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出会いの欲望

今日もまた実りのない休日を過ごしてしまった。

休日の夕方になると一日の振り返りが始まる。

今日は、散髪をしに街中へ繰り出した。

髪を切る。家具屋を見る。百貨店をぶらつく。本屋で本を買う。

特にこれといったお目当てのものはなく、なんとなくいつものルートをだらだらと歩き時間を潰す。

「出会いの欲望」のために。

僕は、ゲイとの出会いを求めていた。

マッチングアプリで「お茶でもしませんか」的なサインを出して待つ。

僕の家のある住宅街よりは、観光地としても人が訪れるところの方が出会いの確率は上がる。

そんな「あわよくば」という期待を胸に、なんとなくだらだらと過ごす。

結局、今日は出会うことなく帰路に着いた。

夕方になり急に寂しさと切なさが襲ってくる。

僕の休日では、よくあることだ。

友達と会って遊べばいい。

旅行にだって行けばいい。

趣味に没頭してストレスを発散すればいい。

部屋の片付けだってすればいい。

有意義な時間の過ごし方なんていくらでも知っているはずなのに、会えるかどうか分からないマッチングアプリでの返答を待つなんて、本当に無駄な時間だ。

でも僕は、素敵な出会い、恋人探しに、力を注ぎがちだ。

「あわよくば」出会えたらいいなという欲望だけに休日の時間を費やしていることが増えた。

別に恋人が全てではないのに「恋人がいなければ負け組だ。」という感覚が、潜在的にこべりついているような感じもする。

30代半ばにしての焦りもある。

休日に「友達と楽しく過ごす。」「旅行に行く。」「楽器を演奏する。」「家をピカピカにする。」なんて目標があったら、きっとその日の振り返りが満足に満ち溢れていることは間違いないと分かっている。

でも、それを放棄してまで、なんとか出会いがないかと躍起になっている自分がいる。

あわよくば…、あわよくば……、あわよくば………。

予定を空けておけば、ワンチャン何かあるかもしれない。

相手の都合に柔軟に応えられる。

考えれば考えるほど、人に合わせるために生きているような気がする。

そんな無理をして出会った相手と続くかどうかも分からないのに。

ここに書けば書くほど、自分が惨めになってくる。

ここでふと思ったのが、「節制」という言葉である。

慎ましく生きることは、どこかしら日本人らしい美徳にさえ感じる。

ただ、出会いに関しては「節制」ではないと思う。

「あわよくば」会えるかなという期待を抱きながら出会いを求める、そのアプローチの仕方に問題があるのだと思う。

出会いってのは、自分が何かに没頭している中で出会えることがベストなのだと思う。

時間をどっぷり空けて「あわよくば」出会えたらいいなという、隙間だらけの自分に振り向いてくれる人がいるのだろうか。

きっとそんなことはない。

出会いの欲望

それは、出会いの形を選ばず、軽率で目先のことしか見えていない、虚しい欲望なのかもしれません。

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