないまま、この先もっともっとあんな風になっていくのかもしれない。

そう考えるとあの人が不憫でならなくなった。それに対して何もしようとしない自分。
それが罪悪感の元凶だった。

元には戻らないぞ

そうだとしても。罪悪感があり不憫に思っているとしても、私はあの人から離れたまま静かに職場で過ごしている。あの人がこうなったのは自業自得とも言えるけど、私はそこまで割り切れていない。もっと親切にしてもいいんじゃないかと、遠巻きにしていることへの罪悪感が出てくることもある。だけど、親切にしても付け込まれて悪循環に戻るだけだ。それは分かり切っている。だから今度こそは、断ち切る。罪悪感を乗り越えて、離れる。

もう十分にあの人の相手をしたのだ。よくやってきたよ。
これからは、自分のことをやろう。


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