深めてもよい

今の生活を変えたい。もっと違う人生を送りたい。時々そんな気持ちが自分の中で盛り上がる。だけど、どんな風になりたいのかと問われると答えられない。

そこで、逆に今の生活が続いたらどうなるかを想像してみた。
私は今の仕事を続けたくないなって思ってるから、仕事を続けたらどうなるかを想像する。

朝起きて会社へ行って仕事する。たまにうまくいくことがあって、褒められることがあって、それと同じくらいの頻度で失敗する。

わたしの仕事はぬるい。自分でもそう感じるし、傍から見てもそうだろう。だから少しの失敗で衝撃を受けてしまう。失敗耐性が弱くなってる。他の人から見たらそんなことで?というくらいのことで衝撃を受けて落ち込む。「井の中の蛙大海を知らず」の自己否定バージョン。

現職を続けたくないなら転職するか?いや、転職する気力はない。転職したところでまた一から人間関係を観察して、うまくやろうと模索することになる。現状維持のほうがそのコストはかからない。
転職したら新しいところでうまくやれるかもしれないし、今よりもっと生き生きと仕事できたりするのかもしれない。転職しないことで良い機会を捨ててるのかもしれないけど、それは転職してみないとわからない。

薄々感づいていたけれど、私は物事に深く取り組みたくないんだろうな。やりたい仕事はなくて、自分でもできそうなところに入って、入口のところをちょっとやって、できたーって。入門とか初級のところでできたーって達成感を得てそれ以上は踏み込まない。それ以上やるとうまい人や良くできる人が見えてきて、自分のできなさを突き付けられてしまうから。ぬるくて簡単なところだけやって軽い達成感で満足していれば、自分のできなさを感じないで生きていける。失敗耐性は強くならないけど、井の中の蛙として生きていける。うまい人たちはすごいもんね。見とれる。感心する。すごい人はなんていうか、ここまで行けるんだってことを見せてくれる。それを見た私もやってみようとか簡単に感化されちゃう。やる気すらも充填される。私も真似してできるようになりたい。私もあんなふうにできるようになりたいのって。あれ?それ自分のできなさを突き付けられてないね。やる気までいただいちゃって。それならやればいいね。やってみたいんだから。いいんじゃない。初級以上になっても。もっと突き進んでも。もともとそこまで能力高くないんだし、失敗して悲観しながら進んでいくのが私でしょう。そうね。

こうして考えてみると、自分の場合は仕事が問題じゃないことが分かってきた。仕事は仮想敵で、私の場合は仕事を変えて人生も変えようとするのは違う感じがする。仕事を変えて環境が変わることで自分の変化はあるだろうけど、私がもやついてる本当のところは、私はなんかちょっともうちょっと突っ込んでみたいものがほしいけど見つかってないってことなのだ。初級から中級、さらには上級を目指したくなる、打ち込めるものがほしい。熱中したい。幸いにして入門レベルで手を付けてるものがいくつかあるので、並行して突っ込んでみようかな。どうなるかわからないけど、どうなるかわからないから進むしかないの。

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