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人間福祉の価値基準の細部を問う  human welfare4

  私達は価値基準を重視する立場から議論を始めて参りましたが、言うまでもなく没価値性の立場に立って議論すべきという方々も多いわけです。そうはいってもそこにも価値が前提されているのですが。そこにいわれるのは現実の客観的事実に沿って議論せよということなのでしょうが、私どもにはそこにも価値前提が見えてしまいます。この「細部を問う」という議論のなかでは前提された価値にもう少し拘って問うておくべきでしょう。ここではそのようなことがらに加え、いくつかの関連論点を取り上げそれぞれの議論の役割に現時点から視点を当てておくことにします。
 まず社会福祉が社会事業と呼ばれていたころよりももう一代前において、社会政策という政策論の領域が強力に存在しことを思い起こしておきましょう。マルクス主義ないし唯物論とされる理論家の方々の労働力政策ないしその後の展開においては労働者政策とされた社会施策に関する論が大きな力を持っていたのを思い起こします。この時代には福祉論という主張はいまだ堅固な位置づけを持つことができなかったのです。働く方々の生活基盤づくりの施策さえも「労働力の保全培養」策とされていましたね。さてこのような施策が主流であり、これを補充し、一般的生活対応策の代替策として社会事業があるとされた時代がありました。社会政策の補充代替策としての社会事業、今日の社会福祉策が位置づけられておりました。こうした議論をされた孝橋正一先生などが思いだされます。さらに「社会事業の客観的本質」を見極めようとされた真田是先生の議論、また一層現代の福祉に即すると断定される一番ケ瀬康子先生の政策論上などは代替策とされようとも生活者の状況に根付く「生活保障」の権利的側面の主張等が展開されました。このような議論により、人間の生活権という人間の人間らしく生きる権利への運動論的歩みが築かれていきます。現時点から展望しますと、いずれも価値設定からはできうる限り距離を置く客観性を維持しようとする立場が濃厚に見えるといえましょう。これに対し価値基準を明確に設定することに躊躇しない政策論の立場が社会政策の理論家の立場のなかにあったことを知っていただきたいと思います。価値前提からの明確な出発ということになります。それはエドアルト・ハイマン(Heimann, Eduard)というドイツの社会政策論・社会体制論学者の議論のなかに読み取ることができます。この論は野間俊威先生などによって日本でも紹介されました。ハイマンは「善き生活(das gute leven)」をベクトル性の中心に置いて思索を進めたといえましょう。またそれを支える社会力についても強調されました。そうして福祉国家等を経て文化的統合社会への道を解き明かしました。この議論は、現代の人権論やそれを支える生活者・市民の社会的力その蓄積に通じる論として読み替えていくことができるでしょう。ハイマンのいう「善き生活」について、われわれは次のように読み替えていきたいと思います。それを生命の基盤としての「生活構造の確立と質の高度化」の平等な設定と表現しておきたいと思います。「善き生活」=生活構造の確立と質の高度化は経済力社会力の限界の下で果たしえない状況が連続していくなかで、宗教性においてはまた人間の精神性の向上のなかにおいては当然視されてきた動的な営みでありました。現代において人権論という制度的論拠によっても支えられている方向性です。こうした方向性の基に我々は次のような福祉観を取り上げておきたいと思います「社会福祉とはその置かれた社会体制の下で、人間の社会生活上の基本的欲求の充足を巡る個人と制度的集団との間に成立する社会関係において、人間の主体的及び客体的条件の相互作用より生起する諸々の社会的不充足或いは不調整関係に対応して、その充足再調整、さらには予防的措置を通して、社会的に正常な生活水準を実現せんとする公私の社会的活動の総体を意味する。」(嶋田啓一郎)この明言のなかには、社会福祉という限定はされていますが、表現の内部においては人間存在全てに渡る平等な生命基盤の構築が標榜されている人間福祉そのもの価値設定/概念表明であるということができるといえましょう。それは人間福祉の構造面を明確に表現してくれています。社会福祉という生活のし辛さのなかに生きる人々についての目途から考えていくことが人間すべての目途に連続していくのです。この示されたベクトル性は、人間福祉の価値基準という視点をもって問いを深めることによって、内実を付加されていくことになります。れわれはそれを人間の生活構造の高度化とその確立への道と呼んでいます。そこには厚生経済学の議論と共に前述したセンのいう「潜在能力の発揮」を含み人の自己実現への道が内包され、労働過程が人すべてに開かれる道や環境上の問題の克服、またそうしたすべてに関係する文化的条件の向上前進が不可欠となります。人すべてが保持する人権、これを可能にする生活構造の確立という視点で議論を進めましょう。こうした価値基準の連続が生活のしやすさを人間に約束することになります。われわれは生活構造論を教科書的であっても総合的に扱っている書、青井和夫・松原治郎・副田義也編「生活構造の理論」有斐閣双書、1971年、116-117を参照しつつ、これに労働過程の議論を交えて人間の総合的な生活構造を提示できると考えております。その生活論をここに投稿する議論全般のための参照文献とする下記している「社会福祉原論」2001年に沿って次に触れておきます。「生活構造」はその構造要因として生活関係、生活手段、生活空間、生活文化、生活時間さらには生活経済を考えることができるでしょうが、この生活経済については個人生活においてはその収入・支出が主とされそのために生活の質的側面が考慮されることなく生活が部分的にしか捉えられないままになり、社会経済といえる全体体制としての生命の流れのなかで捉えきれないことになってしまいます。したがってこの経済と社会全体に関わる生活構造を全体体制として結合して捉えるために、労働過程及び消費過程と連結させてさらに人間の個性的生活と連続させて理解できるように組み立てることが必要になります。単なる収入・支出の状況把握ではなく労働や消費の構造的側面と関連づけていくことにより、人間中心の経済の内実全体が明らかになっていき、個々の人間存在の可能性発揮に直接つながる労働の探究とともに消費構造の内実解明を通じて人の自己実現に即する労働と消費形態へと目を向けることができるようになってまいります。こうして人間の「善き生活」への道が開かれて参ります。ハイマンの議論は、このような善き生活のベクトル性と共に、社会勢力という我々の生活を創っていく動的な営みを強調することの必須を教えてくれます。その社会勢力とは、権力としての公的なものではなく、また私的な独裁力に結果するものではなく、むしろ中庸を充足するいわば中間的ともいえる共同のなかに見出すことができるといえましょう。われわれはこれを中間セクターという態様を重視するとともに内包する社会体制の構築と呼んでまいりました。ここに人間社会のコミュニティー的存立という方向を見出すことができるでしょう。ここに述べてきたように、福祉の価値領域は広く深く広がっていきます。それを総括するのは大変難しいことですが、以上述べてきた価値に関する内容を総括して表現するならば、人間の存在を平等に大切にするにあたって必要とされる事柄であり、それを人間の存在価値という表現で言葉にしていくことになるといえましょう。この視点のもとに次にはその存在価値を基本においていくにあたって軸となる人間の人格ということについて考えていくことに致しましょう。
以上の議論は牛津信忠・星野正明・増田樹郎編著「社会福祉原論」黎明書房2001年、pp.14-50 参照。

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