詩人に手紙を書くのこと

手紙書く事が結構好きです。病院でネットと隔離されて余計その傾向が強くなった気がします。
悪筆だし、絵が描けるわけでもないので直筆で手紙を送るメリットはメールが発達した現代ではあまりないのですが、書いてるとすっと楽になっていくというか、気分が良くなる気がします。なので、落ち着かなくなったら相手を探し出してでもファンレターや御礼の手紙を書いたりしている昨今です。ピエール瀧も薬じゃなくて手紙書いてればよかったのになぁ。

元々文筆業やコピーライターに憧れてたこともあって病院ではひたすら文字に飢えていた気がします。活字中毒というやつかもしれないですね。病室内では本もゼロに近かったので、外出の時にガバっと買って持ち込む、ということをやってました。

選んだうち一冊が「春と修羅」で残りは最果タヒさんの詩集でした。

最果タヒさん。そのまま「さいはて たひ」さんと読みます。最初PNを見た時、「ちょ、えっ!?」となったのですがご本人によると特に残酷な意図はないそうです。いわゆる現代詩とエッセイを中心に活躍されております。
現代詩ってもう難解の世界で、ほとんど触れてこなかったんですけど、商標とかもバンバン出してて、バイブスというか、街の名前ひとつでも十年後にその詩を見た人達とは感じる意味がビミョーに変わっていく訳です。
「今これをこう理解するのは今の私だけ」という特別な感覚が残る。言葉は不動なのでこれは不思議なことなんですけどね。
言葉は不動で、意味が流れていく。受け手の変化だけが浮き彫りになる。言葉は「それがなんだ」という顔をして、本という名の紙の束が残る。
詩は、紙に限ります。

というようなことが入院中のメモに書いてありました。で、「感想をファンレターにして送りたい」というようなことも書いてあったんですよ。でもそれって言うなれば言葉を生業にしている人に言葉を送りつける訳で、めちゃくちゃ勇気が要る。

さてどうしたか。

やりました。昨日。よりによって詩人という職業の方にファンレターを送る、という事をしてしまった。
改めるとギャーってなりますね。でもそれすら儘ならなかった当時の自分がそうしたいと言っていたのだから、わがままのひとつくらい叶えてやろうかなって思うじゃないですか。やったぜ、自分。って希望になってやりたくなるじゃないですか。

で、問題はこういうメモが手元に大量に残っているんですよね。ネタに詰まったらひも解いていくんだろうと思います。過去の自分へ、今後ともどうぞお手柔らかに、よろしくお願いします。

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