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私の始末書【エクストリーム帰寮2021】

これはエクストリーム帰寮 Advent Calendar 2021の22日目の記事です

はじめに

2週間ほど前のこと、アドベントカレンダーに空き枠があるのを見つけた私は、軽い気持ちで 22日の枠に登録をした。

そして今、その衝動的な行いが 数時間後の締切となって私を追い立てている。
今まで何やってたんだ。

遡ること3週間余前にも私は衝動の責任を取らされていた。


そう、皆さんご存じ「エクストリーム帰寮」である。

去年は宝塚劇場前まで拉致されて熊野寮まで60km。ということで道迷いを考慮に入れて今年は50kmで申し込んだ。

多分コンテンツ力とかそんなことしか考えていなかった。
もっとも他の参加者に比べればコンテンツ力はカスである。

今回の同行者はでんで(@dende_99)氏。
彼は私と同じく高校時代は山岳部であり頼れる同行者であった。

熊野寮へ

11月26日、この日は昼に時計台コンパに行き、鍋と酒を恵んでもらった後、自宅で睡眠、金曜は実質100円引きであることでおなじみのハイライトで夕食をとり、拉致されるために2130ごろに熊野寮に到着した。

そして受付開始を待ち、ロビーをウロウロしていたのだが、そこで目を疑うものを見た。

トウカイテイオー(ウマ娘)がいた。
嘘でも比喩でもなんでもなく本当にいた。ワケワカンナイヨー! 

その後参加登録を済ませたが、もの凄い参加者の人ごみであった。
これを全て捌いた運営者様には頭が上がらない。

人ごみのなかでウネウネしていると他の参加者に「何kmですか?」と聞かれたので50と答えると「50?!」と驚いていたので驚いた。
またオレ何かやっちゃいました?感覚がマヒしているらしい。

輸送の車を待っていると油粘土マンに似た人物がいた。
だから私が好きな油粘土マンの動画を貼る。

でんで氏は本当に油粘土マンじゃないかなどとうわごとを言っていた。

出発

2230頃、別の1組と共に車に乗り拉致開始。
さらば熊野寮、また逢う日まで。

車内では長時間の歩行に備えて少しでも眠ろうとしたが一睡もできない。
のび太になりたい。

眠れないので某社と某社の人の意識の高い会話を目を閉じて聞いていた。
別にこれはバカにしているわけではなく、企画力行動力努力というのはもっとも私に足りないものの一つであるから尊敬する限りである。

そうしてグネグネしているうちに車が止まり同乗組が降ろされる。
目を開けてしまった私が見たものは、奈良公園のような奈良公園だった。

そこからさらに数十分車に揺られた後、我々も降ろされることとなった。


スタート地点

日付は変わって11月27日、我々はなにやらデカくて広い建物の前に降ろされた。

宗教施設っぽいようにも見える。奈良の南と言えば天理教か?果たして天理教本部であった。現在地

現在地特定完了、対戦ありがとうございました。

画像1
アラビアのロレンス

こうなれば後は北へ向かって歩くだけである。
持ってきたコンパスの赤い針の指す方に向かって我々は歩き始めた。

適当に曲がりながら歩いていると南北方向に走る片側一車線の道路を発見したのでそこを歩くことにした。


既知との遭遇

青看やバス停等諸々から得た情報によるとこの道は国道169号であり、まっすぐ進めば奈良公園に行けるらしかったのでそのまま歩くことに。

普段は建物がひしめき合う京都に住む田舎出身の我々にとって、道路から見える田んぼは郷愁を感じさせ地元トークに花が咲く。

そうして歩いていると、見覚えのあるものを発見した。

ガソリンが安いセルフィックス天理SSである。この道はいつか来た道。


獣の襲撃

0240頃、数時間ぶりに奈良公園に戻る。現在地

ほぼ最短経路で来ただろうに車では数十分の道でも歩けば2時間。
科学のありがたみが脚に沁みる。

奈良公園であるからシカを期待したものの1頭も見当たらない。

がっくりしながら腰かけてエネルギー補給。パクパクですわ!

とそこへどこから現れたのかシカが1頭目を光らせて接近してきた。
我々の食べ物を求めてやってきたらしい。

こわい

恐ろしいことに人に慣れ切っているため追い払うこともできずにいると、気づけば周囲の闇の中にはいくつもの目が光っていた。ホラー。

これでは休憩もままならないのでシカに追いかけられながらその場から逃亡。

県庁前に場所を移し半裸のゆるキャラとツーショットを撮るなどした。

半裸の怪人と異常独身男性のツーショット



地図発見

県庁に行けば広域の地図があると期待した我々であったが期待は外れ、地図を求めて近鉄奈良駅へ。

無事駅のバス停で京都への道を確認することに成功した。

有能

地図の通りに歩くと京都府の看板。
木津川市に入る。

この時は「京都に入ったのだからもうすぐだ」などと舐めたことを言っていたように思うが、そんなことはなかった。


既知との遭遇2

見覚えのあるマクデリシャス・オヴ・ドナルディスムス。現在地
ここで国道24号に入る。この道はいつか来た道2。


恐怖!木津川堤防編

国道24号を京都に向かってズンドコ歩いていると恐ろしいことが起こった。

歩道がなくなったのである。現在地

道が沿っている木津川の河川敷も歩けないし、国道に沿った他の道もなさそうに見えた。

我々はしばらく逡巡した結果、意を決して車道沿いを歩くことにした。

ヘッドランプが光っていることを確認し歩き始める。

車がすぐ脇を走り抜ける。怖い。
沢の巻きより怖い。
トラックとすれ違えば風圧で身体が飛ばされそうになる。

数kmに渡る歩道なし区間を無事抜けたときは緊張から解放され安堵した。

デカい国道には歩道をつけろ岸田文雄


京都発見

緊張の時間を過ごしているうちに次第に夜は明け、気づけば完全に太陽が昇っていた。

しかし反対に気分は落ちていた。
互いに交わす口数もめっきり減ってしまっていた。

ただひたすら脚を動かし黙々と歩き続ける。

そして1030頃、久御山JCTの歩道橋で京都の方を見ると、悪趣味なことでおなじみの京都タワーが遠くに小さく見えた。現在地

日頃は京都タワーを嫌う私も、その時ばかりは京都が目に見えた、という喜びを感じた。
京都タワーっていいですね。

前言撤回。
先日、夜の京都タワーを目にしたが、やはり悪趣味な造形をしていた。

景観だのなんだのと京都市は言うが、京都駅を出た観光客がまず目にするものがあのタワーってどうなんだ。
観光客が期待している「京都」とはかけ離れているだろう。

あんなものは即刻撤去して代わりにクソデカ五重塔を建てろ門川大作


消える同行者

実は数時間前から同行者と私の間隔があくことがしばしばであった。

しかし宇治川にかかる巨椋大橋で彼は私を追い越しすたすた歩いて行った。
元気になったのかなと私は安心し歩みを速めて写真撮影をする彼を追い越した。

模範的軍国少年であるところの私は「燃ゆる大空」を歌いながら橋を下る。

そして振り返るとそこに同行者の姿は見えなかった。

待ち時間を潰すためにTwitterを開くとこんなことが。

彼がこう言っていることを免罪符とし、私は独善性を発揮して単独行動を開始した。

今思えば申し訳ないことをしたと思う。


鴨川遡行

一人で歩き始めてからしばらくすると、なかなか激しい雨が降り出した。

しかし用意周到なる私はカッパを着て傘を差し、雨をしのいで歩いた。備えあれば患いなし。

かの偉大なるベーデン・パウエルも「そなえよつねに」と言っている。

ちなみにカッパの下を持ってきていなかったので脚は濡れた。
スカウトの恥。京大ローバース入ろうかな。

雨が晴れたころには竹田街道も片側2車線に巨大化。
しばらく進めば鴨川っぽい川と交わった。現在地

鴨川っぽい川は鴨川っぽかったので河川敷に下りて遡行開始。

しかし七条で右岸の河川敷の遊歩道はなくなってしまい、橋を渡って川端通を歩くことにした。

土曜日の昼とだけあって祇園四条あたりは人が多い。
その中を60ℓザックを背負って歩くのだから不審者である。
人が多すぎて周囲からの視線に耐えかねてマスクをせざるを得なくなってしまった。

道行く人に反マスクを訴える人をこの時も見かけたが、この時は彼の気持ちも分からないでもなかった。


そして熊野寮へ...

いかに人ごみが不愉快であろうと目指す熊野寮はもう目と鼻の先。
丸太町で右折し無事熊野寮に帰寮した

14時17分、天理を出発してからおよそ13時間40分の旅であった。

寮のロビーに行くとものりがいたので(最初誰だか分からなかった)彼と話しながらこたつでグネグネしていた。

ビンラディンの身長は209cmだそうだ。


完走した感想

Googleマップでチマチマ計測した結果、今回の歩行距離は約57km
時速4.16km程度。


出発地で起動したルートヒストリーくんは城陽のあたりで記録が途絶えていた。無能。


去年は膝の裏が痛くなり、熊野寮から自宅まで歩けずバスに乗るほどであった。
しかし今年はそれぼど痛みはなく、翌日起きてもそこまでの筋肉痛ではなかった。
これは道中で長時間の休憩を取らずに歩き続けたことが功を奏したものと考えられる。

次に装備。
パンや芋けんぴやその他食料合計おおよそ5000kcal、ポカリ1.5ℓ、防寒具、雨具、ヘッドランプ、バッテリ、コンパスなどを持って行った結果、60ℓザックを背負う羽目になってしまった。

愛用ザックくん きたない
さっき写真を撮ろうとしたら5日ぐらい前の饅頭が出てきた きたない

おそらく参加者中最大斤量を背負っての出走。
しかしそのおかげでエネルギー切れも起こさず雨にも負けずに帰ってこられたのかもしれない。
重いと歩きにくいと思われるかもしれないが、歩くぐらいなら大したことはない(諸説あり)。

エクストリーム帰寮の趣旨に反すると言われればそれはそうかもしれない。


これを読んでエクストリーム帰寮に参加したいという人がいるなら上記のようなことを参考にするといいかもしれない。
責任は一切取らない。


昔の人は現代人よりも何倍も平気で歩けたという話をしばしば耳にする。

しかし昔の路面はアスファルトやコンクリートではなく土で舗装されていたのだ。

この違いは大きい。歩く時の脚への負担が段違いである。

無論交通手段が歩くほかになかった昔の人は現代人よりも健脚であったことは考えられるが、そこには舗装の違いもあるのだ。

奈良公園の土の歩きやすいことである。いっそ日本全国あまねく土地を奈良公園にしてしまえば歩きやすくなるに違いない。

緑も増えて環境にいいに違いない。これが俺のSDGsや!ニホンジカを放てッ


さいごに

企画運営者の方々、ドライバーの方、同行者、皆さまありがとうございました。

ここまで読んでくれた方も、ありがとうございます。


















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