あと何度 3月を耐えられるのか

「3月は別れの季節」

よく聞くがこれ、自分では思ったことなかった。
進級や卒業のように、社会に規定され誰にも平等にあるものに特別な感情を抱くことはないし、
それ以外の別れは月を選ばずまばらに目撃していると思っていた。

が、今年は違った。
特にこの3月最終日、3月31日に、
自分にとって重要な別れ、もとい喪失が大量に押し寄せてきて、
深夜、認めたくないが日付はもう跨いで4月1日の今日、
ヘロヘロにさせられてしまった。

今まで運よく別れが巡らず、あるいは気づかず過ごしてきただけでそのツケが回ってきたのか、
今年が異常なのかわからないが、どちらにせよ忘れることができない日になったのでこの寂しい感情を記録しておく。


グルーヴコースターオンラインサービス終了

約10年前のサービス開始当初からプレイしていた音ゲー筐体がサ終した。
ほぼプレイしていない年もあったが、人生の要所要所に顔をだす重要なパーツだったのは間違いない。
この”オンラインサービス”というのにも仕掛けがある。実は1年以上前に「楽曲の追加はもうしない」という公式からの発表があり、音ゲーとして事実上そこで運営は終わっていた。しかし、逆に「それでも残してくれるんだ」という延命に対しての安堵があり、今回の「結局ダメでした」という決定には普通以上のえも言われぬ無念さがあった。
身についたスキルも、あの打鍵・操作感を感じたいという欲求も、もうどこにも行き場がないと思うとそら恐ろしく、同時にめちゃくちゃ切ない。
あの曲々を、両腕を動かさずにただ黙って聴けというわけだ。
他に用事もないので、ゲームセンターに行く、という事も無くなっていくんだろう。前向きな諦めや客観ばかり覚えてつまらない大人になりつつある自分が、稼働当初高校生だった俺のマインドに戻れる数少ない場所がゲーセンだったのかもしれない。
実際最後にクリアしたボス曲は遮二無二プレイしたし、下手すぎる不恰好なスコアながら強烈に嬉しかった。
他に長くプレイしているゲームでいうと駅メモが9年、プロスピが4年。しかしどちらもソシャゲ。筐体という限定的かつ記憶との結びつきの強いインターフェースで、かつ誰か友達と遊んでもいたこれが無くなるのは如何ともし難い。
よくプレイ動画を参考に見ていた動画投稿者も珍しくコミュニティ投稿をしていて、そういうのを見ても輪をかけて悲しくなる。

大浦るかこ卒業

最後の配信の終盤、寂しそうながらも気丈に話していたポムの会の2人と、TLに溢れかえるリスナーによる惜別の文章、本人の言葉と絵文字、その全てが心に刺さっている。
去年の6月に獅子王クリスにハマって以来、ななしいんくのメンバーは総じて好きだが、クリスの盟友であるるかこも、切り抜きしか見られないながらかなり追っていた。というか活動をリアルタイムで追えていたら同じくらいゾッコンだったと思う。
他で見られない守備範囲の話題、他の面々の保護者的ポジション。加えて中々の当意即妙さ、大食いや歌唱のギャップ。知った当初「元カノの好きだったところと似てるな」と思って一人気恥ずかしくなったのが懐かしい。
…に、もう会えない。流石に恋慕とまでは言わないが、別れの寂しさは莫大だった。
元より引退や解散といった事象を見かけると、それに対するフォロワーのリアクションを見て、知りもしないそのインフルエンサーが愛されていたことを感じてしんみりする、といった行為をよくしていたが、
安全圏から人間味のある情感を持てるのが良かったのに、当事者になってしまうとただ事ではなく辛いことを思い知った。
本人も無念だろう理由なのがまた…
ちなみにクリスも来月卒業するのでこれは確実にもう一度刺しに来る。


函館駅「旅立ちの鐘」使用終了

函館駅の発車メロディ。
ある程度汎用のものが多い発車メロディの中で、JR北海道で唯一とあってかなり有名な部類だろう。
なんせ名曲で、函館に行って初めて生で聴けた際は結構感動した。
昔、今よりもっと熱量のある鉄道オタクだった時、色々な列車のさよなら運転を見に行こうとしていたが、あまりの混みっぷりに「これだけ多くの人がいたら自分がそこに行っても誰かの記憶とほぼ同じだな」と冷めてしまい、その後同様のイベントがあっても、時期問わず一度乗車できた記憶があれば特にそれ以上寂しくなったりしてこなかった。
が、どういうわけかこれはTwitterでそのニュースを見かけてからずっと口惜しい感情が引かない。
生で聞いてはいるが、自分なりに録音しておけば良かったとか思ってしまう。(断言できるが聞き返したりはしないのに)
これは、TLを見るに今日の今日まで誰も知り得なかった情報らしく「終わると思ってなくても終わるのかよ」という「終わりの可能性」が増えた絶望感も大きいだろう。
いつまでもあると思うな⚪︎⚪︎〜理論なんだろうが、人間みな色々な物をいっぱい好きなんだから、全部にそんな恐々としていられないよ。


根室線廃線

今に始まった事ではないが、鉄道路線の廃線は流石にダメージがある。
沿線の街がもう街として立ち行かないことの証左であり、大きくて長い黄昏を感じる。
横見氏のツイートをよく見ているので、今日はそのお別れに忙しかったようで、地元の人や愛好家のメッセージなども多く目に入った。


九州内鉄道全線完乗

乗りつぶしの趣味を本格的に始めて数年、日に日に終わりが近づいている。
今回の行程で西九州新幹線と平成筑豊鉄道・南阿蘇鉄道を完乗し、大雨で不通となっているくま川鉄道を除き全線完乗した。
今この文章も、最果てである鹿児島中央駅、その駅前のホテルから、誰もいなくなったロータリーを見下ろしつつ書いている。
さっき一台だけ停まっていたタクシーが、特に客も乗せず律儀にウィンカーを出しつつ走り去っていった。
まだ駅前の観覧車に乗ったことがなく、いつか乗りたいのだがタイミングが合わない。
しかし、次来るのはいつになるだろう。具体的な目標も無いのに。その時まで、こんな前時代的なエンタメ遊具が残っているだろうか?
丑三つ時も過ぎ、とっくに営業終了し回らず光らず、航空障害灯だけが鈍く赤い光を放ちただ佇む姿を見ていると、もの寂しさが加速してくる。


弟、入社

弟が実家を出て会社勤めになったようだ。
大きな影響は無いが、もうフラッと実家に帰っても都合よくゲームできる相手がいないと思うと、今更ながら大人の寂しさに晒される。
俺より忙しくし始めそうなのも嫌なんだよな、メンツとかじゃなくて、遊べないから。


これらが全て1日のうちに起きた。
なんなんだ本当に。

どれも世間ごと騒がすようなことではないが、自分一人でこの有様なら、それぞれの人にそれぞれの細やかな、しかし重大な別れがあるのだろう。
それをして「別れの季節」というのだろう、痛いほど分かった。

当然、全ての別れにそうなる・そうなるべき理由がある。
受け入れなくてはいけない。
分かった。分かったけど、もういい。楽しいまま居させて欲しいよ。

…。
卒業も進級も、ちゃんと別れだったね。
友達とか、もっと作っておくんだったね。

皮算用:済