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宮司さんのみぞ知る三条町の鎮守

こんにちは!突然ですが、無性に神社に行きたいなーっていう日はありませんか?こんな時「三条八幡宮」に行くのはいかがでしょうか?

八幡(ハマん)りますよ。いやハマりますよ~~


1、八幡宮とは?

八幡宮はその名の通り、八幡神を祀る神社です。八幡神というのは、誉田別尊(ほんだわけのみこと)、つまり第15代天皇である応神天皇のことを指します。八幡宮の本宮は、大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮です。
宇佐神宮では、八幡大神、応神天皇の母である神功(じんぐう)皇后、比売(ひめ)大神の三神を祀っています。この三柱の神々は、それぞれ異なる面を持ち、多様な信仰の対象となっています。例えば、八幡神は弓矢の神として知られており、特に武家からの信仰を集めてきました。それだけでなく、海の神、鍛冶の神、焼畑の神としても広く信仰されています。
「八幡様の神主がおみくじ引いて申すには♪」というフレーズを聞いたことがありますか?この歌、実は八幡神が勝負の神様としても有名であることを示しています。小学校の運動会などで歌ったことがある人もいるかもしれませんね。
そう、八幡神は勝負の神様として、特に武士から厚い信仰を受けました。カッコいいですよね。
八幡宮の魅力は、その多様な信仰と歴史的背景にあります。次に神社を訪れる際は、八幡神の様々な顔を思い浮かべてみてください。運動会の歌や武士のエピソードを思い出しながら参拝すると、より一層楽しめるかもしれません。

2、三条八幡宮の歴史・災害

・なぜ、この地に?

現在、八幡町に位置する三条八幡宮ですが、もともとは大崎山にありました。なぜ大崎山に建てられたかというと、八幡神が下界を見下ろすことができる絶景スポットだったからです。しかし、1599年に現在の八幡町へとお引越し。なぜって?当時の平野部にはあまり人が住んでおらず、災害のリスクが高かったためです。それから400年以上、この場所で安定して神様をお祀りしています。

・大名行列に関連して(10万石あることのすごさ)

皆さん、大名行列に決まった順番があることをご存知ですか?意外に知らない人も多いかもしれませんね。ここでその順番についてちょっと解説してみましょう!
大名行列は約250人の供奉(ぐぶ)者がそれぞれの役割に従って編成されています。行列の先頭を飾るのは「鉄棒」。これが音を出して「行列が来るぞー!」とお知らせします。次に続くのは「露払」。これが神様が濡れないように露を払います。
露払の次は「奴(やっこ)」による先供の一群。彼らは出発時に「悪魔切り」という儀式を行い、道中の災いを払います。そして、その後に続くのは、三叉の鉾をかたどった台車がついた大鉾。そして天狗面をつけて鳥兜をかぶった道祖神。道祖神は三条祭りのメインである大名行列の天狗様でもあります。
天狗様の後には、信国太刀(のぶくにのたち)や具足櫃(ぐそくひつ)という神宝が並びます。お神輿の前には、八幡宮の神様が来ることを知らせる応神鉾(おうじんぼこ)があり、四方を守る四神旗(しじんき)、さらに雨や風から神輿を守る御差羽(おさしは)なども登場します。
行列の後ろ側には、宮司や太鼓と笛の囃子、さらに押槍(おしやり)が10本続きます。ここで押槍が1本1万石に相当し、10本あるため10万石になります。1万石は1人が1年間に食べるお米の量。つまり、10万石は10万人を1年間養うことができる規模です。これだけの石高を持つ藩は当時でも数少なく、三条八幡宮の大名行列がいかに壮大なものだったかがわかりますね。


3、三条祭り

三条まつりは毎年5月15日に三条祭りが開催されます。この日にちに実はちょっとした歴史のひねりがあるんです。大崎の八幡宮が創建されたのは885年3月15日で、当時はこの日に春の祭りが行われていました。しかし、時は流れ1599年に現在の場所に遷宮され、そしてさらに1872年に太陰暦から太陽暦に変わったことで、旧暦の3月15日は毎年ズレることに。そこで、忘れられないようにと1874年から5月15日に固定されました。
天狗様が転ぶと火事になる?!
お神輿には八幡宮の神様が乗っており、それを先導する天狗様も神様です。天狗様は悪魔や邪気を祓いながら進んでいくわけですが、もしもその天狗様が転ぶようなことがあれば、それはその場所に強い邪気があったという証拠。そのため、その場所で火事が起きると言われています。天狗様が転ぶほどの邪気なんて、考えただけでゾクッとしますよね。
また先ほど説明したこの神聖な大名行列にはいくつかのルールがあります。

  1. 行列出発時に太鼓橋を渡ってはいけない

  2. 行列を横切ってはならない

  3. 行列を上から見下ろしてはいけない
    これは神様の行列だからこその厳しい決まり。皆さんも参加する際はこのルールを守って、神様に失礼のないようにしてくださいね。

4、裏話

・2つの災害を乗り越えて

三条八幡宮は2000年代に入って老朽化が進み、立て直しの工事が決定されました。しかし、運命のいたずらか、2004年7月13日に「平成16年7月新潟・福島豪雨」が発生。三条市の五十嵐川が決壊し、市街地に濁流が押し寄せました。幸運にも八幡宮は反対側にあり、工事への影響は最小限。しかし、これをきっかけに、災害に備えた再建が重要視されることに。
だが、これで終わりではありません。同年10月23日に「新潟県中越地震」が発生。最大震度7を記録したこの地震は、観測史上2回目の震度7。八幡宮も大きな被害を受けるかと思いきや、ここでも奇跡が起こりました。大きな被害はなく、無事に生き残ったのです。
宮司さんはこう語っています。「もし最初の豪雨を経験していなければ、災害に対する意識が高まることもなかったでしょう。また、災害後に工事を始めれば、町の人々から批判されていたかもしれません」。まさに不幸中の幸いとはこのことですね。

・金山神社

さて、三条といえば鍛冶の町。ここに鍛冶屋の神様を祀る神社を作るのは、三条の人々の大きな願いでした。しかし明治時代、政府は「神社合祀政策」という厄介な制度を導入。多くの小さな神社を廃止し、大きな神社に統合しようとしたのです。新しい神社を勝手に建てることも禁止されました。
そこで三条の人々は知恵を絞り、八幡宮に合祀する名目で、少し離れた場所に神社を先に作ってしまいました。それが金山神社です。神社を作ってしまえばこちらの勝ち! こうして政府を巧みに欺き、鍛冶屋の神様をお迎えすることに成功しました。
ただ、こんな風にして迎えた神様が本当にご利益をもたらしてくれるのか、ちょっと不安になりますよね。でも、これこそが三条の人々の執念と知恵の結晶。神様も、そんな熱意に応えてくれたのかもしれません。


まとめ

三条に訪れた際は、まずこの鎮守へ!


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