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ウルトラマン商店街のこと

 「キッチングリーン」からの流れで、祖師ヶ谷大蔵「ウルトラマン商店街」を少し紹介しておく。

 まず、祖師ヶ谷大蔵と「ウルトラマン」との由縁であるが、「ウルトラマン」制作当時の円谷プロ最寄り駅がここ祖師ヶ谷大蔵駅であったから。
 (現在、円谷プロはR246と山手通りの交差点にある渋谷ガーデンタワーに移転している)

 「ウルトラマン」を商店街のシンボルに掲げようとひらめいた人、えらい! すごい! 「ウルトラマン」はマイナスイメージが限りなくゼロに近い正義のヒーローゆえ、万人うけ間違いない。
 しかも、TVドラマ「ウルトラマンシリーズ」は1966年から現在まで続いている。2013年に「最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組」としてギネスワールドレコーズに認定された長寿番組でもある。おそらく円谷プロがこのシリーズを閉じないかぎり、「ウルトラマン」は親子永代にわたり愛されゆくキャラクターであろう。

 余談であるが、円谷プロに資本参加しているバンダイナムコグループにとっても「ウルトラマンシリーズ」はひとつのドル箱であろうから、そう考えるとこのシリーズはまだまだつづきそうだ。

 話を商店街に戻す。
 リンクを付けた商店街ホームページにも記さているが、「ウルトラマン商店街」とは、別々に活動している「祖師谷みなみ商店街」「祖師谷商店街」「祖師谷昇進会商店街」三つの商店街の総称で、2005年に円谷プロ協力のもと共同事業を始めたのが発足のきっかけとのこと。

 「ウルトラマン」を活用した街のイメージ作りはすぐに浸透していったのだと思う。
 今では小田急線祖師ヶ谷大蔵駅の接近メロディがウルトラマン/ウルトラセブンのものになっている。そして、駅構内の柱にはウルトラマンがいっぱい。

かつてのウルトラマン像


 自分などは、祖師ヶ谷大蔵駅と言えば〝あぁ、あのウルトラマンが仁王立ちしている駅ね〟っと云う認識である。

 ちなみに、このウルトラマン像、2022年3月の駅前広場リニューアルで90度向きが変わった。

2022年3月 駅前広場工事中
2023年6月現在のウルトラマン像


 今のウルトラマン像の足元には「ウルトラまちづくりの会」による「ウルトラマンの歌」プレートが掲げられている。

 この「ウルトラまちづくりの会」を調べてみた。
 前出の三商店街に加えて、近隣地域(砧・祖師谷・千歳台など)の自治会、砧5丁目にある日大商学部などで構成された「ウルトラまちづくりの会」は、2005年6月に東京都より『地域連携型モデル商店街事業』に認定されている。
「ウルトラマン商店街」とそれをとりまく〝街づくり〟は地域連携のモデルとなりうる事業と云うことだ。

 さらにかぶせて言うならば、ここに東京都産業労働局の「アニメ関連観光情報等発信事業」が連動して、世田谷区がウルトラマンやウルトラ怪獣たちをあしらったデザインマンホールを駅周辺に設置している(2020年3月)。
 言い方変えれば、祖師ヶ谷大蔵はウルトラマン――あるいは円谷プロにちなんだ怪獣たち――がいたるところに潜んでいる街なのである。

 ではでは、ウルトラマンとその怪獣たちを探しに行こう。

 駅前の祖師谷通りに設置されている車止めポール。

 トップにウルトラマン、ウルトラセブンが造形されている。もう一つの造形はピグモンかガラモンか??
 なかでも、目とカラータイマーが着色されたウルトラマンポールは、自分が探した中では写真の1本しか見つからなかった。

 街の案内板にもウルトラマンが大胆にフィチャーされている。


 案内板は他にもあってデザインは様々。探してみて。

 「キッチングリーン」の回にも記したが、街路灯がウルトラマン。ウルトラセブン、バルタン星人もいる。


 細い路地には、背の低い街路灯があったりする。


 メディア露出多数の「キッチンマカベ」もウルトラセブン街路灯に見守らている。


 ちなみに、こちら「キッチンマカベ」の場所に『ウルトラマン』『ウルトラセブン』撮影時にはドラマスタッフやキャストらの溜まり場となっていた喫茶店「AZ」があったそうだ(超詳しいブログ「MKB2023」による
)。

 三つの商店街の出入口にはウルトラ兄弟らが空を飛んでいるアーチ型ゲートがある。


 これら3人のウルトラ兄弟の名前を正確言えるかな?

 「祖師谷ふれあいセンター」の入り口にはリアルスケール「カネゴン」がいる。


 カネゴンは「ウルトラマンシリーズ」に先立つTV番組「ウルトラQ」にて初出。人気キャラクターでその後もシリーズをまたいで様々な作品に登場する怪獣だ。

 いや、怪獣あつかいしては可哀そう、もとは加根田金男少年なのだから。
 ――もちろん、「ウルトラQ」も円谷プロ制作。

 デザインマンホールも外せない。
 東京都下水道局のホームページを辿っていくと『いま"マンホール蓋"が熱い!!』と題されたページがあるくらいだ。
 駅近傍にまとまってあるから、見つけやすいだろう。

 さあ、マンホール蓋にデザインされたこれらキャラクターたちの名前を言えるかな?

 ついでなのでマンホールカードも載せておく。

 マンホールカードの写真はウルトラマンの向きから、駅前広場リニューアル前のものであることが判る。

 さて、かつての円谷プロについて少し踏み込んでみよう。
 選出の「ウルトラマン商店街」のホームページに丁寧なマップがある。
 それによると「祖師谷みなみ商店街」最南のウルトラマンジャックアーチの先に★印があり〝円谷プロ跡地〟と記されている。
 今は綺麗なマンションになっており、残念ながら、跡地の説明板もない。円谷プロは現存する企業であるから、それもそうかな、と思う。

 また一方で、生みの親である円谷英二さんの旧居地はGoogleMapに載っている。


 何か碑とか説明板がないか、足を運んでみたが、駐車場になっていて何もなかった。
 ただ、円谷邸には大きな門扉があったのだろう、駐車場には不要な門扉の滑車が滑るガイドレールが地面に埋まったままだった。それだけが円谷邸の面影を現代いまに遺している。

円谷英二旧居跡


 「特撮の神様」とまでいわれた円谷英二さんなのに、ちょっと淋しい。

 脱線つづきであるが、もうひとつ脱線。
 実は「ウルトラマン」TV放送開始前に、舞台「ウルトラマン誕生」が上演されていた。その地がここ祖師谷もしくは砧なら、話はすんなりまとまるのだが、舞台が上演されたのは杉並区荻窪にある杉並公会堂であった、という話。
 こちらは杉並公会堂の前に説明板がしっかりある。

 最後に、旧居跡に説明板はなかったけれど、円谷英二さんの出身地、福島県須賀川市の市民交流センター『tette』内に円谷英二ミュージアムがある。
 須賀川市は東日本大震災により多大な被害を被った地域であり、創造的復興を掲げて造られた市民交流センター『tette』は「市民文化復興のシンボル」ともなっている。
 そのようなところに子どもたちに夢をあたえつづけた円谷英二さんのミュージアムがある‥‥。
 そのことが、――自分も円谷さんから夢をもらったひとりとして、すごくうれしい。いつか行ってみたい。

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