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人間福祉への人格主義的接近human welfare 5

 人間福祉を価値基準の領域に言及しながら考えてきましたが、その議論を通じて人間そのものの存在を大切にしていくこと福祉の確立へ向かう道に立つことが見えてきたと思います。そこでこの人間の存在価値に視点を当てる議論を少し立ち入った形で進めていこうと思います。そこでまず題字に書いた人間福祉への人格主義的接近について考察を進めていきましょう。

  われわれは、マックス・シェーラーの人格論をベースにして議論を進めて参ります。この論は「社会福祉における相互的人格主義]という題目のもとに自著に記した内容をもとにしております。先ず人格という人間の軸心ともいえる側面についてですが、シェーラーのいう人格とは心理学にいう人格とは異なるというべきでしょう。彼は人格を対象化して捉えることができない精神領域の作用として捉えています。作用とされる人格は形を持ったものではなく、また目で捉えられるものではなく、したがって一般に思い浮かぶ個性やその人の特性として切り取ることができない内容としてしか表現できない状況であるとしか言えないとされます。作用として対象化することができないとすれば人格に接するためにはどのようにしたら良いのでしょうか。シェーラーはここに存在参与と言う概念を教示してくれます。人格に接し相互性を持つためにはその人格存在に参与することが求められるというのです。その人格を操作するのではなくそこに働きかけて動的状況を与えるのでもなく、傍らに寄り添い共にあることの有り様に与らせて頂くことを許容してもらうということがここでは求められるのです。本当の平等のなかで共にある在り方がここでは呼びかけられており、人格とはそのような作用の相互性を形作るプロセスであるということができましょう。それはまた相互にある存在を本当の主体として接し、したがってその道は共にある相互主体化の道程でもあることを知っておかねばなりません。相互に主体であるがゆえに対象化し客体として接することができないのです。この客体化とはシェーラーの言わんとすることから汲取るならば、物化的対象化することだと理解することができるでしょう。本当に共にあるとは共なる存在を「もの」とすることなく存在参与する大切な存在として接することであることをここでは教示されることになるのです。これが共なる存在を主体として接する在り方そのものといえましょう。このような議論によって、われわれは人間福祉上の人とともにある有り様を教えられることになるのです。シェーラーはもちろん福祉論を説いたわけではありませんが、このシェーラーの指し示す存在とともにある在り方を理解すると福祉の問題を次のように理解することができるでしょう。生きるにあたり障害とされる状況や差別や貧困などの生きにくさを保持する方々と相互に生きるためにわれわれが、またワーカーと呼ばれるそれぞれが知っておくべき主体の捉え方を教えられることになるといえましょう。人は主体として生きることを許されているのです。何人もこれを犯すことはできません。これこそが人権と呼ばれる人間の権利の基本にあるのです。人間福祉はこのように相互主体化から始まっていくことになるのです。主体はそこに無限の可能性を持っていることを大前提にしてともにあろうとすることによって実現へと歩むことができます。それを信じて対応していくことによって人間のまた社会の可能性が花開いていくのです。この歩みの方途をわれわれは相互的人格主義と呼ぶことに致します。



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