最期には冷たい水が飲みたい
きのう冷蔵庫から取り出したキンキンに冷えた水を飲んだのが最高に美味しかったことによりふと思い出した自論がある。
その自論とは、人生の最期には冷たい水を一杯飲みたいということだ。
私は双極性障害だから「死」についてサシで向き合って考える機会はいくらでもある。
病状としてシンプルに鬱が完全に脳を支配しているような時はただ死にたいという感情にかられるばかりで筋の通った思考には至らない。
そういった時よりも躁と鬱の混合状態というのだろうか、そういう時に「死」というものについて手ごたえを以て考えを巡らせることができる。
そういう時に思い描く「死」は、躁が入っているからか、はたまた見聞に乏しいためか、かなりファンタジックであるように思う。
なぜならその時思い描く図は「衰弱しベッドに横たわり、死ぬ間際に冷たい水を一杯飲んで息絶える」という、まるで映画のワンシーンのような理想的すぎるものだからだ。
さらに欲を出せばこのようになる。
「とある快晴の昼、揺れるカーテンから射し込むあたたかい陽光を浴びながらベッドに横たわり、死ぬ間際に冷たい水を一杯飲んで息絶える」
もはや情景の美しさまで求め始めている。
綺麗な景色の中で世界一美味しいものを口にしながら死にたいだなんて、自分の最期に対して欲張りすぎである。
きっといつも非情な現実は希望通りの最期など迎えさせてはくれないのだろう。
しかし自分で選ばない死が心地よいものであるように夢想することだけは自由だ。
どうか最期に冷たい水を一杯飲むことができますように。
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