受験しなかった。

今日はとある資格試験の日なのだけど、受験しなかった。

申し込みをするくらいだからその資格に関心はあるし、勉強もした。だけど、受験場所が遠いとか、仕事に行くより朝が早いとか、そういうところが面倒になって、朝起きられたら行こうと思ってた。そして朝起きてみたら気分が乗らないからやめてしまった。

こういうことは、20代の頃によくあった。TOEICみたいに頻繁に受験できるものはこの傾向になりがちで、2回くらいは行かなかった。

そんな時代から年を取り、ここ10年くらいは申し込んだものは必ず受験していた。直前で回避しなくなった自分を、大人になったものだと思っていた。

それなのに今日。ものすごく久しぶりの当日回避。

なつかしい当日回避。

20代の頃は、受験に行かない自分をどうしようもない人間だと捉えていた、と思う。「と思う」というのは、今はもうどれだけあの瞬間が苦しかったのか正確に思い出せなくなっているからだ。私の20代は苦しくて苦しくて暗黒だったはずで、受験に行かないという一事だけで簡単にどん底に堕ちていけたはずなのだ。自分でやろうと思って申し込んだのに試験会場に行かないなんてろくでもない人間だ。たかが資格試験ひとつやり遂げられない人間に将来なんか拓けない。誰も自分を採用しようとなんかしない。自分にはいいところなんかひとつもない。この先生きていてもいいことなんか何もない。

いまこうしてあの頃と同じ行動をしたら、あの頃みたいに苦しくなるのかなと思っていたのだけど、全然そうはならなくて、これを書いている。

いま感じるのは苦しさではない。いま感じるのは、さほど興味がないことには熱意が生まれてこないということだ。苦しさの代わりに私は、こんな当たり前のことを実感するようになった。

この資格に申し込んだ頃は、収入が低いことを気に病んでいた。勤務先の給与体系から察するに、年収を上げるには転職である。年内は難しくても、いずれ転職するときに有利となるよう今年は取れるだけ資格を取得しておこうと考えた。

でもな。水は低きに流れるし、年がら年中キャリアのために合理的な選択ができるわけもない。あくまで私の場合はだけど。自分のために仕込んだ物事をいざ実行の段階で手放してしまうこともある。こんなだからいい年こいて低空飛行なんだろうけど、自分自身としては楽しいからいいかな。

ちょっと得かもしれない、有利になるかもしれないみたいなものを手に入れてみるのもいいけど、ここは少し時間をかけて自分がなにをして生きていきたいかを考えて進んでいきたい。本当に欲しいものが本気で分からなくなる前に。

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