人の分まで生きる
30歳前後からだろうか。人の死に深く思いを馳せるようになったのは。
子どもの頃からずっと支えてくれた祖母。
異動先の慣れない職場で背中を押してくれた同僚。
素敵な笑顔で温かい気持ちにしてくれた音楽仲間。
強がって生きてきた頃よりも、周りの人に支えられていたことに気付き、ありがたみを感じるようになって、人を失うことへの喪失感が増した。
あの人が亡くなっていいはずがない。
そう思って、喪失感とともに、怒りのようなやるせない気持ちになる。
あなたのような素晴らしい人が亡くなって、僕はどう生きたらいいんだ。
そう思いながら、生前にできることはなかったのかと思いを巡らせる。
人が亡くなったとき、「その人の分まで生きる」なんて言うことがある。
ずっしりと重い言葉だ。
でも、もし僕が死んだとして、生きている人たちに何かを願うとすれば、僕の人生を代わりに生きて欲しいとは思わない。
あなたは、あなたらしく輝いて、幸せに生きてください。
僕だったら、そう思うかもしれない。
故人の思いを勝手に汲むことことすら失礼なのかもしれないが、僕は亡くなった方の人生を背負うことなんて到底できない。
でも、亡くなった方が大好きだったことを大切にすることはできる。
亡くなった祖母は、きっと家族を大切にしてほしいと思っている。
亡くなった同僚は、きっと教師として子どもたちの成長に真摯に向き合って欲しいと思っている。
亡くなった音楽仲間は、きっと全力で音楽を楽しんで欲しいと思っている。
人の分まで生きる
それは、亡くなった方の人生を背負うことではなく、僕の人生の背中を押してくれていることなのだと思う。
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