羨望と猜疑

高田馬場駅前のロータリーには唯一の喫煙所があるゆえ、ニコチン補充目的の若者らが跳梁跋扈している。終電間際にそこを通れば、酩酊した彼らのおかげでドップラーシフトを体感させてくれる。滔々と流れる有象無象の人波に抗い、留まり続ける三角州のようなその場所は、彼らにとってのシャングリラなのだろう。猥雑とした空気と紫煙が揺曳しており、地面にはニコチンの残滓が散らばっている。唾棄すべき傍若無人な挙措には、孟母三遷を再認識させてもらえた。しかしながら、こう思ってしまうのは青春を謳歌している学生へのルサンチマンなのかもしれない。唾棄すべきなのは私の心情の方か。羨望と猜疑は紙一重なのか。

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