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季節行事に流されない

今朝、用事を済ませて、スーパーで買い物をしてから帰ろうとした。

いつもの週末よりも駐車場が混んでいる…あぁ、今日は節分か。

季節行事があると、至るとこで混雑が発生する。

僕はもともと混雑が苦手だというのもあるけれど、みんなでわいわい盛り上がっている場面に遭遇するのも苦手だ。

「静かに買い物したかったな。」と思いつつ店内へ入ると、恵方巻コーナーに人がごった返していた。

以前までは、僕も季節行事をなんとなくやっていたように思う。それが年々、やらなくなってきているのだ。

「運気を上げる」とか、「縁起をよくする」とか、「厄を払う」とか、「節目を大切にする」とか、そういった言葉を聞くと、なんとなく”しなければならないもの”という感覚になる。

でも絶対にやらなければいけないことではないことは確かだ。

この1年ほど、そういったことを適当にやり過ごしてきた気がする。

理由はシンプルに、一人でやっても虚しいだけだからだと思う。

盛り上がる店内を見て、恵方巻でも買おうかなと思ったが、なんとなく一人でしていることに空虚感を覚え、早々に買い物を済ませ立ち去ることにした。

もちろん、レジも大行列。とんでもないタイミングに巻き込まれたなと思いつつ、自分が恵方巻を買わなかった理由をあれこれと考えていた。

これからも容赦なく季節行事はやってくる。そのたびに、一人で迎える自分の心を納得させるのだ。

結局のところ、季節行事をしないという結論。何事もなかったかのように、普通の日常を送ることに限る。

これまでに一人で迎えた季節行事はたくさんある。

ひとりクリスマス。
ひとり年越し。
ひとり初詣。
ひとり節分。
ひとりバレンタイン。
ひとり誕生日。

他にも考えれば出てくるだろう。

今思えば、わざわざ一人でやる必要もなかったのだが、それをして、SNSにアップして、イイネをもらって、ちゃんとした自分になりたかったんじゃないかなと。

季節行事に流されない

それは、静かな日常と心を守るために必要な、”しなければならないもの”なのかもしれません。

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