天気の子とおっさん

こんなtweetがあった。

「シラフのぼくが見ても70点くらいだけど5年から10年前に死んだキモオタのぼくが墓から抜け出して10億点!って叫んでて始末が悪いですね」

10億点!10億点!10億点!10億点!

さらに若い、まだオタクにさえなってない少年少女らは

「泣けた!感動!絵がきれい!」

じゃあ、新海監督同世代くらいのデビューくらいからのファンのおっさんはどうなる。ぎりバブルかそこら、なんだかわからないが世界系とかを読み続けてきたおっさんは。

泣ける。愛とか?違うね哀だよ。

だってそうだろう、主人公ヒロインにとっちゃ世界も社会も「世界系」のようなもんじゃない。守るもんでも参加するもんでも変化させるものでもない。適応するものなんだ。ジャングルとかと変わらない。別なんだ。ときおり金を得るためにジャングルに行って何かして、利用できるものがあれば利用する。変えたりできるものではなく、「御社に御社に御社に御社に」って呪文を唱えて適応する。過剰に適応する。個人の総体であるはずなのに、なぜか参加するためには過剰適応して個人を捨てなきゃならない。「春も秋も昔はもっと良かった」変えてしまったのは誰かって言ったら、旧い世代だ。温暖化も「あるわけない」って言った政治家を支持し原発事故も「あるわけない」って言った科学者を支持し年金は「100年安心」って言った誰かを旧い世代が当選させた。この社会、ジャングルに住む旧世代つまりはおっさんおばさんは自業自得。

そのジャングル周縁でうっすら貧乏でしかも将来はもっと豊かになるだろうとは毛ほども頭に浮かばず「これ以上僕たちになにも足さず 、僕たちからなにも引かないでください 」なんて祈ってる。小さな望みだと思った?ささやかだと思った?だとしたらバブルかお前。バブル期だったらこれ、安穏と何もなく日々を送らせてくださいって祈り。基本的には、何も起きず何もしなかったら日々が続く。今は安穏としてたらたちまち格差の下へ転落する。「同じ場所にいるには走り続けなくてはいけない」赤の女王の時代。同じ場所にいるためには祈りが必要だ。これは贅沢で必死な祈りなんだ。

そのジャングルの中から手招きしておーい若い子こっちへおいでよ後始末頼むぜ?

は?こんな旧い世代の自業自得を救うために人柱?ありえない。

こんな世の中を若い世代に渡してくわけ?(自分には一票しかなかったけど)

もちろん主人公ヒロインにとっちゃ世の中は(今のところ)自分たちのものじゃない。こんな世の中を残すだろうおっさんがどう思うかなんて無関係だし悪い世の中とか頭にも浮かばない。でもおっさんには映画の中のうっすら貧乏が見えちゃう。このバニラカーの走る世界にちょっぴり責任はあるはずだ。

おっさんは原発の廃炉もたぶん見届けることができない。

「すまん」哀しみしかない。当然、あのエンディングはいい。旧世代を支えるために人柱になるくらいなら好き勝手に旧人の住むジャングルは水に沈めてしまえ。ゴキブリ並みに這い出て引っ越しをするだけだ。若い者の方が大事だ。旧人はみんないっせいに沈めばそれほど不幸なんて感じない。同調には慣れてる。

そンなわけで「キモオタ(濃度薄め)」の部分は10億点だし「男はいつでも少年」なさらにキモチワルイ部分は感動!絵がきれい!泣けた(真顔だし泣いてない)わけで。

おっさん部分はひたひた哀しくなった。

映画の中だけでもこの自業自得の世界を。

沈めてしまえ!

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