【記者のひとりごと】記者の過去と今辛い人たちへ

 4月、入社式や入学式が開かれる時期だ。企業の入社式は年度初めの4月1日がほとんど。1日が土日だと、明けの月曜日が多い印象だ。入学式はそれから5日から8日程度にある印象がある。進級して1学期始業式も同様の印象。中の記者はこの始業式が好きじゃなかった。私は小学校・中学校は人間関係でものすごく辛い思いをした人だからだ。小学校は同級生との人間関係で苦労し、中学校は先輩との上下関係も加わり、疲労とストレスで学校の中で吐くこともしばしば。私は今でもあの頃には絶対戻りたくないと思っている。少し長い話だが、今辛いと思う人は是非読んでほしい。

人生のどん底だった小中学校時代

 小さい頃から飛行機が好きな私だった。幼稚園の頃、ある島の空港で飛行機を見続け、親戚に飛行機好きが居たのがきっかけだった。だが、小学校にも中学校にも飛行機が好きな人は居なかった。むしろ変わったものとして扱われ、みんなの話にもついていけなかった。飛行機や鉄道の話以外は全く分からず、流行りのブームにものっかっても全く合わず、同級生とは馴染めなかった。みんなと遊ぶこともなく、いつも一人で過ごす日々で「昼休みなんてなんであるんだろう」そう思う日々で、そんな時間あるなら家に早く帰って自分の時間を作りたいと思っていた。小学校高学年から中学校ではいじめも受け。さらに中学の部活は上下関係が厳しく、いじめも受けてダブルできつかった。本当に人生のどん底だった。あの時はとにかく転校したくて必死だった。何度人生を捨てようか考えるほどだった。

写真で人生を救われた高校時代

 中学校を卒業し、私は同級生が誰も行かない学校を選んだ。偏差値が低く、中学校の同級生の中でやばい学校と噂になるほどの学校だった。私以外は志望者はおらず、過去を振り返っても進学した人は数えるほどだった。でも私はそれがよかった。私はもう一回学生生活をやり直すつもりで入った。そして、部活は写真部に入った。飛行機が好きで、飛行機の写真も撮っていたのでいい機会だった。この判断が自分の人生を変える結果となった。写真部の部員として初めての活動は遠足の撮影だった。同級生の遠足風景を撮って広報用の写真にしたいという事で任された。そこで初めて親戚から借りた一眼レフカメラを持って遠足に行ったが、使い方が分からず苦戦しながらもなんとか撮影したのを今でも覚えている。みんなから声を掛けられながら撮影した。一眼レフが珍しかったのか、みんな興味津々。そのおかげもあり、遠足後は同級生と話する機会が多かった。この時の楽しさから学校で写真を撮るようになった。学校で色々写真を撮っていた。いつの間にか同級生の写真を撮るようになっていた。写真はデータにしてラインなどで送ってあげてた。その後写真のことは基本私に任せてもらえるようになった。いつの間にか居場所もできていた。同級生とも話すようになり、学校帰り一緒に話しながら帰ることもよくあった。中学校では絶対なかったことだった。
 高校2年生で、本格的に学校写真で勝負することを決め、貯金とバイト代で自分のカメラを買った。学校のイベントごとは土日であろうと必ず参加して撮影した。そして色んな学校写真を見て勉強し続ける日々、小学校・中学校の卒業アルバムを見返して参考にしたり、他校の写真部の方と情報交換したり、本を買って撮り方から勉強したり。いつのまにか学生時代の中心は写真になっていた。写真のおかげで学校外含め色んな人と話せた。同級生のほとんどと仲が良かった。僕の個性を理解してくれる人ばっかりだった。高校時代の経験で精神的にも回復し、初めて学校生活を満喫できた。卒業後、記者は進学して学校写真を撮ることはなくなり、鉄道や飛行機、イベントなど撮っていたある日のこと、「これ新聞記事みたいに作ったら面白んじゃないか?」これが今の史旅編集・交通報道の始まりとなった。高校時代の写真の経験から始めたのがスタートだった。そうして私は好きな交通記者として好きなことを生きがいに仕事をしたりしている。

きっとその個性を大切にしてくれる人は居る。だからこそ自分の個性をつぶさないでほしい。そして自分から世界を広げる一歩踏み出す勇気を持って

私は福岡に住んでいた頃があり、その時は同級生のノリが合わず関りはなかった。そんな中で、あるカフェの存在を知り行った。最初はお洒落なカフェで、自分に合うか分からず行くかどうしようか迷っていた。でも暇だったので、せっかくなので一歩踏み出して行ってみることに。お店に入り、初めての時はオレンジジュースを頼んだ。そこの店主は、初めての僕にでも普通に話しかけてくれた。学生であることや飛行機が好きという話をしたのを覚えている。その時が楽しく、そのお店に通うようになった。いつのまにか通う回数は増え、お店の中で会う常連さんとも仲良くなった。昔から変わり者だった自分の個性を認めてくれて、色々とよくしてもらい、夜はオールすることもあった。みんな私より年齢は上だが、親友のように大事にしてもらい、悩みなども相談できる仲になっていた。今でも関わりがあり、今でも私の大事な先輩方だ。

記者からのメッセージ

迷うぐらいなら1歩踏み出してみるのも大事だと思います。私はそうして変わった個性を大事にしてる人がいっぱいいました。変わりものって言われていじめられて、そんな人たちなんて無視で結構。きっと世の中には自分の個性を大切にしてくれる人が必ずいますから。なぜなら私がそうだったから。そのお店の常連客が言った事「学校だけの出会いがすべてじゃないよ。世の中色んな人がいるんだから、きっと気が合ういい出会いがあるよ」。これに尽きると思います。変わり者って言われたり、体型などのことを言われたり、悪口などを言われたり、すごく辛い思いをしている人達へ。経験者だから言える。きっとこの世の中にはあなたのことを認めてくれる人は現れます。今は辛くても、きっと私みたいに将来過去の話ができるようになるから、だから今負けずに頑張ってほしい。本当につらいときは行政の相談窓口などに是非頼ってみてください。見てる人が少しでも救われる話だったら幸いです。
史旅編集交通報道 交通報道局 運営記者(交通記者)


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