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赤旗新聞という心の中のハードルの正体

赤旗新聞、この言葉に纏わりつく一種独特の雰囲気ってありますよね。特に熟年層以上の方にとっては、赤旗新聞をとる、ってちょっと勇気が必要なんじゃないかな、って思うんです。不思議ですよね。読んでみるとものすごく良い新聞なのに。

でも私もそうだったんです。やっぱり赤旗を買うのってちょっとだけ勇気が必要でした。

「赤旗新聞」という言葉

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私が一番最初に赤旗新聞を知ったのは小学生のころ。そのころの赤旗は今よりもはるかに異質な存在だったような気がします。

担任の先生は、恰幅のいい年配の女性の先生でした。

彼女はやさしい先生でしたが 多少融通が利かない人で人気はありませんでした。というか、たいていの子は、隣のクラスが元気で若くて話のわかる体育担当教師だということを羨ましがっていました。

私はおとなしめの、割と「優等生」な子どもでした。
まあ、ぶっちゃけ担任の先生の「お気に入り」でした。

ある日、私は先生に紙袋を手渡され「これを○年○組の××先生に届けてきて」と頼まれました。

「みんなには内緒で、、、」と先生は言葉をつなげました。

不審に思った私は受け渡し場所に向かう途中、その袋をちらりと覗きます。

そこには

「赤旗」と書かれた新聞が入っていました。

私は ふーん、と思いました。

ふーん。

子どもにとってはどうでもいいことでしたから。

私はその袋を手に件の先生のクラスに向かいました。幾らか若いやはり女性の先生は、それを受け取ると にっこり笑って「ありがとう」と。

なんだかわからないけれど お礼を言われるのは栄誉なことです。

理由なんてどうでもいい
何かの役にたっているらしい
子ども心にもそれだけはわかる

お使い完了!

使命を果たした私は家路につきます。
訳もなく足取りも軽く。

その「お使い」は毎日ではなく
しかし定期的ではあったような気がします。

共産党という謎政党

今ふと思うと

あの先生はいつも誰もいない教室で待っていた
職員室ではなく…

それは絶対に職員室で話すことなんてできなかった事、
先生同志が直接新聞を手渡ししていることを人に見られてはいけなかった。

そんな時代だったわけです。

なんか最近、日教組と共産党を同じように扱ってる人いますけど、全然違うからね、このふたつは。


そして。ある日。

袋の中身が少し違う?

茶封筒にメモが添えられていて

そのメモに

「おめでとうございます。ほんとうに良かったですね」
と書かれていました。

ふーん、と私は思った。
ふーん

選挙があったことは知っていた

沖縄が日本に返還された年。田中角栄さんが総理大臣になった年、日本と中国の国交が回復した年、ウォーターゲート事件、日本列島改造論

親も先生も大人達は皆、世間話みたいに政治の話をしていました。

テレビでも新聞でも、肯定派、否定派 たくさんの意見を耳にしたものです。

日本をけん引する自民党は「ばら撒き政治」、モノより人だけど「何でも反対」の社会党、世間の目を気にしてアッチに行ったりコッチに行ったりの自民党のブレーキ公明党は「風見鶏」。わかりやすい。

けれど当選するはずもないのに選挙があれば必ずひとり立てる謎の共産党は子どもの目にも異分子に見えました。

やってること無駄やわー(子どもの頃の私の心の声)

何したいのかがわからんわー

存在理由がみつからんわー

実際 大人達の中でも共産党は「脇に置かれていた」ような気がします。

そんな「時代の空気」。

当時の大人の言葉が共産党という言葉にまとわせていたにおいのようなもの。

それが私の共産党という言葉へのハードル。


でもね!



日本に共産党が無かったら、今の日本はどんなことになっていたんだろうと。

そんなことを考えると
当時の私も周りの大人も
ほんとに物知らずだったし

そんな中でモクモクと地道に何かをしようとしてくれていた人達のおかげでかろうじて今私たちは この状態でいれるのだと思うと

ほんとに誰に何と言っていいのかわからないのだけれど

あの先生たちが何を考え 何をしようとしていたのか、知るすべもないけれど

多分 もう 会えない場所にいるあの時の先生たちが

今の共産党を見たらどんな風に思うかしら、と。

ふと思ってしまいました。


終わりに

「赤旗買いました」ネタはこれで3本目になります。

「赤旗日曜版」を一回だけ買ってそれをどこまで引っ張るんかいな、って感じですが、

しかし

あえて自慢しますが

書こうと思えばまだ書けます!

…まあ 今回はこのあたりでやめてはおきますが(しかし、近いうちに絶対に書く!)


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