”ありのままに生きられない”のは、自分だけだなんて思わない

”ゲイは、ありのままに生きられない”

当事者は、そんなことを考えたことがある人も多いはず。

僕も思います。今でも思うことがあります。

でも、意外とそんなことないのかもって思えるお話です。

僕は、ゲイの仲間と過ごす時間が大好きです。

だって、恋愛、美容、グルメ、投資…どんな話でもゲイ要素を入れ込みながら話ができるって、自分の思っていることが伝わりやすいし、共感されやすいからです。

そんな楽しい週末を過ごして月曜日を迎えると、「あぁ、またかりそめの自分になって5日間も仕事を頑張らないといけないんだな。」なんて、悲観的な気持ちになることもしばしばあります。

でもそれって、僕らマイノリティだけなのでしょうか。

”ゲイは、ありのままに生きられない”なんて考えてしまうと、自分たちだけが息苦しく、自分に嘘をついて生きているような感覚になってしまうんですよね。

逆に、週末の”ありのまま”の姿で仕事に行く人っているのでしょうか。

”ありのまま”の度合いは違えど、職場の付き合いはある程度偽りの姿の人が多いのかもしれません。

職業イメージ、役職、業務…いろんな要素がいつもの自分とは違う職業人としての姿(仕事のありのまま)を作り出しているように感じます。

だから、週末の”ありのまま”を出せなくて当たり前なのかもしれません。

逆に、仕事の中でまた違った”ありのまま”を発揮することもあるのではないでしょうか。

だから、仕事でゲイとしての”ありのまま”を受け入れてもらおうなんて思わないようにしています。

僕は、教師としての”ありのまま”の姿があります。

僕は、子どもが大好きで、いつも笑顔で穏やかに子どもに接して、手本となれる姿が職業人としての僕の”ありのまま”じゃないのかなと。

”ありのまま”はシーンによって都合よく使い分ければいいんです。

週末の”ありのまま”
仕事の”ありのまま”
あの人との”ありのまま”
この場所での”ありのまま”

”ありのまま”は、多種多様で一つではないんだなと思います。

マイノリティを理解してもらわないと、”ありのまま”に生きられない。

実は、そんなことはないのかもしれません。

どこかの偉い社長が四六時中、社長の姿でいるとは思いません。家に帰ったら、嫁の尻に敷かれてるんですよきっと(笑)

社長の”ありのまま”は、どれなんでしょうか(笑)

もちろん、社会に出れば、”ありのまま”を否定されるシーンがたくさんあります。

ゲイなのに、結婚や彼女の話なんてされたら嫌ですもん。

でも、”ありのまま”を否定するシーンを自分が作り出してしまっていることもあるはず。

例えば、うつ病といった精神疾患を患っているとは知らずに、励ましの意味で「がんばろう!!」なんて言っていたら、きっとその人は”ありのまま”でいさせてもらえない無理な状況が生まれているはずなんです。

”ありのまま”に生きられない”のは、自分だけだなんて思わない

それは、ゲイに限らず、誰しもが抱えている悩みであると考えれば、”ありのまま”に生きられない自分を責めることにならないんじゃないかなと思った話でした。


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