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言の葉の剣 第2話

 警察署の廊下に座って、オレは天井を見上げていた。
 悲しみに唇を引き結んだ人々が慌ただしく広い講堂に入っていく。ドアが動くたびに中が見える。そこには死が満ち、泣き声が聞こえてくる。
 誰かが隣に座る気配がしたけど、オレは動かなかった。動けなかったのだ。心も体も、この世界から切り離されたみたいだった。現実感がなくて、そのくせ手を動かすのも億劫なほど疲れていた。
「御園樹」
 呼ばれて、オレはのろのろと視線を動かした。春島によく似た高校生がオレを見ている。さっき会ったばかりの、春島の兄だった。
「怪我は? 病院で診てもらった?」
「はい。オレは大したことないです。事情聴取も、終わったし、ひとまず帰っても……いいって」
「そう」
 沈鬱な雰囲気のまま、オレたちはしばらく黙っていた。何を言っても意味がない。春島は、講堂で他のたくさんの人たちと同じように、白い布に包まれていた。駆けつけた両親とお兄さん、それにオレの前で白い布が開かれる。
 今にも笑顔で話しかけてきそうな顔で、春島は眠っていた。
「何があったんだ?」
 兄さんの問いかけに、オレはぼそぼそといきさつを話した。目撃者が多いから、突拍子がない部分も隠すわけにはいかない。
 話しながら、オレはずっと考えていた。
 どうして、オレは春島をちゃんと抱き込んでいなかったんだろう。
 どうして、オレは春島の手を掴めなかったんだろう。
 春島の両親にも、兄さんにも申し訳なかったし、自分のことが許せなかった。だってドラゴンの目標は確かにオレだった。オレがいなければ春島は死ななかった。
 なぜこんなことになったのか、知っているとすればあの青年だ。あいつはオレを『ロウジュ国の騎士殿』とか呼んだ。騎士なんて中二病かよ。でも現にオレは本の中から剣を出した。
 おまけに気になるのは、あのドラゴンがどこから来たかだ。
 電車の車両を鉤爪で掴めるほど巨大なドラゴンが、誰にも見られず長距離を移動してきたとは思えない。オレと同じような力の奴がいて、そいつが近くでドラゴンを出したんだ。
 あの青年は絶対に詳しいことを知っている。そうじゃなきゃオレに本を渡したりしない。しかもご丁寧に、剣の部分を騒動の前にオレに読ませたんだ。
「ずっと美祝と一緒にいてくれたんだよな?」
 絞り出すような声に、オレは我に返った。兄さんは顔を覆っている。嗚咽をこらえる肩が震えていた。人生で最悪の瞬間を、この人は渾身の力で耐えている。家族は春島を大事にしていたんだ。
 なんでオレは、春島と同じ電車に乗ったんだ。
「オレ……ごめん、なさい」
 やっとのことでそれだけ言うと、オレはよろよろ立ち上がった。兄さんに合わせる顔がない。ぐちゃぐちゃに泣きたいのに声が全然出なくて、それなのに視線の先の床には、ぼたぼた水が落ちている。それが自分の涙だと気づいても、どうしようもなかった。
 オレは壁に手をつきながら階段を下り、霞んだ目のまま玄関を出た。警察の人が何か言っていたけど、とりあえずオレは歩きたかった。
 外はもう夕方になっていた。オレはそこでやっと、母さんに連絡していなかったことに気づいた。スマホも財布も失くしていたから、警察署に戻らなきゃいけない。
 でも戻るのはいたたまれなかった。どうしたらいいか決めかねているオレの前に、またもあの青年が立っていた。

 座れる場所で話そうという誘いに断る気力もなく、オレは警察署にほど近いファミレスの隅に座っていた。何かを食べるどころかメニューを見る気力もなく、オレはドリンクバーだけを頼んだ。
 夕食の時間帯なのに、青年は食事ではなくチョコレートパフェを頼み、オレの前でのんびりパクついている。呆れるほかない。
「君は何か食べないのかい?」
「食べられる状況だと思うのかよ」
「まぁ、そうだね」
 肩をすくめて、青年はコーヒーを飲む。涼しい顔をぶん殴りたい。
「ここの食べ物はなんでもおいしいから、色々食べておきたいんだ。……さて」
 ズレた言い訳をすると、青年はナプキンで口を拭き、オレを眺めた。
「だいぶ参ってるみたいだね」
「もういいから、お前が知ってることをさっさと話せよ」
 投げやりな口調で言うと、青年はメニューに手を伸ばしながら答える。
「お前じゃなくて、リベル、だよ。それが僕の名前」
「はいはい。で、お前は何を知ってる」
 名前を呼んでやる気がないのが伝わったようだが、リベルは平気だった。
「どうだろうね。そんなに多くを知っているわけじゃない。僕はただ、君に協力を依頼したくて来ただけだから」
「協力?」
 リベルはメニューを開き、デザートのところを熱心に眺めている。チョコレートパフェを食べ終えないうちに、パンケーキとチョコレートケーキのどちらを次に食べるか迷っているらしい。
「そう。僕の本が一冊盗まれてね。あのドラゴンはそこから呼び出されたものなんだ。だから同じ力を持つ君を探していた。犯人を一緒に探してくれたら、まぁ、君の愛しの人を戻す手助けもしてあげるよ」
「本……?」
 リベルはテーブルの上に放り出してあった、例の本を引き寄せた。
「この本と同じく、特別な本だからね」
「なぁ、アレは、オレの力なのか? それとも本の力?」
 オレの問いに、リベルはにっこり笑った。
「いい質問だね。考えてみて。物語を読む者は誰しも一度は考える。このワクワクする話が、小道具が、現実のものになったらって。でもそれを実現させられる者は限られている。すべての物語が現実になってしまったら、世界は大混乱に陥るだろう?」
 リベルは眺めていたメニューをオレの方に向けて、ついと差し出す。
「ここにあるパンケーキを実際に取り出すことは君にもできない」
 無意識に指をメニューに滑らせる。感覚的に、無理なのはわかった。写真も無理だ。
「条件がある?」
「そう。国はいくつもあるけど、ひとつひとつを守る樹がある。我々はその樹を大切に守ってきた。年に一度、樹は実をたくさんつける。人々はその実を別な場所に植えて森を育てるんだ。樹が充分大きくなったら、それを使って本が作られる。表紙から紙まで、すべてがその特別な樹からできている。
 だから、書く内容も特別でなければいけない。王宮には『書き手』と呼ばれる者が集められる。自分でインクを調合し、すべての想像力と集中力を本に注ぐことができる術者たちだ。
 下書きが審査され認められれば『書き手』は本を作る。できあがった本は、書庫に収められる」
「その本でなければ、内容は取り出せない?」
「本だけでも無理だ。『書き手』がいれば、『読み手』がいる。内容を正確に読み、書かれている物の緻密な輪郭と質量、それに機能を現出させる能力を持つ者は、『書き手』以上に少ない。本当に特別な力なんだ」
 リベルはタッチパネルを持ち上げ、パンケーキを注文し始めた。その仕草は優雅で、指先は踊るように文字を追う。
「オレはその……『読み手』?」
「その通り。時代が下がるにつれて、『読み手』は色々な場面に駆り出されるようになってね。軍事面での功績が優れているということで、『騎士』とも呼ばれるようになった」
 最初にドリンクバーから持ってきたアイスティーを一口飲んで、オレは溜息をついた。
「なるほどね……オレは……この世界の住人じゃないのか」
「いや? 君はこっちの住人だよ?」
「お前さっきオレのことを『ロウジュ国の騎士殿』とか言ったよな」
 一瞬、変な間があった。リベルは誤魔化すように微笑み、タッチパネルの縁をとんとんと叩いた。
「僕の国では、君の国のことを『ロウジュ』と呼んでる」
 胡散臭い。ドラゴンの存在がこの世界と相いれないのと同じぐらい、オレの存在もおかしいのに。
「だいたい、世界を守る特別な樹なんて聞いたことない」
「ここの人たちは、かなり昔に樹を切ってしまったから、加護を受けられなくなった。それでも、まれに力を持つ者はいる」
「樹が……あった?」
「世界樹とか聞いたことない? 聖書は?」
「光あれ、ってやつ?」
「そうそう。契約の箱なんかも、あれは元々実体は存在しない。『読み手』が本から出すために細かく書かれてるけどね。最初は『本』そのものが兵器だったのさ」
 哀しい話だとオレは思った。オレだって小説を読んで、こんなことが本当にあったらいいのにと感じたことはある。でもその使い道が兵器だって? 他に楽しい使い道はたくさんあるだろうに、リベルの話は不穏な気配がする。
「お前の本を盗んだのは?」
 オレの問いに、リベルはパンケーキの写真から目を離さず答えた。
「僕とペアを組みたがっている『読み手』の子がいてね。ただその子はちょっと実力不足というか、僕としては相性の良さを感じないというか。多分、今回の事件はその子の仕業なんだよね。君を倒して、自分の実力を示したかったんだと思う。探してくれたら、『筋書き』を戻す方法を教えてあげるよ」
「……探す? 囮の間違いじゃないのか?」
 オレはリベルを睨んだ。
「お前は、オレの近くで待っているだけでいい。そいつがオレを殺しに来たら、オレが返り討ちにして本を取り戻すことになる。オレが殺されたら、そいつは実力があるということになるから、そいつと組めばいい」
 リベルの目が細くなった。綺麗な顔が満面の笑みになる。
「さすがだね。頭の回転が速いところは、全然変わっていない。探しに来た甲斐があったなぁ。本当に……こんなところで君の才能を無駄にするなんて、君も……彼も、愚かだ」
「彼って誰だ?」
 思わせぶりなことを言うくせに、答を教えるつもりはないらしい。運ばれてきたパンケーキに嬉しそうに手を伸ばしたリベルに、オレは怒りを抱いたまま立ち上がった。
「協力する気になったら、いつでも言ってね」
 暗にストーカー宣言をすると、リベルはパンケーキに取りかかった。むかむかする気分で、オレはレストランを出た。


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