まとまった時間が本心をあぶり出す

ゴールデンウイーク中にほとんど外出することなく過ごしたら、自分が何をしたいのか、どんな風に生きていきたいのかを考えてしまった。自分がどうしたいのか、どんな生活をしていきたいのか。仕事に時間を費やす中で埋もれて分からなくなっていた自分の願望や本心が、まとまった自由時間に晒されたことでじりじりとあぶりだされた感じがした。

連休の体感

今回の連休はとても長く感じられた。休み明けに聞いてみたら同僚も同じことを言っていた。同僚と私はカレンダーどおりの休日に有休を加えた6日間の連休であった。6日間はこれまでの連休と比較しても特に長いわけではない。どうして長く感じたのだろう。

自分の行動を振り返ると、今までの連休では近くのショッピングモールへ行ったり、書店へ行ったり、デパ地下へ夜ご飯を買いに行ったりしてちょこちょこ外出をしていた。ちょこちょこ外出していると夕方になり一日が終わった。連休だ!と思っているうちに一日があっさりと終わり、連休自体が終了した。

家にいることが求められた今回の連休では、「ちょこちょこ外出」をしなかった。一日中家にいた。朝起きてから夜寝るまでのすべての時間を自分の思いどおりに過ごす。今日は何しよう、飽きたと思えるほどの時間があり、何をするのもしないのも自由だった。このように「ちょこちょこ外出」で一日を中断せず6日間丸々自分の時間として使えたので、これまでの連休よりも長く長く感じられたのだろう。そして、この飽きるほどの長い時間が私の感覚を変化させたのだろう。

まとまった時間で我に返る

私は自作マスクに刺繍を入れるのが好きなので、連休中は刺繍をしていることが多かった。とはいえ、刺繍もなかなか疲れるので、気が散ってきたら横になってドラマを見たり、読みたかった本を読んだり、3Dモデリングの入門をやってみたりと、やってみたいことを思いつくままにやっていた。
そんな自由な毎日はとても豊かで、充実した時間だった。
日中の明るくて快適な時間をすべて自分のために使うことが、こんなにも豊かで楽しいものだったとは。いつもなら会社へ行っている時間のすべてを自分のために使うことがこんなにも充実しているとは。

家で過ごすことが自分に合っていたせいか、どうして仕事なんかしてるんだろうと思うようになってきた。日中という自分の人生のゴールデンタイムをどうして会社で消耗させているのだろう。私はとてもとてももったいないことをしていたんじゃなかろうか。そんな焦りとも後悔ともいえるポジティブではない気持ちが浸みだしてきた。

連休前の私は、仕事で他人の要望に応えることに疲れていた。社内の人からもお客さんからもいろいろ頼まれる。そりゃもう仕事と言えるものから各自が自分でやればいいような雑用まで。こういった他人の要望に応えることが自分のお給料になってるのは分かる。分かるよ。だけど、そんなに言うなら自分でやりなよって思うようになってきていた。自分がやっていることが仕事というより他人のケアやお守りのようにしか思えなくなりうんざりしていた。
会社に行っているときは毎朝同じような時間に起きて、出勤して、仕事をする。仕事をやっていると一日が過ぎる。家を出て帰宅するまでの一日の半分ほどが、言ってみれば望まないルーティーンで終わる。出勤前や帰宅後に自分のことをやればいいとも思うし、そうしてもいるけれど、それは長くて3時間。資格の勉強はできるけど、自分に向き合うほどのまとまった長さではない。仕事をしていると望まないルーティーンに自分の時間が細切れにさて、追い立てられて流されて、他人のことにばかりに時間を費やしているように思える。自分の願望が分からなくなる。

そんなところに自粛連休である。自分用自由時間の大量供給である。
他人に割り込まれずに毎日毎日自分のために時間を過ごしたら、他人のお守りなんてやってる場合じゃないなと思った。私全然、自分のために時間使ってない。自分のしたいことが分からなくなるくらいに自分に時間を与えてない。本当は自分で決められるのに決められないって思い込んでる。自分の人生なのに自分のために生きてないよあなたって、自粛連休が知らせに来てくれたように思えた。

我に返ったような感じがした。

自分で人生を左右する

今回の連休が気づかせてくれたことは、私は他人に左右されることが好きではないということだった。主に仕事上のことだけど、他人に割り込まれて時間を奪われることがかなりのストレスになっていた。仕事自体は嫌いではない。他人とのかかわりの中で自分ひとりでは生み出せないものが生まれることも知っている。私が望むのは、他人の過度なお守りをやめたいということだ。自分で何をするかを決めて、自分の人生を左右したいのだ。

他人の言うとおりに仕事をしていればお給料をもらえる。仕事の結果と責任は会社に帰属するから私は気楽でいられる。失敗しても謝れば済む。そんな主体性のないところが自分から人生や時間を手放し、自分自身を苦しめていたと思う。
私は資産家じゃないからお金は必要だ。だけど、このまま他人のお守りをし続けるのは違うと思うしやりたくない。望まないルーティーンに追われるだけの人生なんてぞっとする。会社がつぶれるまで望まないルーティーンをこなして自分の人生を失うのは嫌だ。

会社員だと退職か休職しない限り(私の勤務先のような零細だと休職=退職だと思う)まとまった自分の時間を持つのは難しい。だけど、自分のためのまとまった時間を持ち、自分の願望の輪郭をはっきりさせたりぼんやりとでも方向性を見定めることは、自分が人生を作るうえでとても重要なことだと思った。

ありがとう自粛連休。自分のためのまとまった休暇や時間をもつことは私にとって大切なことだった。他人に左右され自分で人生を左右してないことが、自分にはストレスだったことがよくわかった。何を追求するか、何を始めていくかをじっくりと考える。試してみる。5年に一度くらいでもいいから、数か月、年単位でもいいかな。休むことって必要だなと思った。
自分がどうしたいかが分かったら生活を変えちゃってもいい。だけど、今の会社で勤務時間を短くしてもらうとか、勤務しながら小さい商売を始めるとか、試せることはある。いきなり仕事を辞めなくても(とっとと辞めてもいいけれど)小さくてもできることから始めてみる。それが自分で人生を左右するはじめの一歩だから。

おしまい

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