所感


とりあえずなにかをしたくて、でも話題がないから話題は作るものだ!という考えから50音でやってみようと思ってやっていたことも、私生活が充実するようになってたから段々書かなくなって今確認したら2ヶ月まえくらいとかだったけど、その時と比べて自分は少しは外向的になれたようなきがする
内向的でいることはひとりでも退屈しないような世の中ではそんなに困らないことで、そう、困ることといったらたまに無性に淋しくなって誰かの肌の温もりを感じたくなったときにその対象がいなくて、その瞬間になった時はどうしようもなくてどうしてこうなる前からだれかともっと仲良くなっておくべきだったのにとか思っても遅いわけでどうしようもなくて時間が過ぎるのをただ待つしかなくてそれはだんだん見えないうちに積もっていってその容量が満杯になったから外向的にすこしはなったのかもしれないし、たまたま関係が充実してきてそうなれるような居心地の良い環境があったからかもしれなくてきっとそれはどれもただしくて曖昧でぐちゃぐちゃで昨日の東京のようなそんな気持ちで、これはこれでいいと思えるようになった
昔は人が多くて嫌いだった東京もこれは慣れただけもあるだろうけれど前よりも辛くなくなったきがしたそんな夜だった
外的な要因がなくなることはすなわち自由であってそれは責任が生じることで
そうなのであって、だからこそ自分自身で領土を常に広げていくぞみたいな気概が生活の至る所でないとだんだん自分と他人との境界が小さくなるのか、曖昧になっていくのかわからないけれどそれらが誘発するのは刺激がなくなっていくことであって、何に対しても慣れゆえの非充実感というか既視感のような何をしても満たされない感じがあってだから外向的になっているのかもしれない
このままいくとどんどんつまらなくなって日常に色がなくなっていくようなきがした
足元の花を見て綺麗だと思ったりたまに早起きして見る朝日を綺麗だと思うことと、日常に充実感を見出すことは似ているようでなんだか違うような気がして、同じなんだけどちょっと違くて、
日々の微細な表情を見ることができることと楽しむことができることの間には何かがあると思うけれどまだわからない
なにかをみたい、それもリアルさがあってそれらを見るためには外向的になったほうがよくてでも文章をかいたりいろんなことを考えるような時間も作らないと余計なことで埋まってしまうから最近いそがしい
ぼうといきていると忙しくなる

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