川のうえで

旅行中、早起きしないと間に合わない旅程を組むことが多いので当然アラームをかけて寝るのだが、そのアラームより早く起きたことしかない。
この朝もそうだった。寝坊で旅程が崩壊する、という強迫観念がぐっすりと寝させてくれないのかもしれない。

起きたら部屋が昨日の酒盛りのままだったので、急いでゴミを片付けて、身支度してホテルを出た。
昨日のフロントの人と似ているけど少し違うおじさんが、にこやかに見送ってくれた。

昨日より1時間ほど遅く出ているので、真っ暗という事は無く、薄暗い駅前を歩いて駅まで出た。
イルミネーションもさすがについていなかったので、その点では夜より暗かったかもしれない。
遠くにやたら煌々と明かりのついているビルが見えたけど、地図で確認しても営業してそうな店なんてなかった。幽霊テナント…

割と発車間近についたら、乗客が10人弱乗り込んでいた。
過半数は同じ乗り鉄だったかな…
発車してほどなくして、腹が減ってきたので、昨日買った中で手を付けていなかったゆかりおむすびと牛乳を飲んで、あとはうつらうつらしつつ外を眺めていた。

今回みたいな理由じゃない限り、旅程をたてる時に事前にどういう場所か調べることはほとんどしない。
何も分からないまま着いた方が感動が大きいはずだし、多少の計画性のなさで予定が揺らいでも、そのおかげで面白い経験ができることの方が多い。
今回長良川鉄道を完乗するにあたっても、どういう路線なのかはほとんど調べずに来た。
分かっていたのは終点まで駅数が多くて乗車時間が長いことくらい。
なので勝手に山間部をひた走るものだと思っていたけど、だいたいが平野部ののどかなところで少し意外だった。飯田線乗った時も同じ事思ったな。
関や美濃といった市をゆっくり抜けて、やっと雪がちな景色になっていった。

面白いもので、美濃白鳥まで来るともう飛騨も顔負けの雪景色になり、終点の北濃は車止めが完全に雪で埋まっていた。
北濃はかなり良い終着駅で、営業していなかったものの駅弁の直売所?や白鳥市の観光協会が併設になっていた。
待合室は広く、駅弁屋の方には予約制とかいろいろ書いてあって、往時は割とに賑わっていたんだろうと思われる。
近くの中学・高校の生徒専用の自転車置き場なんかもあって、人のいる時の姿が想起されて感じる事のできる良い駅だった。

折り返しの列車に乗り、来た線路を戻る。
往路より少しだけ日が高くなって景色が鮮やかに見えるようになり、晴れ間も出てきたかな、というタイミングで美並苅安駅に着いた。

一面一線の簡素なホームだったが、一応木造で建物の形をした駅舎があって、その手前に円空仏が3体並んでいた。
美並は円空のふるさとにあたるらしい。テイラーのシナリオがちょうど途中だから知らなかった。
地元の工芸事務所に駅舎のスペースを貸しているようだったが、あまり使われている感じはせず、人気はなかった。
かといって、駅前の木に何羽もとまっているすずめがしきりに鳴いていて、静まり返った寂しい雰囲気でもなかった。

駅舎の待合室にはロッカーを流用した本棚があって、ジャンル問わず雑多に本が並んでいたのだが、
一番下の段だけ、まんがタイムきららまぎかがめちゃくちゃ並んでいて、その他もデジキャラットとかカルデアスクラップとかグラブルのコミカライズとかが置いてあって、この近くに信用のできるオタクが住んでいるな…という波動を感じた。

美並苅安に来たのは粥川谷に行くためで、ここも昨日でいうところの飛騨東照宮と同じ、ヒロインの固有立ち絵のあるスポットである。
そうじゃなくてもゲームの画面だけで分かりやすく綺麗だったし、相当行きたい熱の高い場所だった。
列車がないのもあり、ここでは4時間弱時間を取っていたので、往復2時間強をゆっくり歩いて向かおうと思っていた。
…のだが、駅舎の側面や、内部の掲示板のところの張り紙を見ると、どうやら長良川鉄道の沿線駅のいくつかではレンタサイクルを実施しているらしく、ここ美並苅安もその対象らしかった。
平日ならこの駅でも受付できるらしいが、今日は誰もいない。
ここから少し歩いたところにある、郡上市役所の美並振興事務所に行けば対応してくれるかもしれないようだった。

めちゃくちゃ近いわけじゃないようなので、どーすっかな~、と思いつつ、向かう前に一旦駅舎や駅前の感じをカメラで撮っていた。
撮っているうちにトイレに行きたくなり、
駅舎の真横にトイレがあったのでそそくさと駆け込んで、どこにもリュックをかけられる場所がないので背負ったまま用をすますと、紙が無かった。
もう全然無かった。ペーパーホルダーのツメがはっきりと見えていたし、間に蜘蛛の糸も張っていた。
瞬間、めちゃくちゃ焦った。
というのも、昨日坂上のあたりを小一時間歩いた際、寒すぎて鼻をかみまくり、持っている紙という紙を使い果たしているのを思い出したのだ。今朝もいそいそと身支度をしたせいで、ホテルのティッシュをもらってき忘れている。要は、上着だろうとリュックだろうと、どこを探したって紙は全く出てこないのだ。
もうめちゃくちゃに焦ってしまい、尻丸出しのまま小便器の方や用具入れまで無いのを確認してやっと、自分が尻丸出しで外に出てしまっていることに気づき、いったん個室に戻った。
本当に汚い話題で書くのも憚られるが、自分はきつめに痔を患っているので、用を足したら絶対に肛門を触らないといけない。
紙で相当きれいにしたあとですらめちゃくちゃ手を洗うのに、今触ったら不浄すぎる。俺右利きなのに。
けど、痔を放置して爆発なんてしたら(医師の診断を受けていない以上、爆発の可能性だってあると思っている)最悪の場合旅行が中断してしまうと思うので、意を決して一通りの処理を終え、めちゃくちゃ冷たい水の出る水道でこれでもかと洗った。

しかしまあ、石鹸で洗わない事には気が休まらないので、至急紙がもらえて手を洗える場所に行かねば、となった結果、
さっき見た市役所に行くしかないと結論付けた。
3連休の中日に市役所の、それも支部がやってるものか?と思ったけど、ものは試しだし、ものは試しとかじゃなく早くお尻を拭きたい。
駅から国道沿いに歩くと5分もかからず着いたが、自動ドアの前に立っても反応しない。帰ろうかなーと思ったその時、奥に蛍光灯が光っているのと、そこに誰かいるっぽいのが見えた。開いてないけど人はいる状態がどういうことなのかわからなくてしばらくうろついていたが、再度ノックしたりのぞき込んだりしていたら、中から職員さんが出てきてくれた。
自転車(とトイレ)を借りられれば、という用件を伝えると、ちょっとお待たせしますけどいいですか、休日は入口があっちなんです、
とすごく丁寧な口調で説明してくれた。
駐車場の奥の通用口に回ると、今日どちらから来られたんですか、へえ~東京から、じゃあ長鉄(ながてつ、と呼んでいた)乗って来られたんですね、なんて会話をしつつ、しばらくお待ちください、と食堂に通された。
その食堂では全部の椅子が上下反対になって、座面を机に乗せて上げられていた。そのうち一つをおろして「どうぞおかけになって」と言われてしまい、丁寧なもてなしに対して「今お尻がちょっと…」とは言い出せず自分の通用口をきつくしめて座って待っていた。

どうやら先に応対中だったのはどなたかお亡くなりになったようで、色々と付随する手続きの案内をしているようだった。さすがに聞き耳立てる気にはなれなかったが、人の生活の巡りを間近で見られた気がして、不謹慎ながら貴重なものを目撃したな、と思っていた。
待つついでにもらった申込用紙に必要な情報を書き込んで、改めて部屋を見渡すと、どう考えても利用者の入る部屋ではないというか、職員さんのための部屋に通されたな…と気づいた。
キッチンには来客用湯呑、というラベルの棚があったり、コーヒーメーカーに「粉がありません」と付箋が貼ってあったり、何かと関係者側すぎる空間だった。
そんな場所に、お尻を拭かずに…。
職員さんが戻ってきたときに俺の姿が見えなかったら怪しすぎるよな、と思い、洗面台で石鹸で手を洗うのはできたけどお尻は拭けないままその部屋にいた。

ほどなくしてキーボックスをもってきてくれて、「どれだったかな~…」と言いながら、「多分これが一番ちゃんとメンテナンスしていたやつです、念のためこっちも」と、1号車のカギと2号車のカギをどちらも貸してくれた。
お役所仕事というと、何かと規則は守れるだけ守るもの、というイメージだったので、いくらどのチャリもパンクしてそうとはいえこんな寛大な対応を取ってもらえるとは思わなかった。
いい人だな~…とめちゃくちゃ思ったので
「これで出かけてきます、行ってきま~す」とお尻が汚い中で最大限出せる愛嬌で挨拶して建物を出た。
まだ何か手続きのつづきがあるみたいだったし、異邦人にトイレ案内させる手間をかけさせてしまうのもな、と思い、小走りで駅まで戻って、さっきキッチンで拝借したキッチンペーパーをちょっと濡らしてお尻をきれいにした。

やっとノーマルの状態に戻れたので、チャリのカギを外して乗ってみたが、ものの見事に2台とも空気がユルユルで、それでいて3-6号車はもっとダメそうなコンディションだった。一瞬、
もう鍵だけ持って歩いていくか…?
とも思ったけど、昨日も明日もやたら歩く予定があるってのに、レンタサイクルという願ってもない棚ぼたに巡り会えたんだから、ここはいけるとこまで!と思い至った。
さっきの市役所をググって電話をかけ、空気入れさせてくれますか?と電話口のさっきの方に頼んだところ、用意もあるようで快諾してもらえた。
どちらかというと具合の良さめな2号車を手で押しながらさっきの道を戻り、さっきの職員さんに空気を入れてもらった。
なんか至れり尽くせりですごく申し訳ないな…と思ったが手際よくやってくれるのでお任せしてしまった。

「どちら行かれるんですか?」と聞かれたので、円空さんの史跡回りつつ粥川谷目指そうかと思ってまして、と答えると
「昨日雪降ったんで、大体は大丈夫だと思うんですが、日陰になっているような道はどうぞお気をつけて」と忠告をいただいた。
確かに地図で見ると山間に入っていく道のようだったし、路面凍結していたら都度下りないとだ、と思いつつ、重々お礼を言ってスムーズに動くようになったそのチャリに乗り、長良川に跨る橋の方に向かった。

序盤も序盤の道中、めちゃくちゃいい匂いがしたので、何かは分からなかったけど戻ってきたらここでご飯食べようと決め、どんどん進んだ。
昨日の白川郷と同じくらいしっかりと晴れてくれていたので、長良川沿いの景色がずっと綺麗で、自転車飛ばすのにはぴったりの気持ちよさだった。

やがて粥川谷の方に向かう県道への分岐があり、円空仏をちょくちょく横目に見つつそっちへ進んでいった。
ちょっとして気づいたが、この道、長良川の支流沿いの道を、川を遡上する形で進むのでずっと緩やかな坂道が地味にキツい。
以前琴電の八栗で借りたみたいな電動アシスト付き自転車ではない上に、美並苅安にコインロッカーなんてあるはずもなく重たいリュックをそのままかついで来ている。
一応3段変速ではあったのでうまく駆使しつつ走っていたけど、それでも段々と息が上がってきて、川釣りに来た人たちがのどかな時間を過ごす中自分だけはハァハァいいつつチャリを漕いでいた。

途中湧き水でのどを潤し、少し休みがてら写真を撮ってはまた進んで、としていると、大きめの円空仏が3体並んだ丁字路に差し掛かった。
粥川谷へはそのまま直進すれば着くのだが、左に曲がる方面へ「円空岩 1.7km」という小さな矢印型の看板が立っていた。
「そうか円空岩もあるのか…」と思った。

円空岩は、風雨来記で訪れられるスポットの1つ。
今回、旅程を組むのにはまず、各ヒロインと巡った場所をリストアップし、そこをどれだけ効率よく回れるかで決めている。
なので、風雨来記内で訪れられるスポットが近くにあっても、基本的には気づかないし、よしんば見かけても時間的制約もあるから行くことにはならないはずだった。

けど、今俺はチャリに乗っている。お尻拭くために多少時間をロスしたとはいえ、多めに時間もとっている。
片道の1.7kmくらいどうってことないな、と思い、ハンドル切って左の道へ漕ぎ出した。

左の道もやはり緩く坂道が続いてきつい中漕いでいると、大きめの民家があって少女が自転車に乗って出てきた。
お母さんが見送っているところを見ると、どこか遊びに行く感じなのかな、と思っていると、その子がこっちを気にしながら深々とお辞儀をしていったので、こちらも会釈を返して進んでいった。
自分にとってはチャリでもない限り訪れもしなかっただろう山間部のこの場所にも、ここで生活を営んでいて、それも歳を重ねた人の終の棲家ではなく、今から青春を送ったりする、そういう人がいるんだよなあ…!と雄大な気持ちになった。

民家を過ぎるといよいよこの辺の人も用事のない場所なのか、雪が積もっていても轍のない、ただ積もっただけの雪が道に増えてきた。
車に踏み固められていると、変に凍ってしまってスリップする危険性があるのでチャリを降りる。降りればただ進むだけなのそこまで困らないが、ただ積もった雪はシンプルにチャリが進まない。
勢い良く突っ込んでもモソモソ…といって止まってしまうから、その度にチャリを降りて押していた。それも進みづらいので、かなり体力を持っていかれる。
途中雪の中にファミマカフェの紙コップが捨てられていて、ここでポイ捨てできる人分けわからんすぎる、と思った。
さらに進むと、雪のない場所でも湿った木の枝葉が散らばった道になってきて、それでいて上り坂なのもあり、もうこの辺からは降りて進むしかないようだった。
大体「円空岩 1.3㎞」と書かれた看板を通り過ぎたあたりで降りたので、残りは徒歩という事になった。

気づけば道は両脇を木々に囲まれ、振り返っても道が曲がりくねっているだけ、上を見上げても晴れ空は枝葉の隙間からしか見えないくらいで、だいぶ山の中に入ってきたことがわかった。
しばらくすると「円空岩 1.1km」という看板が出てきて、「なんだ案外徒歩でもまあまあのペースで進めているじゃん」と思った矢先、隣にもう一つ看板を見つけた。
「危険!」と書かれたその下に、黄色地に黒で、熊の姿。見づらい色合いで「熊出没注意!」とも書かれていた。

この時初めて、こっちに進んできたことを後悔した。
今は冬だから冬眠中だろうけど、そう思っているのが素人考えなのはわかるし、ウィキペディアで三毛別の事件とかも読んだことがあったし、あれも冬だったはずだし、人通りのない場所になってからさらに進んできちゃってるし…
風雨来記内でも、どこかへ向かうなら装備をちゃんとして…という描写は過剰なくらいにあったし、入っちゃいけない場所に来ているわけではないけど、十分な準備をせず無謀な行程を組むのはよくないよな…とか結構クヨクヨしたが、結局好奇心には勝てず、再びチャリを押し始めた。
スマホで熊と遭遇した時の対処法を調べつつチャリを押していたが、見たサイトがめちゃくちゃ丁寧でよくなかった。
丁寧なのはいいんだけど、クマとの距離別にとるべき行動を教えてくれていて、読み進めると「熊から攻撃を受けている場合→頭や腹などの急所を守って屈む」と書いてあった。
そうなったらもうお終いだろ…。と思い余計に心細くなった。

それでもチャリを押し進めていたが、この辺で太ももにかなり乳酸がたまってきたのを感じた。
昨日も結構歩いたからだろうけど、思ってたより早めに足がヘバり始めて困った。ただ道を進むだけでもやたら息が上がる。荷物もチャリもなければもっとすいすい進める道がいちいち精一杯の動きになる。10歩ほど進んでは深呼吸して、という水中みたいな進み方になってきた。
SASUKEで急に反り立つ壁が登れなくなる人はこんな感じなんだろうなと思いつつ、別に反り立ってはいないので休み休み進んだ。

「円空岩 700m」の看板が見えたので、時間を確認してみるとさっきの看板から5,6分かかってるようだった。明らかに普通の徒歩より遅れていて、この時心細さに加えて「このあと更に時間がかかって、列車に間に合わなくなったりするのでは?」という不安も重なってきた。
念のため次の列車確認しようとスマホを出したら、圏外だった。
山奥で圏外である、この心細さといったらない。本当に今まで生きてきて感じたことのない恐怖だった。
小さいころとんかつ屋のトイレに行ったらなぜか出られなくなり、しかもトイレが離れの建物なので声が届かず、窓から脱出しようにも窓はティッシュ箱くらいの大きさだったので、詰んだと思って扉蹴りまくった時の記憶がフラッシュバックした。
もう進む理由は「ここまで来ちゃったから」しかなくなり、やけで進んだ。

ある意味不安は的中して、道はどんどん急に、かつ曲がりくねっていて、雪が積もっていることも増えてどんどん足がキツくなってきた。
時たま頭上の方で「キェーーー!!」と鳴くタイプの鳥がけたたましく叫ぶので「これが山のヌシ(熊)を呼ぶ合図だったら殺される…!」と思いながら進んでいた。
遠くに大きめの岩が目立つ場所にあって、「あれか!?着いたか!!?」と思ったけど、どう考えてもいわゆる石碑の大きさで、風雨来記で見た円空岩のような大きさではなかった。

かなり進んで、さっきの鳥の鳴き声が水平な位置から聞こえてくるようになったところで、流石にもう着くか、もういよいよ着くか、と思いっていたら、道が二手に分かれていた。
絶望的だった。早く着いてくれ…!とだけ願っていたのに、50%で一生着かない状況になってしまった。
片方へは「川干浄水場へ」と書いてあるので、おそらくこっちではないんだろうけど、間違えたくなさすぎる。
スマホを見ても電波が来ていないから、ざっくりした現在位置しかわからない。
何か手がかりになる地図はないかと思い、カメラロールを遡って県道の入口に立っていた名所案内の看板を見てみたが、肝心の部分が手前の円空仏に隠れていて見えなかった。
途方に暮れてしまい、ここで帰るか本気で悩んで、少しだけ戻ってやっぱり引き返してきたり、挙動不審に動きまわっていた。

幾何学的に整頓された雪の段々が浄水場への道の方には見えていて、恐らくあれがその浄水場だろうことは分かった。
こういう時の人間の心理だろうけど、とりあえず確実に見えているものの方に近づきたいもので、とりあえずそっちの道に行くことにした。もしかしたら電波が通るかもしれないのもあった。
こっちに行きたくなかった理由は、間違った道っぽいのと、超急な下り坂なので、戻ってくることを考えるとキツすぎるというのもある。
で、その下り坂をコケる手前の勢いでおり切ったら、さっき見た岩がこの浄水場の竣工記念碑だという事が分かった。
やっぱり違うかー…という落胆はあったけど、代わりにやはり電波がつながった。
おっそい通信で訪れた人のブログを読んでいると、やはりさっきのもう一本の道で間違いなさそうだというのがふんわり分かったので、限界の足を何とか使って元の場所に戻った。
急に喉が死ぬほど乾いて、昨日買った白川茶を500ml一気に飲み干した。

もう雪しか水分も残っていない中、進み始めると一瞬で「円空岩 120m」の看板が出てきた。
完全に、ネットでよく見る、ダイヤモンドの直前で土掘るのあきらめて帰ってるあの人だったな~~~と思った。
あれ横から見てるのずるいよ、帰ってる人目線、ずっと土掘って土が出てきてるわけだからな、帰りたいよそりゃ。

そんなわけでもうすぐそこのとこまで来ているのが分かったので、にわかに足も元気になった気がして、そこからはすぐに着いた。
さっきの看板のところには「この先行き止まり」と書いてあったけど、その通りで道はそこで途切れ、円空岩のある場所に降りていく段があるだけだった。
めちゃくちゃ不安な中ずっと進んできた道が、目的地に着いて、しかもその道がちゃんとそこで途切れているのはものすごい達成感だった。
味わい切ったというか知り尽くしたというか、そういう満足感があった。

いざ円空岩の前に立つと、まず素直にその巨岩の大きさに圧倒された。
地中に埋まっているとかではなく、下半分の輪郭も見える形で岩があると、それだけですごい迫力だった。
確かにその下には雨だけはしのげそうなスペースがあって、木彫りの仏像が2体おかれていた。
中途半端な感覚で2体おかれているその距離感、雰囲気がなんとも絶妙で、余計に神秘的でもあった。
賽銭箱代わりのプラスチックケース(おばあちゃんが梅とか漬けるやつ)に100ウン円入れて、しばらく岩の下からの景色を眺めていた。
そばには川が流れていて、看板に書かれていた、ここに仏像を流していた円空に思いを馳せた。
スマホもないのに、道も整備されておらず、熊と出会ったときに盾にできるチャリもないのに、ここでひたすら仏像を彫り続けた事を思うと、これを修行と呼ばずして何であるか、と痛感した。

時間を気にせずそこでしみじみ雰囲気を味わっていたが、本来の目的地は粥川谷なので、そろそろ出るかな、と思ってもうひとしきり写真を撮った後、チャリにまたがった。

そう、チャリにまたがったのである。理由は一つ。下り坂だから。
ここまで心細く足はパンパンな中歩いてこれたのは、目的地への好奇心と「帰りは楽だ」というお楽しみがあったからに他ならない。
ずっと足を取られ苦心してきた枝葉や雪は、下り坂ならなんてことなさすぎる。
円空岩を一瞥した後、ブレーキを緩く握りながら地面を蹴る。
徐々にスピードが上がり、普通に危ないので都度ブレーキをかけつつも、軽快にさっき苦労して通った道を通り過ぎていく。
優れた眺望はこれまでも見ていたしこれからも目にするわけだが、そういうものとは別種の、格別の気持ちよさがあった。
さっきまでは薄暗く灰色に感じていた森の中だけど、今は澄んだ水色というか、ものすごく爽快な空気の中を飛ばしている感覚だった。

結局、熊注意の看板まで一度も止まらず、一度もペダルを漕がずに戻ってきた。
進んでよかったな…と思いつつ、また進んでいるとさっき見たファミマカフェのゴミを見つけた。
颯爽と通過した後に思ったけど、ふと、これ自分がゴミを見て見ぬ振りしたことになるよな…と思い至った。
ここから長い時間かけて道を行ったわけだけど、看板と仏像と浄水場以外は人造物らしいものは一つも見ず、道はアスファルトだけど枝葉と雪で覆われていて、自然そのままの姿だった。
それを思うと、ここに紙コップが落ちている事が異質すぎて我慢できず、拾ってチャリの後ろの、2ケツする時に座る部分にねじ込んだ。
それもそれでどうなんだという話だが、行きに見かけたときは本当に1ミリも拾おうという気持ちにはならなかったので、
急にこんな気持ちになったのは、100%円空岩の迫力や神秘性に感化されたからだと思う。
旅行が俺の判断に変調をきたしていることがどこか嬉しく、いい気分で再びチャリを漕ぎ出した。

風雨来記では、千尋は大型のモンスターバイクにタンデムで美少女を乗せてここを走っていたのに、
方や俺はさっきまでパンクしていたレンタサイクルに、ゴミとの2ケツで走っているな、
と気づいた。

この文を読んでくれている人に伝わる事なのか全然わからないけど、今回の旅行で一番楽しかったのはこの瞬間だった。
風雨来記にあてられて来たこの旅で、風雨来記みたいな人生がいいです…と神前で手を合わせて願っているこの旅で、
なんという滑稽な対比。
それでいて、対比にはなる、同じ場所にいる事実。
それが無性に楽しく思えた。自分らしい、と思えていたのかもしれない。
そういう事を日常やお笑いまわりの事をしていてほとんど感じることが無いから、満ち足りた気分だったんだろう。

ともあれ、快調なスピードでチャリはさっきの民家も通り過ぎ、すぐに円空仏の並ぶ交差点まで戻ってきた。
あとで調べて分かったことだけど、40分以上かけて登って、10分もかけずに戻ってきたみたいだった。

悲しいかな、元の道に戻ってきたという事は、元の緩い上り坂の途中に戻ってきたという事なので、またじわじわとしんどいチャリ漕ぎが始まり、
15分くらい漕ぎ進めたところで、やっとバンガローやウナギ禁漁の看板が立て続けに見え始め、ほどなくして到着した。

風雨来記で見た通り、入り口よりも手前に、突然普通の道の両脇に燈籠が立ち並ぶ風景になり、その異様さが目を引く。
同時に、やはり神域に入ることの厳かな気持ちというか、千と千尋の神隠しの序盤みたいに、ここから先は別世界だという雰囲気が漂ってくる。

とはいえ、その奥に鳥居は鳥居であるし、円空ふるさと館とか、こちらの世界っぽいものもあって、その緩急がここにしかない雰囲気だった。
「お休み処」と書かれたログハウスみたいなのもあって、まん防下でなければここで何か食べられたのかもしれないけど、やっていなかった。
お腹も空いていたので開いてたらここで何か…と思っていたが、仕方ないので奥へ。
うなぎ禁漁へのご協力を…みたいな御触書を見た後、奥の星宮神社の方へ。
鳥居のあるあたりは開けていて明るかったのに、一気に森の木々に包まれて神聖な雰囲気になる。
お参りした後少し進むと、奥から夫婦連れが歩いてきた。円空岩と違って、こちらはこの時期でも目当てに来る人は一定数いるようだ。

朱塗りの橋を抜けると、今度は小さいお社の神明神社が見えてくる。
お参りしようとして気づいたが、よく耳を澄ますと滝の音が聞こえてくる。
そっちの方を向いてみると、川が流れている方に滝特有の、白いラインの上の方が少しだけ見えた。
その瞬間、そこがものすごく綺麗な場所だというのが、なんというか直感で分かった。ここがお目当ての、矢納ヶ淵であるのは自明だった。
ネタバレになってしまう気がして、回れ右して先にお参りを済ませ、改めて滝の方へ近づいた。
「矢納ヶ淵」と刻まれた石碑と鳥居のある場所に立つと、滝の水音がよりはっきりと聞こえて、そのすぐ隣に巨木が生えているのもあり、ものすごく澄み渡った心持ちになった。
なんとなく動画を回してあたりの様子を収めたあと、意を決して石段を下りて行った。

翡翠色、とでも言えばいいのだろうか、色鮮やかで綺麗に澄んだ水を湛えた深い淵がそこにはあった。
上述したように晴れているにも関わらず、木々に囲まれうっすらと光が差す程度の光なのに、水が自ら発光しているんじゃないかというくらい、澄んで輝いている。
右手の滝や目の前の岩壁から水が絶えず流れてきていて、観瀑台からはその様子がよく見える。
なのに水面はずっと前からそこにあり続けているみたいに不変に見えて、留まっているようにも流れゆくようにも見えるその水の様が幻想的だった。
あまりこれ以上語れる言葉がないのだけど、石段で下がったとこにあるから、観瀑台の柵以外人工的なものが鳥居しか見えなくて、それも滝の音に包まれてどこを見渡しても自然の神秘に内包されている感じがするというか、5分歩けばさっきの開けた場所に出るとは思えない、秘境感があった。
加えてここは垂と訪れる場所でもあるから、ここに垂がいてここから同じ景色を見ていたんだよな…という感慨もあった。
同じ柵に手をついて、同じ目線にかがんでみたりして、垂の見た景色…と思ったりもしていた。
けどやはりここのすごいのは、あまりに綺麗すぎて、どうしても「そりゃ固有の立ち絵を用意するくらい重要な場所に選ぶよな…」「そりゃあのシーンのような気持になるよな…」という気持ちが先に来る。初めに風雨来記ありきか、初めにこの場所の神秘性ありきか、というのが風雨来記きっかけでの訪問にはあるんだな…

満足のいくまで堪能しきって、頭からつま先まで矢納ヶ淵の成分が浸透しきったな…と思い、石段を登ってちまちま振り向きながらその場を後にした。
帰りもまた別の夫婦とすれ違い、この二人も今からあの神聖さにあてられるんだな…と思った。そういえば行きにすれ違った夫婦も言葉少なだった気がする。

鳥居のとこまで戻ると時刻はなんだかんだで13時を回っていて、美並苅安から乗る列車まで40分ほどだった。
円空仏もふるさと館でもっと見たかったが、チャリを返す手間や昼ご飯の調達を考えるとここは戻るしか…と思い、後ろ髪を引かれつつチャリにまたがり粥川谷を発った。
燈籠の道を抜けて振り向いてみると、鳥居はこの奥にあの矢納ヶ淵があるとは思えない昼下がりのまったりした雰囲気をたたえていて、本当に異世界から帰ってきたような気持ちだった。

日の高くなって川にも日が差し込み、再び爽快の極み・下り坂チャリが楽しくて、あまりにも気分がいいので、アップルミュージックで風雨来記のサントラをかけてポケットから音楽を流しながら戻った。

長良川にぶつかったあたりで写真を撮ったりしつつ、元の美並の町まで戻ってきた。
やはり行きと同じ場所で良いにおいがするので、まん防で休業中のオシャレカフェの前にチャリを停めて向かってみると、野菜の直売所兼普通のお菓子もある駄菓子屋、に併設されたたい焼き屋だった。
バレンタイン限定チョコ味とか、カスタードとか壁にはいろいろ味が書いてあったけどその時はあんこしかないようでそれ1尾買ってチャリの前で食べた。においで楽しみにしていた分と、腹が減りくるっていたのもあり、やたらおいしく感じた。
店の奥のこたつではそのお店の子がゲームしていた。

チャリを駅前の駐輪場に戻し、バネの死んでいるカラビナでチェーンもかけ終わり、またきっと俺の乗った2号車も空気が抜けていくんだろうな…と思いながら市役所に鍵を返しに行った。

やはりさっきの人が出迎えてくれて、ご丁寧にありがとうございました、と深くお礼を言って市役所を後にした。
心細かったり神秘的だったり、3時間程度ながら自分の中で思う事ありすぎる、濃密で壮大な旅行だったので、その職員さんと分かれるのすら名残惜しい気がして、振り返ったら職員さんは全然もう建物の中に入った後だった。

久々な気すらする中、長良川鉄道の車両に乗ると、結構地元の人も乗り込んでいた。
どんなに濃密で壮大で、命がけな経験をしてきていても、昼に走る列車の車内がけだるくない事はない。
冬の低い日差しに照らされつつ、少しずつ自分の体のこわばりが溶けていくような気がした。

このまま寝てしまいたいくらいまどろんできた頃に、列車は関に着いた。
なんかさっき通ったときと駅の雰囲気が違うな、と思いながら鉄道模型を走らせるジオラマが駅舎にあったので、それを横目に見ながら駅を出た。

ここからバスに乗る予定だったので道をGooglemapで調べたら、なぜかバス停までの徒歩の所要時間が、調べたものと現在地からとがだいぶ違っていた。
というか間に合わないタイミングになっていた。
いまいち何が起きたのかよくわからず、駅の方を振り返って気づいたが、関駅には2つ出口があるようで、目的の方面と反対側から出たらしい。
往路との印象が違うのも、逆側見ていたからだった。
2面2線のホームで、要は反対方面の列車を待つ人とは相対して待つ格好になる駅のつくりなのだが、この構造の駅で、改札は両側にあるのに跨線橋がないとは思わなかった。
構内踏切があるタイプの駅って出口が一つしかないものだと勝手に思い込んでいたな…

ともかく、バスを逃した分リカバリーしなきゃいけないが、代わりになるものが他に思い浮かばなかったので、タクシーの配車を頼んだ。
そこそこの市街地で助かった…。
配車の電話をかけてその場で待つのはつまらないので、駅前の通りを少し歩いて、コンビニでクロワッサンだけ買ってそれを駐車場で食べていたらタクシーが来た。

十五社神社まで、と告げるも運転手さんは知らなかったようで、住所を伝えて車を出してもらった。
どこを通っても比較的車通りのある中、雪のない美濃に来てもう、すっかり雪のないことに馴染んでしまったな…なんてことを思ったりしていた。

思っていたより道が混んでいて、これ滞在時間10分も取れなくないか?と思ったあたりで、路地をいくつか入ったとこにある入り口に着き、タクシーを見送った。
運転手さんは「この辺はたまに来るんですけどさすがに神社の名前までは知らなくてね」と言っていた。

思っていたより住宅地の中に突然現れる神社、という感じで、数台程度の駐車場はあるけれど全体的に境内がそんなに広くないのは鳥居からでも大体わかった。
駐車場には当然というか、車は無くて、代わりに若者2人がおしゃべりしていた。
2人とも神社には似つかないストリートなファッションだったけど、だとしてこの2人が長話をするならここ、ってことだもんな…と思いながら、奥へと進んだ。

確かにバスを逃したことで滞在時間は7分くらいに減っていたけど、元々も20分程度だったし、この広さなら本当に7分でちょうどくらいだ、という境内だった。
両脇に燈篭の並んだ参道と奥のお社、と一通りはあるけれど、それらが全部で50mくらい?で、一応木々に覆われているので神聖な感じもあった。
どちらも立派だし手入れもされている感じがあり、良かったのだが、
かといってもっと滞在したいかといわれるとそうでもなく、滞在時間がどうにもしっくり来てしまって少し悲しかった。
なんとか、ここに日陽がね…と思いながらお参りすることでやはり感慨深さが倍増して、帰りに少し立ち止まり振り返って神社を眺めたりはしたけど、まあ早々に立ち去った。

これ、日記を書いている今気づいたことだけど、風雨来記で訪れる十五社神社とは別の十五社神社だった。どうりでピンとこないわけだよ!!
大体20kmほど離れたところに風雨来記で訪れる方のがあって、絶妙に関駅からのアクセスが、違うんだけど違すぎないくらいで間違えていた。
隣町に同じ名前の神社、無いでくれ!!と思ったけど、稲荷神社とか頭に地名のつかないものって結構あるし、逆に識別のための名前を業務的に付けられることもなく現存している、ってのもすごいことなのかもしれない。
しかしまあ何たるミスを…
行きたい場所リストアップした日と旅程を組んだ日が別だから、そこですり替わりが起きていたんだな…なんか急に行きやすくなったな?とは一瞬思ってたんだよな~~~~~

とはいえ、別にここも岐阜だし、神社だし、それ以上どうこうも思わないな意外と。
どうせ全部は行ききれていないし、また行くし、っていう割り切り方ができるからか…
日陽との思い出の地を間違えていた恥ずかしさ悲しさはあるけれど、その分千尋も知らない場所を俺は知れたわけだし。

さて、旅記に戻って十五社神社前バス停。
(こんなバス停があるから間違えるんだよ)
幹線らしく広い道幅で、西日がダイレクトに差し込んでいた。
朝から動いていたつもりだったのにもう日が傾いてきている。
一応スケジュール通りに動けているから、暗くならないうちに小山観音には着けそうだけれど、やはり低くなってきた太陽を感じると焦るものがあった。

とはいえ長鉄のダイヤはそんなに本数も多くないため、降りるバス停にはいくつか選択肢があった。
普通に関駅で降りてもよかったのだけど、Googlemapで周囲を見ていたら商店街の「この時間帯混雑」と書かれているのを見つけて、2,3こ先の本町5丁目で下車した。

よもやと思ったがやはり人気は無く、静かな夕方の時間が流れていた。一応営業していそうな店は何軒かあったが、人の往来が無いのに店にだけ活気があるはずもなく、寂しい印象だった。
Googlemapの「混雑」表示のシステムはGPSを感知して云々というものらしいから、どこかにいつもより人がいるんだろうけど、寄り合いとかかもしれないな、と思いつつ、さっき利用した関駅の一つ先、刃物会館前駅まで歩いて長鉄に乗った。
刃物会館前駅は一面一線の簡素なホームだったけど、先に来た対向方面の列車に一人乗っていく人がいて、さっきの商店街といい、人が居はするんだよな、と思った。
そういえば関駅の小さいほうの出口に出た時も一組だけ親子連れがいたし、こう、誰もいないではなく、緩やかに緩やかに、終わりに向かっている黄昏時なんだというのが妙に痛切に感じられた。

数時間ぶりに美濃太田に戻ってきて、泊まった方と反対の出口で再びタクシーを拾った。
小山観音へはどうにもアクセスがよくないのでこうして向かう。
今回は行き先を告げると「はーいかしこまりました~」と住所を伝えることもなく車を出してもらえた。
こっちはそこそこの知名度があるんだろう。

そんなとこまで入っていいのか?という細い坂道を下って橋の入口までつけてもらい、タクシーを見送った。
橋、というように、この小山観音は飛騨川の中州にある。
中州に島があってその島に観音様のいるお堂があり、そこまで橋が架かっている。
それだけでかなり他で見られない光景だけど、島はそう大きくなく、何もしなければ1分で回り切れるくらいの広さなので、普通の境内よりだいぶ狭い。
ビルの谷間にあるからではなく、川の中州にあるからこその狭さというのも中々に異質で、目的地の中でもかなり個性派。

それでいて、ここはヒヨ姉と訪れる場所でもあり、二重においしい場所だ。橋を渡りながら、「うーんここだよここ」と悦に入りつつ、中年くらいの夫婦が先に参拝していたので、橋の中腹から写真を撮って、あえて島に着くのを遅らせたりしていた。
少し黄味がかってはいたけど、まだ青空と呼べる具合の日の暮れ方だったので、タイミングよければ夕焼けと青空と、2つの背景のお堂が見られそうだな、と思っていた。
30分くらいは滞在できる予定だったので、前の二人が映りこまないようにする配慮とか、しなくてよくなってから隅々見て回ろうと思いのんびり歩いていた。

島に着くとまず鐘橦堂があって、誰でも鐘をついていいことになっている。
さっきの夫婦が撞いた残響の止んだばかりだが、いざ大きな鐘を目の前にするとはやくやりたくなる。
丁寧に備え付けられたアルコールをふいてから、鐘を撞く。
島中に、川中に響く音を、合掌しながら聴いた。
神仏習合の中でできた観音だとはきいていたが、自分はこの合掌という行為の奥ゆかしい感じが高校生くらいのころから無性に好きで、
加えて、風雨来記の中でもお坊さんが言っていたように、まずだいじなのは信心、もとい真摯に願う心で形はなんでもいい(一般の参詣客だからだろうけど)そうだから、どこでもひとまず手を合わせることにしている。

残響までしみじみと聴き終えた後、鐘橦堂の横に見慣れない(風雨来記内に出てくる場所、特に日陽と訪れる場所はかなりの回数来ているため、見慣れたという表現ができる)看板が立っているので読んでみると、
この鐘橦堂は江戸の頃より300年来ここに立ち続けてきた歴史のあるものだが、台風の折に少し傾いてしまい、付近に完全に倒れてしまったお堂もある事から、改修しようと思う
という内容のものだった。
元より廃線が決まれば訪れ、廃車が決まれば乗りに行くお手本通りの葬式鉄な自分なので、無くなる前に見られて良かった~と思った。特に風雨来記で見たものでもあるし。
余計にこの鐘と鐘橦堂にありがたみがあるような気がして、多めに写真を撮った。
そのあとは、摩尼車を回して、本堂?でお参りをして、小さいながら空海を祀った休憩所のついた四阿のような場所で、座っていた。

というのも屋根の部分に、説明不能なんだけど、詩や絵、好きなキャラクターや将来の夢など、何書いてもいい、箱?のようなものが飾ってあり、老若男女がこの観音に納められる事を知っていて思い思いのものを描いたんだというのが感じられる場所があった。
架空のキャラでも慈愛にあふれた句でも好きなサッカー選手でも野草の絵でも、本当になんでもいいからと筆を持たせた集まりって感じがして、人間味のある空間だった。
神社やお寺の神秘性、人間の立ち入れない雰囲気が素敵な場所がここまで多かったが、ここは逆に、それを信仰でもってつくりあげた人間側を感じられて、これはこれでその奥深さが果てしなく感じられて良かった。

その場から、少しずつ暮れてきた川の向こうの空を背景に鐘の写真を撮ったりしていると、足音が聞こえてきた。
誰かまた参詣者が来たようで、入口のベンチに放置したリュックが少しだけ心配になったが、それ以上どうという事もなく川を眺めていた。

姿の見えた参詣の人は自分よりは年上かなといった女性だったのだが、どこかラフというか、ここを目当てに来たような雰囲気じゃないなと思ったら、そのままお堂に入っていった。
どうやらここの関係者の方だったらしい。
どうしても神社やお寺の人というと法衣のようなかしこまった服装のイメージだったので少し意外だったが、お寺側の日常が見られたな、と思うと少し得した気分だった。

一時期、天龍寺で説法を聞く体験をして以来、出家に興味(したいというよりは純粋な興味)があり、お寺側の日常や実務的な側面には好奇心をくすぐられるものがあった。ちょろっとだけやったインターンで神社同士の、氏子の取り合いの調停みたいな話を聞かされたのも興味の発信元ではあるかも。
と同時に、お寺の方が来たってことはそろそろ閉めるのかもしれないし、列車の時刻に余裕を持つに越したことはないからそろそろ出るか?なんて思いつつ鐘越しの川を眺めていた。

その時、「この鐘、傾いちゃってるんですよ」と声がした。
さっきのお寺の方だ。
「見ました立て看板。台風でなんですよね」と返して、そのままこの鐘のあらましなどを聞かせてもらった。
お寺の方と、それも用意された「説法を聞きましょう」というイベントではなく、日常の文脈の中で話せる機会なんてそうそうないと思うので、俄然ワクワクした。
すると、「もしお時間よろしければ、お堂の中見てみますか?せっかくなんで」とお堂の横の入口を開けてくれた。
願ってもなさすぎるというか、こうなったらいいな、をあまりにドンピシャに突く打診をしてくれるもんだから、なんかそういう、物欲しげなのが顔に出てるか?と恥ずかしい気もしつつ、ぜひお願いしますと中に入れてもらった。

巫女さんのバイトでもしない限り見られないような、お守り売ってる場所のこっち側、を見られる特別感はすごかった。
意外とお堂の内側も生活感はあるというか、自分という一切神聖でない存在が踏み入ってるからこそそう感じるんだろうけど、遠巻きに見るのと実際踏みしめるのとでは畳の感じも違った。

お寺の方曰く「ここにまつわる文献ってほとんど残っていなくて、口伝での資料しか残っていないんです。人々の信仰のおかげで、昔の姿がわかるってことですね~」と言いながら、写真を指差した。
鴨居には白黒のものカラーのものまでいろんな時代の写真が立てかけてあって、そのうちの一つを指しながら
「参拝者の多かった昔は、ここまで川底を歩いてきてたんですよ」と言う。
見てみると白黒の写真に写る小山観音には橋が架かっておらず、船やら徒歩やらで押しかける人の姿があった。
参拝が多くの人にとって習慣づいていた事も驚きだったけど、この姿の変わりようとその歴史にもやはり圧倒されるものがあった。
この飛騨川がダムができた事によって水位があがりこうなったのは知っていたけど、橋が無いだけで桂林のように島が聳え立ってる印象になり、今の小山観音とは風格が異なっていた。
参詣橋の架かった今の方が、橋のおかげで人の来るのを歓迎している雰囲気というか、物腰の柔らかい印象になるなーと思っていた。

「今日は風も穏やかだし晴れているから、橋の少し岸に戻ったあたりから橋の下を覗いてみてください、当時上っていた階段が見えるんですよ」と教えてもらった。
橋の下かーー!と思った。RPGとかクリアした後に、やりこみ要素のアイテムを求めてマップをくまなく探すあの感じがした。橋の下に何かがあるとは思わないもんなー。
風雨来記をプレイするだけでは知りえなかった事まで知れてしまい、「俺の旅行が俺独自のものになっていっちまうよ…!!」という嬉しい感覚がめちゃくちゃ湧いた。歴史が口伝で伝わっているなんて事も、きっとお寺の方じゃなければ知りえないだろうし。
他にも大開帳の時のものや、隣の小山寺のものなど、他の写真についてもいろいろと説明を聞かせてもらっていたら、夕方五時の放送が聞こえてきた。

するとお寺の方は「すみませんお経をあげなきゃいけないので、お時間大丈夫でしたらゆっくりご覧になっていかれてください」と、鐘のとこまで行って鐘を撞きつつお経をあげ始めた。
毎日のおつとめなんだろう。ありがたく聴きながら、他の写真もしげしげと眺めていた。
しばらくしておつとめが終わったのか戻ってきて、「お時間大丈夫ですか?でしたら明るいうちに橋の下ご覧になってみてください、眼鏡お気をつけて」との事で、橋まで移動して見てみた。

途中、ずっとここまで俺のために寺のあらましを教えてもらっているけど、こちらから何も聞かずとも教えてもらっている状況が申し訳なくなってきたというか、勇気を出して聞いてみる、みたいな対価も支払わず興味深すぎる歴史の数々を聞かせてもらっているな…という気持ちが強くなってきた。
そこで、そういえばこの方がそもそも小山観音の何にあたる方で、どういう役目で今のおつとめをしていたか気になるよな…と思いおそるおそるきいてみた。
その方が教えてくれた事には、橋を渡ったすぐ隣にあるお寺の副住職の奥さまで、役職では寺庭というらしい。
なるほどどうりで!と思ったけど、常識で考えたらお寺の身内の方なのは当然かもしれない。失礼な話かもしれないが歳が同じか上かくらいに思っていたので、結婚されているとはつゆにも思わず聞くまで全く思い当たらなかった。

(※ここからめちゃくちゃ表記揺れします。お寺の方であり寺庭さんであり奥さんであり、どれも本当だし文脈に沿うとむしろ統一できないと思ったので、まあ俺じゃなきゃその方なわけだし)

さて、橋に移って本当に眼鏡が落ちるくらい覗き込むと、確かに橋桁の下に階段が見えた。
所謂トマソンの類って俺大好きなんだけど、それに似た感じがあった。のぼっても上の観音に着けるわけでもない、半分川に沈んだ階段。

夢中になって写真を撮って、満足というところで、お寺の方から「ところで今日はどちらからいらっしゃいました?岐阜ですか?」と聞かれたので、東京です、昨日から岐阜に来ていて、とそこからしばらく旅行自体の事をいろいろと話していた。
鉄オタなので富山から来てて、とか、始発から動いてるので今日たい焼きしか食べてないんです、とか、長良川鉄道に乗って粥川谷を見てきて、とかもう本当にその場で思いついたことなんでも話した気がする。
長良川鉄道の事や高山本線を富山から乗りとおしてきた事に、どこか普通より食いつきのいいような感じがして、寺庭の方もちょっと鉄道好きみたいだった。
こちらが何か話す度に楽しそうに聞いてくださったうえ、お茶飲まれていきます?とかいちいち受け答えが優しくて、仏門はこうも人間を完成させるのか…と思いながらなおもペラペラ喋っていた。

すれ違いざまにちょっと喋るのではなく、もうかれこれ30分くらいしゃべっていて、極力事実通りに、なぜ俺がここに来たかとかきいてほしいよなーと思い、
実は各務ヶ原にあるゲーム会社が作っている、風雨来記4というゲームがあって、それをやってここに来たんです、
というのも白状した。
普段、というかこんな状況じゃないならただ話をややこしくするだけなのでこんな俺側の事でしかない話は伝えないが、
なんと言ってくれるか、それともしかしたら岐阜の人は日本一ソフトウェアを意外と知っているかもしれない(名古屋のスガキヤみたいな)と思って言ってみた。
で、結果ご存じではないようだったのだけど、風雨来記4で訪れられる場所の方に、風雨来記4の存在を伝える、というわけのわからんおせっかいには成功した。
「ここ(小山観音)に来れるんですか!?」と言っていたけど、確かに知らないうちに自分の家(みたいなもの)がゲーム内で入れるようになっていたら驚くよな~

様々話したけど、その中で、頭一つ抜けて印象的だったのは、「ここの上流の眺めがドイツのライン川に似ているらしいんですよ」という、日本ライン命名の由来について教えてもらったりしていた夕暮れ時、
寺庭の方が俺の方から川へ向き直り、「私、結局この時間帯にここから眺める景色が一番好きなんですよね」と言っていたのと、その景色だ。
川の上にいて、遠近法の通り遠くに向かって消えていく川の水面。その他には、川岸の木々と遠くの建物くらいしか見えるものがなく、川面はうっすらオレンジ色がかった空をきれいに映していた。
俺はそれを寺庭の方を横目に見つつ眺めていて、こんなにかけがえのないひとときに同居させてもらってしまっていいのか?という思いが強すぎてクラクラした。
米沢でもそういう景色の相伴に預かったが、誰にもある、日常の中で見つける好きな風景、それを共有させてもらえたのは、とてつもなく貴重で尊い時間だったなと思う。

その後は岐阜に来たなら食べるべきものの話になり、五平餅はやはり食べていってほしいとの事だった。ただ、そりゃ当然食べるよね…となってあまりメジャーでないもので何か、、、と言いつつ色々思案してもらったら、蜂屋の干し柿を紹介してもらえた。
「パッと何か言えればいいんだけどこれってものが中々なくて笑」と言いながら、見ず知らずの俺相手に知らなさそうなグルメ情報を提供してくれようとしているのには感謝しかなかった。
で、俺が干し柿が苦手でないことを確認すると、一度お寺の方に戻って行かれた。
その間もきれいな夕焼け空と飛騨川、観音様、鐘橦堂ともう一通り写真を撮っていたら橋の方から寺庭さんが戻ってきて、
柿と一緒に「これ、隣の可児市の駅前にあるたつやってパン屋さんのパンなんですけど、もちっこチーズっていうこのパンがそこのフラッグシップモデルで、このあたりの人ならだれもが食べたことのある、ソウルフードです!たまたま買ってあったからぜひこれも持って行ってください」と、わざわざジップロックも分けて用意していただき、お土産をいただいてしまった。
ケンミンショーくらいそれぞれの地域に接近しないと気づけないようなソウルフードにありつけたありがたみと、お寺の方がフラッグシップモデルというかなり横文字な単語を使っていた可笑しさを感じながら、ありがたくいただいた。明日の朝飯にする。

ここで、日も暮れてきてそろそろ出ようかな、という流れになった。
当然ながら、この後の旅程はもう全部カットする事を決めた。
元々風雨来記にまつわる予定はここで最後で、フリー切符が勿体ないから養老鉄道と樽見鉄道乗り通しちゃおう!というだけの予定だったので大して迷いもしなかったし、その何倍も良い体験ができた。

なんだかんだで1時間半ほど喋っていたわけだけど、話の流れから美濃太田の駅まで送ってもらうことになった。
最寄りまで歩くのもタクシー使うのも最寄りの古井駅ではわりと待つことになるのも、何の苦でもないので断る理由はいくらでもあったが、
送ってもらえればその分もっと話ができる、というのが他の判断基準を全て破壊してしまい打診してもらって間髪入れずにお願いしますと言った。

途中かなりヤンキーっぽいスウェット姿の男女が参拝に来ていて、寺庭さんが挨拶していたので俺もなんとなく合わせたけど、寺の人ぶってる感じがしてちょっと恥ずかしかった。

そろそろ行きましょうか、なんて話しているとすらっと背の高い男性が橋を渡って来て、状況からすぐにその方が旦那さん、副住職の方だとわかった。
奥さんが「こちらがその、東京から来てらっしゃる…」と言うと、
「いわれんでもわかりますよ。どう見ても。遠いところからようこそ」と柔和に笑いながら話しかけてくれた。

3人で、暗くなり来たときとはずいぶん雰囲気を変えた橋を渡って、岸のお寺の前まで戻ってきた。
改めて思い起こすと、1時間半も川のうえで話していたんだな、どこで出会ったってかけがえのない体験だったけど、それが川のうえで、だと考えると趣深く感じられる。

副住職さんは、奥さんもだけど、声がめちゃくちゃ優しかったのが印象的だった。お仕事を知っているからバイアスがかかってるのかもしれないけど、そうだとしたって優しいというか、聞いていたくなる声だなあと思っていた。
奥さんについて、めちゃくちゃ色んなことを話して聞かせてもらってありがとうございます、というような事を返した気がする。
「いえいえ、不思議なご縁があってね、こんなところでお会いできたわけなんでしょうから」
と副住職は言っていた。

お寺につとめる方の、優しい声で、「不思議なご縁」と言ってもらった瞬間の感情の高ぶりは今でもはっきり思い出せる。
要は、それが欲しくて旅行をしているんだから。
一人でうろうろして、わけもなく感傷的になって家に帰ってからもその写真を見るとまた感傷的になってしまう、それがやりたくて旅行しているけど、
それにも増して、「不思議なご縁」は旅行において手に入る理想のものだ。
すごくないか?住んでない場所に、縁ができるなんて。それも計画性や必然性があってできるわけではなく、その逆、「不思議」にもできるなんて。
そりゃあ、俺は訪れた場所全てに縁を感じている。初めて旅行をした時から、あの時あの場にいたというかけがえのない事実…と、誰に言われるでもなくそう思い、ずっとそう思ってきた。夕方のほっこりニュースにチラッと映ってるだけでも「あぁ…あの時行ったな…」としっかりたそがれることができる。
けど、それは俺がそう思っているだけで、次に行ってもその場所は俺によそよそしいだろう。知ってる人が誰もいないから、当たり前だ。川原湯温泉なんてもう10回くらい訪れているけど、行くたびに俺が異邦人だというヒリヒリした空気を感じる。その良さもあるけど。
だから、その土地に住む人に、縁を感じてもらえること以上に、旅をしていて嬉しいことはない。

そういえば、米沢でおじいさんにドライブ連れてってもらったときも「不思議な縁で」って言ってもらって嬉しかったし…

車に乗るとき、どっちが運転する?みたいな会話をしていて、それがなぜかめちゃくちゃ微笑ましく、同時に人恋しい気持ちになった。
お前は何なんだよという感じだが、夫婦ってこうやって二人で常に関わりあって、二人で生きていくんだな…と思った。
出てすぐ、途中橋から小山観音が見下ろせる場所があって、その時にはもう真っ赤な夕焼けになっていて、遠巻きに見る姿も美しかった。

さて、車で送ってもらっている道中も、俺の地元・千葉の話が、お二人ともちょっと知っているらしく盛り上がったり、ゆるキャラの話になったり、明日行く予定の場所の話をしたり、話題に窮したりが全くなく、楽しく話させてもらった。
副住職さんにもこの辺のグルメの話題を奥さんが振っていたが、やはりまず出てくるのが五平餅で、その次もやはり蜂屋の干し柿だった。皇室に献上されているレベルものらしくこの辺の人なら誰でも知っているようだが、岐阜を出てしまうとピンとくる人がほぼいないらしい。現に俺も知らなかったし、きっと品質が高く歴史もあるのに、ただ知らないだけのものなんてそこかしこにあるんだろうなと思った。

話の流れで、せっかくならどこか寄ってみたいところありますか?とまで打診してもらっちゃったのだが、さすがにもう暗いしそこまでしてもらうのは悪いな…と思った。
が、太田宿なら近いんじゃない?との事で、少しだけ遠回りして中山道の宿場町の方を見せてもらえることになった。
確かに昔っぽい街並みではあったけど、リノベでうまくやってそうな本屋が一つあるくらいで他はなんとも中途半端な印象だった。
お、立派な建物もありますね!と言ったら、同じ組合のお寺さんらしかった。そりゃお寺ならそうだわ。

やっぱりちゃんとお金をかけて景観保護したりしないと、観光地として人呼ぶのも中々難しいんですね、とか話しながら、駐車場でUターンして駅へ向かってもらった。
副住職さんが「この辺だと馬籠とかは一番上手にやっているイメージありますね」と言うので、馬籠まさに明日泊まるんです、と言うと「おぉ、さすが旅に慣れてらっしゃる」「観光地ではなく岐阜の岐阜らしいところをまわられてますよね」と言ってもらい、ホクホクだった。
もっともそれは全て風雨来記によるセレクトのおかげなんだけど。

楽しい時間はなんとやら、程なくして昨日も見た美濃太田の駅前に到着した。
こちらこそ過ぎるのに「楽しい時間をありがとうございました」と二人とも車をわざわざ降りて見送ってくださった。
重々お礼を言いながら、駅に向かって歩き出すとき、一瞬、一緒に写真を撮ってほしいような気がしたけど、その辺の人に声をかけるのか?とか、さっき橋を渡るときに「ご自身の写った写真は撮らなくても大丈夫ですか?」と聞かれて、あんまり自分が写って欲しくないんですよ、といったら副住職さんに「あー、わかりますそれ」と同意してもらったのとかを思い出して、飲み込んだ。
お互いマスクした顔しか知らないままの別れだけど、「またおいでになるときは座禅体験もやっているのでぜひ座禅組んでいかれてくださいね」と話したりしたし、きっとまた会えるだろうという、前向きな理由もあったので、これでいいのだと思えたし、今も思っている。
撮ったとしてなんか絵面が浮かばないしな…。別れ際も言ってもらったけど、不思議なご縁があったんだから、それ以上何か補強するものも要らないだろう。

時刻は18時を過ぎていて、ちょうどよくひだがやってくるから特急券を買って乗り込んだ。
旅程を見返しながら何も考えず大垣までの券を買ってしまったけど、よく考えたら今日はもう岐阜までの行程に決めていたし、そもそも乗ったひだは大垣にはいかないやつだった。
車内改札で車掌さんに余計なひと手間加えさせてしまったりしつつ、岐阜駅に到着。
なんだかんだで今回初めて岐阜市に降り立った。

18切符で関西を目指すときは岐阜駅は通過するのだが、なんとなくその時高架の車窓からの眺めが良くなかった印象で、あまり期待せずに降りたのだが、広大なペデストリアンデッキのある、めちゃくちゃ俺好みの駅だった。
一度名鉄岐阜から歩いてきて利用してるはずなのになんかその時の記憶ないんだよな、、、なんでだろう。

そして何より!岐阜は垂をバイクに乗せては降ろしをしまくった場所であり、告白した場所であり、フラれた場所であり、OKしてもらって流れでキスした場所でもある。
今回は種蔵にも池ケ原湿原にも行けないからフラれイベントがあった場所に来れるのはここだけである。
2階のデッキに出た瞬間、あのあたりだ!!という景色が左手に見えて、
くーーーー!!着いちまったぜ!!!という変なテンションの高まりがあった。
実際その場に立ってみると、着いたのはもう完全に夜だから雰囲気は違うのに、此処だ…!!!!!という実感がめちゃくちゃ強くあった。
自然と違って詳細な位置まではっきりわかるから、ってのがあったかもしれない。
大体この辺に…ではなく、完全に、1mもずれずに、ここ!ここに千尋が垂がいたのよ!と思えるポジションがあった。
聖地巡礼的な意味合いは重視していないとは言ったものの、ここまではっきり分かると全然テンションが上がってしまって、しばらく脳内で、別れを告げた後歩き去っていく垂の姿を脳内で補完しながら、そこに突っ立っていた。

ある程度満足したので、駅を抜けて反対側の出口へ。
合掌造りを模した駅舎と広い駅前広場のあるそこを抜けて、泊まる予定のビジネスホテルへ。
入口に段ボールでつくられたベッドが3つあって、そこに猫が3匹きっちり収まっていた。1匹は俺には目もくれずぐっすり寝ていたが、残り2匹は俺に気づくと駐車場に逃げていった。
ここが飼っている猫たちなんだろうな~、オーナーさんが猫大好きとかそういうパターンだ、と思いながらドアを開けてロビーに入ったら、誰もいないロビーで新型のAIBOが吠えていた。

これにはさすがに声出して笑ってしまった。
入口に猫のいるホテルって思った時点で、それが最大の変化球だと思っているから、まさか、犬もいる、しかも、ロボの犬がいるなんて思わないし、誰もいないのに一人吠えている異常な空間になっていると思わなかった。
面白すぎるのでAIBOの写真を撮っていると、奥から「チェックイン…ですか?」とおそるおそるな声が聞こえて、はいそうです!と焦って受付の方に向かった。
不審者だったな今…と思ったけどよく考えたら俺よりあの空間の方が変だったはずだ。
チェックインすると、簡易朝食という事で、紙パックのDOLEのぶどうジュースと、クロワッサンを1つもらった。
よりによって干し柿とパンが既にあるところに、似たラインナップが倍に増えた。
受付してくれた人に、ご飯食べるなら駅の反対側ですかね?ときくとやはり繁華街は反対側、との事だったので、
デリヘル絶対呼ぶな!!!!という旨の張り紙を読みながらエレベーター乗って自分の部屋に荷物だけ置いて、さっそく駅へ戻って町へ繰り出した。

本来今日は23:30ごろに岐阜に着く予定だったのが、思わぬ出会いのおかげでめちゃくちゃ時間ができたので、贅沢して良い飯食おうと思って居酒屋の並ぶ通りをぶらついた。
さすがに昨日の美濃太田とは違っていくつもやっている店があったけど、それでも見た感じ7割がたのお店は閉まっているようだった。
午前中に死ぬような思いをした上にメタメタに足をいじめ抜いていて限界だったので、酒飲んだら絶対に睡眠の質が終わってしまうと思い居酒屋を候補から外した。
そうするともうラーメン屋か焼肉しか無くて、2店舗あった焼肉屋のうち「飛騨牛カルビ500円」と書いてない方に入った。
わざわざ逆選んだのは、店構えが綺麗だったのと、誤差の範疇だが駅に近い方が立地が良いからいい店だろうというクソ推測をしたのと、なんか激安で出す店って良くない裏の面がありそうと思ったのがある。

結果この選択は大失敗で、席についてメニュー表を見たら「当店は全て北海道産の牛肉を」と書いてあった。
脱走してやろうかとすら思ったけど、注文後だったので仕方なくここで食べていく事にした。
もう二つこのお店にして失敗だった点があり、一つはこの店が開業直後で完全にオペ人数が足りていなかった点。きれいなのもオープン直後ってだけ。俺を含むすべての客が、呼んでも店員の来ないフラストレーションを着実に溜めていっていた。頼んだものが来るスピードについても同じく。
もう一つは、居酒屋くらい低俗なユーモアの店だった。羅列してもしょうがないので一つだけ書いておくと
「男性人気メニュー 第1位 おっぱい(豚さんのおっぱい)」という張り紙が視界の中に3つあった。
完全に太っているのにメッシュで髪を染めているやつが場を回している大学生男女5人の飲み会が、チンチロでハイボールが倍になったり無料になったりするのを観覧しつつ、一人で肉を焼いていた。
途中から目の前にギャル二人組が来て、昨日の白川郷の??と思ったけど全く違った。今この状況からの不思議な縁、さすがにおなかいっぱいだしな。

唯一収穫があったとすれば、オールフリー、すなわちノンアルコールビールを初めて飲んだ。こんなもんに焼肉の相方が務まるのかね、と思っていたけど、全然これでよかった。おいしい。酒じゃないんだから安くあってくれとは思うけど。
これからは旅行先の飯は結構これ頼むことになりそう。

最初の注文だけで切り上げて、間に合えばさっきの500円の飛騨牛…!と思ったが案外腹いっぱいになってしまい、ただすたこら肉食べただけの人として会計を済ませて外に出た。
取り立てておいしい!とかでもなく、ただ焼肉を食べるという事は大体こういう事ですよね、という経験にしかならなかった。
こんなむなしい飯って…と思い、なんとか取り返したかったのでラーメン食べることに決めた。
けどやはりやってる店が少ないので、店探すのと腹ごなしに、繁華街をぶらつくことにした。

ここまで白川郷にいた観光客以外とんと若者を見てこなかったので、若者ばかりいるのが結構新鮮だった。
キャッチに絡まれないように大通りを歩いて名鉄岐阜やバスセンターをうろついてると、レトロな看板のある並びにたどり着いた。

看板を見て気づいたけど、ここ、風雨来記で来たとこだ。
ヒロインと来るわけではなく、ソロで岐阜を訪れた時に来れる、繊維問屋街。再開発の悲しさと残ってる部分との対比が見れるシナリオだった。
一つ通りに入ってみると、時間が止まったかのように軒並み昭和を感じるレトロな看板で、その全ての店のシャッターが閉まっていた。多分平日の昼だったらまだやってるとこもあるはずだけど。

戦後間もない時代にここで興ったアパレル産業はあっという間に街の基幹産業になったらしいけど、もうその華やかさはなかった
ただ、一度その商店街に入ると、あとはどっちに曲がろうと、ひと筋道を越えようとどこもかしこもアパレルや繊維の店しかなくて、その数の多さには圧倒された。
迷路のようかと言われるとそうではない、というのも通りの数はたくさんあるけど、そのそれぞれに、セールの上りが出ていたり天蓋の骨組に色があったりと個性があるのだ。
アーケードの入り口には「○丁目」と看板が出ていて、それぞれが全く違うコンセプトの看板になっている。
区画が長屋みたいに細長くなっているので、その一端に行くと同じ視界の中に1〜3丁目の看板を見ることができたりして、かなり楽しい。

加えて、多分廃墟好きとかにもウケる場所だと思う。随所に近頃の洗練された建築にはあり得ないスペースがある。エアコンの室外機が渡り廊下みたいなスペースに浮いていたり、店の列を横切る狭ーい道があってそこに誰も乗らなくなっただろうチャリが佇んでたり。
極め付けは、再開発で商店街の一部が削られたことで露わになった、店の裏側の壁、言い換えれば商店街の断面図が見れる場所がある。
風雨来記でもそこが特にピックアップされてたけど、真新しい高層マンションと、退廃的な商店街のさらに退廃的な側が道を隔てて向き合っているのは、皮肉も含めてコントラスト抜群だった。

ちょっと永久に居れちゃうな、と思い色んなところ練り歩いているうちに、自分の宣材が撮りたくなってきた。ここを背景に立ってる人、誰であれカッコ良すぎるから。
わざわざ500mlのペットボトル買ってそれに立てかけて2,3枚撮った。ただ背景がひたすらカッコいい写真が撮れたので、何かの時に使おう。

ひと通り見てまわったし、あまりゆっくりしててラーメン屋まで閉店されると困るので、大通り一つ跨いで繁華街に戻った。
ほぼ同じような駅前の立地で、方や昔栄えた問屋街、方や今栄えている繁華街って構図は見たことないし、岐阜固有のコントラストだよなーと思った。

居酒屋兼ラーメン屋みたいなとこに入って、醤油らーめん頼んだ。
欲を張って1グレード上のやつを食べたけど、腹ごなしが効いたのかすんなり食えた。

店出たあとは明日も割と早いので、垂と別れた場所を横目に見ながらホテルに戻った。
猫は3匹ともいたけど、AIBOの姿が見えなくなっていた。ちょっと見渡したけどいない。シフト終わって帰った?

風呂をためつつ、明日行く予定の場所に風雨来記内で訪れるのをやって、ちゃんと悲しい気持ちになったあと風呂入って寝た。

昼までは山で死にかけつつ(死にかけてないけど、思い出すと死を覚悟した質感を今でも思い出せる)、昼下がりから夕方は川の上の観音様でずっと寺庭さんとお話していた。
記憶の容量が、とても1日で起きた事ではない量あるけれど、昨日の俺はこんなこと一つも知らなかったんだよなーと思うと、旅行の持つポテンシャルが計り知れないなと感じる。
歩き回って棒っきれみたいになった足をさすりつつ気づいたら寝ていた。

今日も風雨来記のおかげで楽しかった。明日も楽しみだ。


皮算用:済